Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

またもや三週間が経っていた。

12月2日(日)、元同僚の友人に誘われて、京都精華大学50周年記念作品展を京都国際会館イベントホールに観に行く。元学生や先生たちが作品を出展していた。元同僚の元学生が木工作品を展示していた。とても手触りのいい温もりのある作品ばかりだった。木の中に磁石を入れた針山を購入した。時々、針を刺したつもりで、針が行方不明になることがあり、いくら注意していても針を落としてしまう。磁石なら迷子の針もすぐに戻ってくるだろうし、迷子にならないだろう。

12月6日〜7日。念願の竹田城跡と城崎温泉。友人の誘いで恒例ののカニを食べに城崎に行く。竹田城跡は、兵庫県朝来市にある。1443年ごろに当時の但馬守護山名宗全の配下太田垣に命じて築城され、太田垣が7代にわたって城主を務めたとされる。現在のこる石垣遺構はこの頃に整備されたと言われる。竹田城は、その後1580年の羽柴秀吉の但馬攻めにあい、播磨龍野城赤松広秀が入城。1600年関ヶ原の戦いの中で竹田城は廃城となった。長い歴史をくぐり抜けた竹田城跡は、今多くの人の関心を呼んでいる。「日本のマチュビチュ」と呼ばれ、「天空の城」として美しい景色を楽しませてくれる。

 私たちは、JR竹田駅の観光案内所で竹田城址への行き方を聞いた。途中まで車で上がり、そこからタクシーで城址入り口付近まで行った。そこからは山道を少し進んで、城跡の入口まで行った。そこからは城内なので、ゆっくりと景色を見ながら、天守閣のあったところまで登った。かなり険しい道だったが、長年人があまり入っていなかったが、最近に一躍有名になり、多くの観光客が押し寄せてくるようになったので、砂地が崩れないように布地が敷き詰められて、足には適度なクッションとなっていて、歩きやすかった。ちょうど小雨が降っていたので、視界は靄がかかり、まさに「天空の城」だった。この城跡はまさに雲海に取り囲まれていた。こんな珍しい光景に恵まれた。

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城崎では、西村屋という古くからの老舗旅館に泊まった。どのお部屋からも小さなお庭が眺められ、なんとも風情があった。城崎には何度かきたことがあるが、西村屋に泊まるのは初めてだった。それなりにお料理も、温泉も、おもてなしも最高だった。外湯めぐりも楽しんだ。翌日にはロープウェイで城崎の街を一望、温泉寺を見学。

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非日常の二日間をたっぷり楽しんだ。

 

12月8日、日仏会館でクリスマス・パーティ。フランス語を一緒に勉強している人たちとNoëlを楽しむ。フランス語でクリスマス・ソングを歌うのは初めての経験。ワインと鶏料理とグラタンなど。

12月9日。孫の英語レッスン。期末テストの特訓。

12月11日。書道。仁慈隱惻,造次弗離 の後半部を書く。意味は、「仁も慈も惻隠の情も、いかにあわただしい中にあっても離れることなかれ」とのこと。

12月13日。不要品の廃棄処分。ゴミ処理場に持ち込めば簡単に廃棄処分ができる。100キロまでが1000円。それ以上200キロまでが2500円。不要になったベッドや家具類を処分した。160キロもあった。まだまだ不要なものがあるが、これを機会に断捨離を始めている。溜め込んでいるのは、本と衣類が多い。もう読まなくなった本は少しづつ本屋に持ち込んでいるが、値段がつかない古本は処分していただけるだけでもありがたい。

 これ以降は毎日、家の中の片付けに明け暮れる。ようやく片付けがすみ、なんとか落ち着いて暮らせる状態になった。机の前に座って、この三週間を振り返ってみる時間も取れた。

 この間に塩豚、ローストビーフに挑戦し、試行錯誤の末、ようやく簡単に、うまく作れるようになった。昨日は焼き豚に挑戦した。美味しそうにできた。不要な添加物なしのチャーシュ。何にでも使えそう。

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小さな葉ボタンをお花の仲間に入れて、新しい年を迎えようと思う。

