Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

知人の知人がイギリスからやってくる

 知人の知人がイギリスからやってきた。私がアメリカへ行く前から、知人の知人が京都に来るので是非会って欲しいと言われていた。

 最近、海外からの観光客は必ず京都にやってくる。そこに誰か知り合いがいれば、人づてに訪ねてくることが多い。

 知人の知人(ミーナさん)は南アフリカ出身で、ケンブリッジで暮らしている。夫がケンブリッジ大学の教授で京都の国際会議場で開催されるシンポジウムに参加している間、京都見学をしたいとのこと。大学生の息子と高校の娘が同伴。

 地下鉄には乗りたくないというので、市バスの一日乗車券(500円)を購入し、御所、二条城、龍安寺に出かけた。おそらくイギリスでは地下鉄での爆破事件がよくあるので、そうしたことがトラウマになっているのだろうかと思ったが、詳しいことを聞くのは避けた。

 月曜日なので御所の見学はできなかった。かつては外国人に対しては日曜、祝日以外はいつでも申請して見学ができたが、最近はルールが変わったようだ。

 だが、御所の建物の周りを散策することができた。バスを乗り継いで、二条城に。私は京都市民でシニアなので、入場料は無料。二の丸御殿の見学ができるのだが、この建物は徳川時代の栄華を誇り、武家風書院造りの代表的建築。一番奥にある、白書院の部屋の模様が変わっていた。白書院は将軍の居間、寝室だったところ。以前にはここに大勢の女人が侍っていたが、女人の人形は一切取り払われ、数人の男性の人形が置かれていた。そばにいた係りの方に理由を聞くと、今年の四月に改築が終わり、歴史的にはそのような記載がなかったので、女人の人形を取り払ったということだった。

 日本の男性中心社会を知らせるには最もわかりやすい部屋のしつらだったので、それが取り払われていたことに驚く。

時代を反映しているのかもしれないと思った。ネット上にある画像を借りると次のようなものだった。

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隣の部屋には大勢の女人がいて、艶やかな着物姿で侍っていた。歴史的な記述がないにしろ、将軍にお食事を持って行ったり、寝床を敷いたりするのは女性の役割であったはずだ。

 なぜ取り払ったのか本当の理由を知りたい。ネットを見てもほとんど何も記録がない。

 

 ミーナさんの息子の希望で龍安寺に行く。石庭、日本の宗教に関心があるという。私にとっては久しぶりだった。大勢の外国人観光客がいた。ここは人気のある寺院なのだろう。

 石庭には、細かな白石の上に大小合わせて15の石が置かれているが、どの角度から見ても、1つの石が隠れて見えない。石、岩しかない石庭をどのように見るかは見る者の心、宇宙を表現しているのだろう。

 ミーナさんと道中で交わした四方山話や、、南アフリカの話やらの中で、わかったことは結構私の友人たちと知り合いであったり、親戚であったりした。ミーナさんと出会えてよかった。彼女もアパルトヘイト時代に南アフリカから亡命して海外で学んだり、闘争していた一人なのだと思った。

 

 

ケネディー空港から帰国の途に (6月23日)

 友人と一緒にFreeportからロングアイランド線の列車に乗る。友人は兄が住むワシントンD.Cに出かけるので、ペンステーションまで、私はジャマイカでJ.F.ケネディ空港行きの列車に乗り換える。友人とは、Whats Appという無料のラインで連絡を取り合っていたが、空港では無料のWiFiがなく、私の携帯電話ではうまくネットに繋がらないので、メッセージが送れなかった。結局、彼女に送ろうとしたメッセージは羽田に帰ってからしか送れなかった。

 誰もが携帯電話を使って、ネットに接続しているので、無料のWIFiには限界があり、安全性が確保できないのかもしれない。IT革命が進み、社会が便利になった部分と不便になった部分がある。

 ともあれ、空港でチェックインをすませる。プレミアムエコノミーの席が2席残っているとのことで、350ドルを支払って、その座席を確保。14時間半の長旅を少しだけ快適(?)に過ごせた。体内時計は昼間の時間帯だったので、映画を何本も観た。「ラ・ラ・ランド」「パニック・ルーム」「素晴らしきかな、人生」等など。「君の名は」までも観てしまった。

 今年4月に開通したニューヨーク=羽田の直行便だったので、国内線に乗り換え伊丹空港まで。自宅に到着したのが、24日の夜9時。時差があるとはいえ、まる二日もかかった。

 長時間のフライトは身体にこたえる。

 

 

ショッピング・モール(6月22日)

  友人と一緒にRockville Centerというところに出かけた。まさに巨大なショッピング・モールだった。世界中どこに行っても、日本でも、同じタイプのショッピング・モールがあるので、目新しくはないが、わかりやすい。

 友人のフラットがあるFreeportから2駅ニューヨークよりの駅になる。ここはいつも列車で通過していたところだった。だが、駅前ではなく、駅から少し離れたところにあり、誰もが車で来るので、巨大なパーキングエリアがある。友人はバナナ・リパブリックで白色のパンツを買った。以前にもニューヨーク市内のバナナ・リパブリックで、お揃いのシャツを購入したことがあった。今その服を孫が気に入ってきている。確かに麻綿素材で肌触りがいい。友人の趣味もあまり変わっていないようだ。

