Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

ようやく涼しい風が吹き始めた

 夏の暑さには慣れているとはいえ、この1週間ばかりはうだるような暑さだった。日本中のどこも同じで、記録的だった。人間の体温をはるかに上回る暑さにはほとほと参った。風が吹かずに、暑さだけがずっと居座っているようだった。台風がきて、また各地に酷い被害をもたらした。二重のパンチを食らったところもある。こうした自然の力の前には人間はもろい。だが人間の愚かさが自然の猛威を加速させるようにも思う。ダムを造ったり、自然を破壊して開発に拍車をかけ、自然形態を大きく変えてしまった。その結果が今回の被害にもつながる。

 我が家のつい近くで、熊が出た情報がたくさん寄せられた。山と人家の間にはなんの境もない。熊が里まで降りてきて食べ物を物色しているのだ。熊も人間の乱開発の結果、食べ物がなくなったのだ。一度人間の住むところに下りてくると、美味しい食べ物に出会い、その味が忘れられなくなる。鹿もしかり。よく高野川で鹿をみかけた。熊は人間を襲い、人間を殺してしまうので、危険だ。人間の貪欲な行為がこうした結果を生み出している。

 それにしても、ようやく風が吹き始めて、地面からの暑さを吹き飛ばしてくれ、涼しさを身体に感じるようになった。まだまだ暑いが、日陰に入ると涼しいし、風をさわやかに感じられるのは、うれしい。朝の雑用をすませ、国際会議場近くの園芸屋さんにでかける。アジサイの肥料とお花を買いにいく。

 この暑さで枯れてしまったベランダの花を取り除き、そこに同じくベゴニアを植える。花瓶の花もとりかえる。日が高くなってきたので、アジサイの花のきり戻しは、明日の朝にして、肥料を施すことにしようと思う。

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 梅干しはこの暑さのなかで土用干しをした。鳩の糞害を注意しながら、ベランダでの外干しをしたが、夜は部屋の中にとりいれておいた。2種類の梅を漬けたが、やはり南高梅のよさがわかった。右が南高梅。梅干しの効果を考えると、昔の人の生活の知恵はすごい。

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バラの花がちいさくなった

ベランダに3本のバラの植木がある。5月には綺麗に咲いていたが、やがて葉っぱが枯れたので、しばらく様子を観察していたが、虫にやられたわけでもなさそうだった。すべての枯れた葉っぱをとった。6月にバラの木を鉢からとりだして、新しい土を入れて植え替えることにした。園芸屋さんにバラの手入れの注意を聞き、そのとおりにした。この暑い7月を乗り越えて、数週間前から新しい緑の葉っぱがでてきて、やがて赤色と黄色のバラの花が咲いた。日当たりと風通しのいい場所に置き換えたのがよかったのかもしれない。だが、5月に咲いた時よりはバラの花の大きさが随分ちいさくなった。栄養がたらないのだろうか。この時期の植え替えには、肥料を入れるのはよくないと言われたので、新しい土壌に替えただけだった。

 ともあれ、バラの木は枯れてしまってはいなかった。この暑さも乗り越えている。生命力の強さを感じる。右が5月に咲いたバラ。

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 自民党衆議院議員杉田水脈LGBTの人たちを「生産性がない」として、差別する発言をしている。これに対して、多くの人たちが怒りをこめて発言をし、杉田氏への議員辞職を求めている。明らかに杉田水脈の発言は、差別であり、「子供を産まない人たち」を社会から追放しようとするものである。絶対に許せない。

 今日のツイッターにこう書いた。「差別はいけないのは自明。だが差別は無くならない。杉田水脈のように公然と差別の論理を展開し、「少数派」を排除し「多数派」の暴力的論理を展開する。これが差別だとどうしてわからないのだろうか。」

 差別がなくならないのは、差別を助長し、差別を継続させようとする力、政治力が働くからにほかならない。日本の政治はどこか狂っている。嘘を平気でつくし、嘘を嘘で固めていく。口先だけで、実態が伴わない政治がまかり通る。恐ろしい時代になる予感がする。

 

 

安倍政権が「安泰」な理由がわからない

 毎日、早くも安倍政権の継続を宣伝し続ける。メディアもなぜ安倍政権をよしとするのかもよくわかない。森友問題、加計問題でも疑惑が残ったままでも、安倍首相も「誠意を持って質疑に答えた」と嘯いても、スルーしてしまう。またははぐらかしの答弁でも許してしまう傾向に、多くの国民は嫌気がさしている。だが、なぜこれほどまでに支持率が高いのか。安倍の自民党総裁三選を許したら、政治への不信は深まるばかりだが、自民党がそれでよしとする、暴力的な政治はどうにかならないのか。それを野党のせいにしたくはない。