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お漬物と紅葉

 先日、天日干しをした白菜を塩漬けした後、昆布と塩で美味しいお漬物を作った。昔は大きな桶に幾株もの白菜を漬け込んだが、最近では家族が少なくなり、京都の美味しいお漬物屋さんで少しづつ購入して、食べていた。お漬物は日本の食生活に欠かせない。ご飯の最後の一口をお茶漬けで食べるのは最高の至福。

 お漬物を自分で作るのは楽しいし、塩分の調整もできる。お正月前には聖護院カブラが手に入ると、千枚漬けを作る。簡単にできるが、大きなカブラだと重くて、結構な値段がする。一般の消費者にはなかなか手に入らないので、店先で見つけると即購入する。

  今年は暑さが長く続き、急に寒くなったので、冬野菜の収穫が期待できるので、野菜の値段は去年よりはずっと安くなるかもしれない。大いに期待。

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百合の花は大原の朝市で購入したもの。(11月25日)

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 久しぶりに植物園を散歩した。紅葉が素晴らしく、しばらく足を止めてじっと眺めていた。早朝にもかかわらず、多くの人たちが美しい景色の前でカメラを向けていた。

 先日の 11月25日(日)に、久しぶりに大原の朝市に出かけたついでに、貴船神社まで足を伸ばし、早朝の紅葉を楽しんだ。空気がピリットしていて、赤や黄色のグラデーションが緑の杉の木の間に広がっていて、いつもながら美しいと思った。この時が今年初めての紅葉だった。すでに満開の峠は超えたそうだ。日頃目にしている桜の紅葉も素敵だと思う。(下の写真:貴船神社

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 久しぶりにカーブスの筋トレジムに行く。日々衰える筋力との闘いが続く。



 

水道の民営化

「水道法改正案」が今国会で成立する可能性が出ている。南アフリカが水道が民営化され、低所得者層にとっては大きな問題になっている。料金の高騰で1000万人が水道を利用できなくなったという。多くはアフリカ人がその被害を被っている。富裕層の白人たちは依然として、広大な敷地にプールや庭園を持ち、それらを維持するために大量の水を使用している。

 水道は生命維持のために最も不可欠なもので、日本では所得によって不公平を被ることはないと自慢してきた。だが、今日本では「水道の民営化」を促進しようとしているが、ほとんどこのことは報道されることもなく、国民の多くは知らされていない。こんなことが起これば、水道料金の値上げは必至だ。今料理やお風呂、洗濯、トイレなどには水無しでは済まされない。自然災害の多い日本は、ことあるたびに、被災者にとって水確保がいかに重要かは痛いほど知っている。

 ケニアに友人宅に滞在していた時に、水が不足して、時間給水となり、トイレに流す水は使用済みを使っていた。飲食に使う水は最も貴重でペットボトルで購入したものを大切に使い。使用済みの水は、いつもバケツにためてあった。

 南アフリカでも、日照りが続くと水不足に見舞われ、友人宅では、水道の蛇口を固く閉め、少しづつ水を使うように言われたことがある。庭の木や花には大きなタンクに雨水をためて、それを撒くようにしているが、日照りで雨水もたまらなくなり、水不足には苦労していた。

 水が民営化されると、貧困層は水を購入するお金はなく、不潔な水を飲んだり、遠くまで水を取りに行かなければならない。水汲みは大抵が女性の仕事となっている。

 世界中で水を民営化から公営化する方向に転換するところが多くある。そういう状況の中で日本は時代に逆行する方向をなぜ選択するのだろうか。大企業優先の経済や国民生活を圧迫するような政策を許してはいけない。

 昨日も、2025年に大阪で万博が開催されることが決定した。誰のもののためかを考えると、ちっとも嬉しくない。大阪の住民の5割強が万博開催には反対しているという。日産のトップのゴーン氏の多額の所得を得た背任行為が問題になっているが、それ以上に国民の税金を世界中にばらまき、「モリカケ」問題で多額の税金を投入し、国民の生活を圧迫する政策を取り続けている、安倍政権の方がもっと問題ではないか。

 