 ショッピングモール隣接のキューバレストランで食事をした。カストロを描いた絵画が店の壁にかかっていた。テンポの速いキューバ音楽が店中に鳴り響いていた。カリブの雰囲気が満載で、友人はいつか一緒にトリニダードに行こうと誘ってくれた。

 

タイムスクウェアのスタバで(6月20日)

 アメリカには至る所にスタバックスがある。スタバックス現地限定商品があり、ファンが求めてやってくるようだ。私は日本ではスタバにはあまり入らないが、海外では最もわかりやすいコヒーショップなので、モーニングをすることがある。姪や孫のリクウェストでスタバの現地限定のタンブラーを買いに、タイムスクウェアに出かけた。ネットなどで日本で購入すると値段が2倍強するので、現地調達は格安かもしれないと思ったが、それも商品販売の戦略だろう。

 昨日、5番街をまっすぐ北上し、メトロポリタン美術館に行ったが、その途中にトランプタワーがあった。隣は有名なティファニーの宝石店がある。昨年ここを通った時には、選挙キャンペーン中でもあったので、ものすごい数の警察官の警備網が敷かれていた。今はメラニアさんも、息子もトランプ大統領がいるホワイト・ハウスに移り住んだために、警備は全くなし。観光客が立ち止まってビルを見上げていた。

 しかし、タイムスクウェアでは大勢の観光客が集まり、路上パフォーマンスをしているので、警備がすごかった。京都の街にも大勢の観光客が集まっているが、警察官が並んでいたり、警備に当たることはない。つい最近もイギリスや世界のあちこちでテロが起こっている。そうしたことに対応するためなのかもしれない。アメリカはトランプ大統領になってから、過激な発言に驚かされているからだ。

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さすがタイムスクウェアは、ブロードウェィのど真ん中にあり、ミッドタウンの中心街だ。随分昔にブロードウェィの劇場で「ミスサイゴン」を観たことを思い出す。ニューヨークにもマダムタッソーのようなものがあり、道路上でミッキーなどのいろんな縫いぐるみが、道行く人を呼びかける。写真を一緒に撮ると料金を要求されるそうだ。

 ペンステーションに向かう途中、6番街で紀伊国屋を発見。又吉直樹の『火花』を購入。ドル払いでニューヨーク価格だったので、文庫本なのに倍近くを支払った。なかなか読む機会がなかったので、読むにはいい機会だった。夜も寝ずに一気に読み切った。とてもいい作品だった。又吉さんの優しい言葉の選択、表現力、人間愛が溢れる関係性、人間社会を見る目、どれも素晴らしいと思った。日本の小説も読まなければと反省した。

 

 

 

 

メトロポリタン美術館へ (6月19日)

 ニューヨークでは友人のフラットで居候をしていた。友人は父親の家の売買契約を交わすために、後片付け、掃除などで奔走していた。私も以前に何度かその家に泊めてもらったことがあり、お父さんにも会ったことがある。トリニダード出身で、歴史学に造詣が深く、国連で仕事をしていた。矍鑠としていた。

 私はその間、自由にマンハッタンまで出かけ、あちこち歩き回っていた。随分前に行ったことがある、メトロポリタン美術館を訪れた。広さといい、展示物の多さに驚く。誰と一緒に行ったかは覚えているが、その時の展示物が何だったのかは全く記憶にない。

 私はシニアなので、入場料は格安で17ドルだった。通常は25ドル。これも必ずしもこれだけの金額を払わないといけないというわけではなく、一応の目安でいくらでもいいとのこと。これは国立でも市立でもなく、私立の美術館だからかもしれないと思った。あまりの広さと、五番街をずっと歩いてきた疲れもあり、ゆっくりと一つひとつを鑑賞できなかった。古代ローマ時代やギリシア時代は見慣れた彫刻が多くあり、巨大な文化を築いたヨーロッパ社会に驚愕する。

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アジア館は、中国、韓国、日本を中心に見た。よく似ているが、微妙に異なるところに独自の文化が感じられた。日本館では田邊竹雲斎の竹細工が展示されていた。日常に取り入れている何気ないものだが、素晴らしい芸術性と細やかな技術に圧倒された。ちょうどこれらの展示が始まったばかりで、とても珍しいとのことだった。

 美術館を出ようとすると、大雨と雷で足止めされた。雨道具は持っていないので、仕方なく、しばらく館内にいた。雨が小止みになったので、バスに乗りペンステーションに向かった。ペンステーションのそばを通るのかと確かめているのに、タイムスウェアの近くで降ろされた。つまりそこから地下鉄に乗り継げということのようだったが、またよく知っている道を歩き続け、さすが疲れたので、地下鉄に乗ることにした。大雨のせいで地下鉄構内が水浸しになったり、色々と故障があって、地下鉄に大幅な遅れが出た。歩けばよかったと後悔したが、すでに遅し感。