 政治への無関心層の拡大、事なかれ主義の蔓延など、ツイッターの無責任なつぶやき、異常なとんでもない意見表明などで、真摯に生きている人びとの精神を殺す。あまりにもひどい言動に心が潰されそうだ。

 この数日間の異常な暑さで、多くの人の命が奪われている。熱中症による。年寄りがその犠牲になっている。メディアは、冷房機を使うことを声を大にして進める。実際に冷房なしの部屋にじっとしておれないのが現状。毎日、毎日38度超えになる。アスファルトの道を歩くと、足元はおそらく40度近いはずだ。もあっと熱気が上がってきて、たちまちに汗をかく。

 用がなければ、外に出ることはなく、じっと家の中で、冷房の涼しい部屋にいる。電気代のことを考えれば、恐ろしくなる。電気代よりは命が大事だと簡単に言う人がいるかもしれない。だが、だが、年金生活者やシングルマザーで子育てしている人たちの生活を考えれば、無尽蔵に電気を使い、一日中冷房の中にいるような生活は不可能だ。電力会社はわずかだが、電気代を値下げしたが、そんなことでは追っつかない。

 命を脅かすような都市開発をしてきたり、森林を乱開発したり、経済最優先の政策を強行実施してきた結果、自然の気候変動に対応できなくなった人間の愚かさに気づかなければならない。

 数年前は、原発がストップして、電力の節電を呼びかけられ、冷房を止め、汗を流しながら生活をしたことがあった。少しの風でもありがたく感謝し、遮光カーテンに切り替え、部屋中の温度が上がるのを抑えた。朝夕は植木に水をやりながら、地面や建物の熱気を追い払った。

 7月24日、京都では祇園祭の後祭で街中の交通が麻痺していた。この暑さの中、暑気払いとはいえ、祇園祭を維持するのも大変だし、町の人たちの辛抱も限界を超えていた。その最中、お習字のお稽古に出かけた。

諸姑伯叔 猶子比児 (しょこ はくしゅく  ゆうし ひじ)の前半を書いた。

叔父叔母は、姪や甥を自分の子供のようにいつくしめと言うもの。家族主義か。

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水彩画とプール

7月のスケッチ教室は、「大人の小学校」で16日の祝日に開かれた。最後まで仕上げて、先生にみてもらった。

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薄く塗って細部をごまかしているが、観察力と細部を書き込む努力が必要だと思う。書くことを楽しんでいるので、よしとしよう。

 この「大人の小学校」に「入学」したのは、ここにはプールがあるので、水泳をするためだった。しばらく水泳のほうも遠のいていたが、お絵かき教室のあとに泳いで帰ることにした。水のなかはいい。気持ちも身体も軽くなっていく。水のなかでは無心になれるし、ストレスから解放されるような気分になる。こんな暑い時期にはやはり水泳はいい。

 今日一日、自分のために自分の時間を過ごした。とても充実した気分になった。

 

猛暑の連日

暑い、暑いとつい声になる。誰もが暑いのはわかっているのだから、この暑さを乗り越えなければ。それにしても、猛暑で多くの方が亡くなっていく。こんな時代はこれまであっただろうか。家中冷房を入れて、静かに暮らしているが、電気代を考えれば、ぞっとする。あるテレビ局で、原発が稼働していないのに、この猛暑でも、節電とは言わず、凌げるのは「太陽光熱」のおかげだという。これだけ猛暑だと、太陽光熱はものすごい量を蓄積し、昼間の電気消費量を悠にまかなっている。だがそれを大声で言えないのは、原発を動かしたい安倍政権の政策に逆らうことになるからだと。

 数ヶ月前に、私は関電との電気契約をやめて、大阪ガスに変えた。関電が電気料金を値下げすると言いだしたので、他も一斉に値下げしている。大阪ガスは自社で発電所を持っているが、関電からも電力を一部購入しているので、結果的には同じかもしれないが、それでも関電が原発を止めない限り、小さな抵抗をしている。

 そして最近、窓や出入り口の戸を開放しているので、外から細かな砂が入り込んでいる。ロボットはあまり綺麗に吸い取らない。電気掃除機も他に持っているが、最近気づいたことは、箒が一番合理的で、素早く誇りやゴミを吐き出すてくれることだ。私が子供の頃は母がよく箒でゴミを吐き出していた。畳の目に沿って吐き出し、そのあと、雑巾がけをする。