夫の入院検査と冬支度

 11月20日から22日まで、動脈にステントを入れたところをカテーテルで検査するために夫が入院した。4月の処置がうまくいっているかどうかの検査で、昨日に検査は終わった。担当のお医者さんから、説明を受け、問題がないとのことで一安心。様ざまな理由で血管が細くなったり、血液を十分に送り出せなくなったりすると、脳梗塞心筋梗塞などの弊害が起きる。細くなった血管を広げる技術や医療の進歩により、多くの人たちの命が救われている。

 ついこの間夏物をしまい、秋物を出したが、さらに寒くなってきたので、冬のセータを取り出す。よくもこんなに溜め込んでいると我ながらに感心するほど衣服がいっぱい。いつか処分しなければと思うが、なかなか踏ん切りがつかない。セータ類は洗ってしまっているが、もう一度手洗いとアイロンがけをする。結構時間と手間ががかかるが、気持ちいい冬を過ごすための準備。

 今年の春に、お風呂場の乾燥機能が故障して3年ほどになり、いつも可動式の乾燥機を風呂場に入れて乾燥していた。それを修繕するには、湯沸かし器、床暖房、風呂場の乾燥など一式を変えなければならない。10年以上も使ってきたので、機器とはそういうものだとガス会社から説得され、一部の補修ではなく、全部を動かしている器具を一式交換となった。48万円もしたが、仕方ないことと納得したが、十分には納得していない。その時にガス会社から無料でガス暖房機をいただいた。器具はいらないから、その分値引きをして欲しかったが、そうはいかないという。小さな子供もいないので、このガス器具を取り出して使うことにした。冷暖房機もあり、床暖房もあるが、朝食時や夕食時のわずかな時間に使うのに、このガス暖房機の方が熱効率は良さそうなので、ガス暖房機を取り出して、セットした。掃除は相変わらず、ココロボちゃんが床を掃除してくれているが、拭き掃除は手仕事となる。家事は際限なく続く。。。。

 普段の食料の買い物はイオンモール系のスーパーKohyoか生協ですませるが、時々出町柳の市場で買い物をすることがある。それぞれ野菜の値段が異なる。重たいものは極力避けるが、たまたま娘が車で運んでくれるというので、安売りの大玉白菜と重たいお米を購入した。早速、白菜は天日干しして、白菜のお漬物を作ろうと思った。 

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ベストとリストウォーマー

年中、布と毛糸は溜め込んでいる。涼しい時期には布でシャツやスカート、袋、パンツなどを作る。寒くなってくると、じっと座り込んで毛糸でひたすらセータやベストを編み続ける。上賀茂神社の手作り市で購入したマルティナさんのOpalの糸を取り出し、ベストを編んだ。表と裏の糸を変え、極めてシンプルに長方形に編んで、脇と肩を糸綴じをした。裾は2目ゴム編みでまとめただけ。シンプルだが、新鮮な感じで仕上がった。

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残った糸で小さな飾りポケットとリストウォーマを作ってみた。Facebookに載せると多くの友人から素敵だという反応をいただいた。マルティナさんの糸はドイツ生まれ。彼女は長年京都で暮らしていて、様ざまな手づくり市で作品を売ったり、編み物の実践をしてこの糸を販売している。東北地方を襲った大きな津波被害の後、彼女は気仙沼に住み込み、新しく事務所を開いて、東北の人々を励ますために編み物教室を開いている。確かに一人でコツコツと編むのも楽しいが、多くの人たちと一緒におしゃべりをしながら、一つの形を作り上げる作業も楽しい。マルティナさんは東北の人々の心に寄り添いながら、新しい人の輪を作っている。マルティナさんの作品はとてもシンプルだが、彼女曰く、「自由に、好きに、作ってください。自分のアイディアを入れてください」。この糸はドイツ製だが、いろんな色に染め上げていて、日本の紬の糸のように計算しつくして一本の糸に様ざまな色で染めているので、編んでいる中で模様が浮き上がってくる。次には何色が来るのかなあという期待があり、編んでいて飽きない。面白い糸だ。日本人では野呂英作さんの糸が好きだ。シルクの手染めの糸で色合いが素敵。私のセータの多くは野呂さんの作品。

