1月23日、映画「ヴィオレットーーある作家の肖像」を京都シネマに観にいく。前日に友人からもらったメールに「ヴィオレット」という映画が上映されていることを知った。
実在のフランスの女性作家ヴィオレット・ルデュックの物語。1940年代後半のパリの文壇を背景に、新しい文化が台頭する時代を扱っている。
私自身はこの作家のことは知らなかったが、女性が自分の性の問題を描くと、社会や文学界からバッシングを受け、排除されたことをこの映画を通して知った。なによりも、かの有名なシモーヌ・ド・ボーヴォワールがヴィオレットを公私にわたって支えたということも知った。
ボーヴォワールは『第二の性』で「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」と語り、女のジェンダー役割が社会的に作られることを主張し、女性の解放を主張した。サルトルとの関係で彼女自身が実践してきた。
ボーヴォワールは、作家としてコンクール賞、エルサレム賞などを受賞し、成功するが、一方ヴィオレットは、いくら作品を書いても出版社も読者もそっぽを向く。そうしたなかで、ボーボワールは彼女の才能を認めて、励まし続ける。実際にもヴィオレットの生活費を定期的に銀行振り込みをして支えたのだった。
そしてヴィオレットは精神の拠り所を執筆活動に向け、自己の生い立ちや性の遍歴などを赤裸々に表現した。彼女は文学の世界を新しい手法で切り開いたのだった。女性が作家になることの難しい時代の物語でもある。
イギリス文学でも、他の文学でも女性が小説を書くことが困難な時代があり、あえて女性名を名乗らず、男性名でしか小説が発表できなかった時代があったことを思えば、ヴィオレットやボーボォワールの勇気は、多くの女性たちの自立的な生き方を切り開いたか。