 携帯電話の電源は切れるし、Wifiにつながらないし、友人に連絡できずに、予定の2時間遅れで帰宅した。友人は家にいたので、ほっとした。心配させたことを詫びる。

 

 

ニュー・ヘブンからニューヨークに

 17日(土)夜7時からオムニ・ニューヘブン・ホテルでアフリカ文学会の恒例の晩餐会があった。前日にオティからアフリカスタイルの上着を購入したので、ロングスドレスの上から羽織った。テルマもオティからアフリカンドレスを買った。子供のようにはしゃいでオティが持ってきたドレスをひっかえとっかえ着て楽しんだ。晩餐会には多くの人が、女性も男性も、アフリカンドレスを着て競いあうところがあるので、華やかだ。

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 私はアフリカ文学会の評議員の任期が終わりほっとしていたところ、名前を呼ばれ、思いがけず功労賞の盾を贈呈された。誰からもおめでとうを声をかけてもらった。それほどの働きはしていないが、日本から私一人でもがこの文学会に参加していることは貴重な存在なのかもしれない。

 18日(日)誰もが帰路につく日だ。私は荷物をパックして、ホテルをチェックアウトし、テルマとジョージが宿泊しているホテルに行く。スタバックスでコーヒーとサンドウィッチで、朝食をすませる。ジョージは若い頃に、一時期イェール大学で教えていたことがあり、懐かしんでいた。彼が通っていた教会を見に行く。エピスコパル教会で、いわゆるアメリカ聖公会のことのようだ。ジョージの友人が車で迎えに来てくれ、ニューヘブンの街やジョージが以前に暮らしていた家を見て回る。典型的なアメリカスタイルの家で、美しく使われていたことにジョージはとても満足していた。

 若者たちに人気があるレストランに入り、イカのフライ、ラタトゥイユ、ピッツア、きのこ類、アスパラなどを4人でシェアした。どれも美味しくいただいた。今回の旅では食べ物に恵まれていた。

 ジョージたちにニュー・ヘブンの駅まで送ってもらった。切符代はシニア料金が設定されていて、値引きをしてもらった。アムトラックで、ニューヨークのペン駅まで1時間半。駅でアフリカ文学会の長年の知り合い、ジンバブエの女性作家ヴァージニア・ピリと一緒になった。ペン駅でロング・アイランド線に乗り換え、友人の家の向かう。今度で3度目。彼女のお父さんが住んでいた家には2度も泊めたもらったことがある。友人もアフリカ文学の研究者で、ニューヨークの大学で教えている。20年もの友人で、アフリカ文学会には発表のためにだけ参加し、一泊して先に帰った。お父さんの家を売却するために、整理をしなければならないとのことだ。連絡はWhats appで取り合っていたが、WiFiがつながらないので、困った。彼女のフラットがある駅で降りたが、彼女はお父さんの家に行っているので、フラットにはいない。どう連絡を取ればいいか困っていたら、近くにモバイルショップがあったので、WiFiにつなげて、なんとか連絡を取った。そして同じフラットに住む友人にドアを開けてもらった。

 部屋の中には、WiFiのパスワードが書かれたメモがあり、電話番号まで知らせてくれていた。肝心のWiFi の名前がわからなかったので、電話をかけることにした。

 しばらくして、友人から電話があり、お寿司でもデリバリーで頼むので、ドアの開け方を知らせてくれた。知らない人に入ってこられるのも、めんどくさいし、取り立てて日本食を食べたいわけでもないので、断る。彼女の帰りがかなり遅くなるようなので、勝手に冷蔵庫の中に入っていた人参とチンゲンサイを炒めて、レモン醤油で食べた。彼女は、厳格なベジタリアンなので、食べ物に関してはなかなかな哲学を持っている。明日にも野菜を買っておこう。

Boubacar Boris Diopさんの講演

Boubacar Boris Diopさんはフランコフォン・アフリカで著名な作家であり、詩人として知られる。さらには、演劇、評論の部門でも大活躍。セネガルの独立新聞社 Le Matin de Dakar (ダカールの朝)の編集者でもあった。フランス語でQue dit Cheikh Anta Diop aux ecrivain africains? というタイトルで講演があった。「シェイク・アンタ・ディオップはアフリカ人作家に何を言ったか』というタイトルで講演した。

 シェイク・アンタ・ディオップ(1923−1986)は、セネガルの著名な歴史学者、人類学者であり、アフリカ中心の世界観を持っていた。その彼がアフリカ文学、アフリカ人作家に何を語ったかという問題提起だった。様々なアフリカ民族がそれぞれの言語で彼らの文化を発展してきたところに目をつけて、彼流の世界観を展開してきた。彼の思想の影響を多くのアフリカ人作家が受けた。ケニアグギ・ワ・ジオンゴなどはその一人だ。現在では、彼の思想の重要性を継承していくことが重要だと語った。彼の思想は古くから議論されてきたが、実践の困難さ、難しさを生み出しているのは何かを見極めなければならないと。

 Boubacar Boris Diopのフランス語は流れるように聞こえてきた。初めてフランス語の講演に耳をすますことができて、感激した。プロジェクターで英語に翻訳した部分が映し出された。