 最近では掃除機を使うのが当たり前になっているが、本当に誇りを吸い取っているのだろうかと思う。フローリングの床の上は箒で吐き出しても同じだと思うようになった。そのあと、ワイパーで床を拭いておけば良いのではと思うようになった。長箒はシュロの手作りのものを20年も前に北野天神さんの市で購入したもの。丈夫で長持ちしている。台所のドアの近くで少し背伸びをする位置にフックをつけて吊るしている。箒を撮るときに手を伸ばすのでストレッチの運動にもなる。麻の暖簾を洗って吊るした。少しは涼しさを感じるのではと思って。

 壁には、友人の娘さんからもらったバングラディッシュの手刺繍、アフリカの友人からのお土産にもらったケニアボツワナのボシェット、南アフリカで購入した髪梳き。

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ワールドカップはフランスが優勝

 ワールドカップの決勝戦が7月16日午前0時45分からあった。とても見ごたえのある試合だった。クロアチアは果敢に攻めていたが、どうしてもゴールにつながらなかった。フランスは運がよかったのかもしれない。パス回しや、相手のボールを取りに行く瞬時の行動には驚いた。結構体当たりの動きに激しい闘争心も読み取れた。

 フランスチームにアフリカ系の人が多いことにおどろいた。フランスは歴史的に

アフリカやカリブ諸島を植民地にして、同化政策を推し進めた。教育も文化もフランス優位主義を押し付けた。その結果、フランスにはアフリカ系の人びとが多く住むし、スポーツ界でも活躍する。そうした歴史を背景にフランス国を代表する選手団が組織されている。今年3月に開催された対ロシアとの親善試合で、ロシアの観客がフランスチームのポール・ボグバとウスマン・デンベレに対して猿の鳴き真似をして囃し立て、人種差別したとして、ロシアサッカー協会に罰金が課せられた。

 以前にも、アフリカ系であることで、さまざまに罵倒されたことがあった。こうした人種差別の根っこには、「白人優越主義」が根深くある。人種に関わりなく、さまざまな民族出身の人たちが、一つのチームを結成して戦っているところに分断を持ち込むことをしてはいけない。

 日本のメディアNHKは、Mbappeはエムバペと表記している。サッカー誌などが報じるムバッペがもっとも近いと思う。ガーナの大統領だったKwame Nkrumah はエンクルマと表記され続けられている。最近ではアフリカ研究者の間ではンクルマと表記されるようになったが、メディアではそうではない。ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴは、Ngugiのつづりだが、彼本人ははっきりとグギと呼んでいる。

 人の名前は、勝手に呼ぶやり方が日本のメディアだ。これも人種差別のひとつにつながるかもしれない。本人がどう呼んでいるかを尊重しなければいけないと思う。私は子供の頃から名前を間違えて呼ばれてきた。

 

紗の着物地で洋服を

 上賀茂神社の手作り市は月末の日曜日に開催される。時々時間があるときには覗いている。それぞれが手作りで作ったものを売りに来る。アイディアやそれぞれの思いがこもったものが多いので、見ていて楽しい。呉服屋のおじさんが、趣味で反物を売りに来ていた。いろいろお話をするのも楽しいし、知らないことを教えてくれる。少し前に、とても涼しげな夏の着物地を購入しておいた。着物布の多くは絹が多いので、品質はとてもいい。幅が36〜38センチなので、両端がほつれてこないので、布を継ぎ足しても、始末がとてもいいので、着物地で縫うのは好きだ。

 しばらく眠っていた布を取り出して、夏のドレスを作った。最近ちょっと凝って作っているシャツブラウスの襟の形を利用してドレスを作ってみた。もともと着物だったので、肩のところは切り込みが入れてある。そのまま利用して、前と後ろを縫い合わせて、袖だった部分を脇のところに折りたたんで、縫い合わせる。袖も幅だけを直線で縫い付けるだけ。本当に簡単にできる。透けて見えるので中には、インナーを着て、パンツをはいた上にざっくりとこのドレスを着る。

 初めてこのドレスを着て、外に出た日、バス停で待っていた人が声をかけてきて、とても素敵なドレスだと褒めてくれた。見た目に涼しいし、京都の人なので、着物のことはよく知っている。着物をドレスにしたアイディアもいいと大褒め。嬉しかった。光の当たるとこで見ると透けて見える。もう一つは部屋の中で。

 

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