 私のFacebookに載せていると大勢の友人たちが、反応してくださり、中には南アフリカから私のために編んでくれたマフラーを預かってきた友人が早速郵便で送ってくれた。それが青いふぁふぁのマフラー。とても癒しになる。

 

書道とフランス語

11月13日、書道のお稽古日。月二回なので楽しく出かけている。千字文の半分ほどまできたのだろうか。

「交友投分 切磨箴規」の前の部分を書いた。友と交わるには、分をわきまえ、切磋琢磨して戒め合うという意味。古い中国の漢字を書いた。左は13日に書き、右は20日に書いた。

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14日は一日中家にいる。何をしたのかはよく覚えていない。のんびり過ごした。

15日。夜フランス語の振替授業に出る。先生も出席している人たちもよく知らない。このクラスには先生の教え方の流儀があり、先生の指示通りに正しくできない生徒を排除するような雰囲気があった。以前にも一度授業に出たことがあったが、先生のやり方についていけなくて嫌な気分になったことがある。すっかりそんなことは忘れていた。他所から来た生徒にはひどく無視したりするところもあるが、そんなことには頓着なく座っていた。すると、フランス語を読まされて、間違いを指摘された。確かにフランス語の読みはなかなか私の頭には入ってこない。英語読みがどこかで邪魔していることは十分に自覚している。いきなり先生から、「あんたの間違いは、よくある。これまで40年間フランス語の教師をしているから、そんな人の間違いは生涯、直らない」と言われた。少し考えているうちに、だんだん腹が立ってきた。私だって、40年語学を教えてきた人間だ。だが、学生に対してはそんなことは一切言ったことはないし、教師は語学学習に自信を失わせないように指導していくのが仕事ではないか。その先生は授業中に、マルセイユのフランス語とパリのフランス語の違いを滔々と述べ、フランス語の多様性を語るのではなく、「田舎者のフランス語」というように、侮蔑も含まれていた。そうであれば、私が接するアフリカ人のフランス語は「ど田舎のフランス語」になるのだろうかと、少し気分を悪くしていた続きに私の発音の間違いを指摘したのだ。ひどく気が動転した。「私にはフランス語を学ぶ資格はない」とでも言われているような気がした。フランス帝国主義の言語教育なのだろうかとも思った。それならば、私は何のためにフランス語を勉強しているのだろうか。あまり進歩もないので、もうフランス語を学ぶのをやめようかとも思うほどショックを受けた。おそらく私の自尊心が傷ついたのかもしれない。そんな程度のことなのだろうか。

 大学院時代にフランス語の授業を先生と一対一で学んだことがある。その時はフランスの作家の短編小説を読んだ。フランス語で音読することはパスされた。発音指導をしていると作品を読むことができないというので、訳読が中心だった。この時期にきちっと発音を学んでいれば、今のような苦労はなかったのにと後悔。後悔していても始まらないので、めげずに続けるしかないのかもしれない。

 翌日の正規のフランス語の授業では、先生からいつもの楽しいフランス語の授業を受けることができ、同じクラスにいる人たちとも気持ちよく過ごせた。

 

11月11日、大阪阪急百貨店でアフリカ・アート展

 アフリカ・アート展が大阪の阪急百貨店であるというので、娘と妹と一緒に観にいく。写真が取れなかったので、パンフレットから。西アフリカでは仮面が多く、王様が使った杖や椅子などの彫刻が素晴らしい。

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女性たちの手作業で作ったバスケットや袋、ドレス、ビーズ作品なども展示販売されていた。どれも色鮮やかで発想豊かな作品ばかり。うっとりと見とれてしまった。

同じ場所でタンザニアのティンガ・ティンガ展をやっていた。何年も前にタンザニアにいった時に、ティンガ・ティンガの絵を描いている芸術村に出かけたことがある。時々彼らの絵を京都でも何度か観たことがあるが、色彩も構図も独特のものがある。我が家にも何枚か絵がある。モティーフは動物や鳥類が多い。

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