Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

南アフリカの演劇「シズウェは死んだ?!」を観る

5月12日、新幹線で東京に向かう。車中からの景色は穏やかなお天気のもと、いつもと変わりない。木々の緑の新芽が色鮮やか。今日も富士山は新幹線の車中から見えなかった。田んぼにはもう水をはっている所もあり、田植えを待つばかり。あちこちに新しい生命の息吹を感じる。浜名湖の水は青々とし、どこをみてもなに一つ変わらないのどかな風景だ。
 それにしても最近では、異常気象による大きな被害が出ているし、道路では車に関わる大きな事故が続いている。天災は人間の力ではどうにもならないが、人災事故の多くは、必ず防げる道はあるはずだと悔しい気持ちだ。無免許運転の若者が車を乗り回して遊ぶ感覚に憤りすら感じる。

 ところで、13日に東京で用事があるので、一日早く出かけ地人会新社の第一回公演、南アフリカの演劇「シズウェは死んだ?!」を赤坂REDシアターで観た。日本では1987年に「こんな話」で上演されている。私は、この演劇を日本で観たのか、ロンドンで観たのか、記憶が定かではない。この作品の著者アソル・フガードのもう一つの作品「島」を平田満が演じたのはよく覚えている。「島」とはマンデラが収監されていた「ロベン島」のことだ。
「シズウェは死んだ?!」は、要はアパルトヘイト時代にパス帳がいかにアフリカ人のあらゆる生活を規制してきたかを語る。コーサ人をシスカイに閉じ込め、白人たちにとって必要な労働力だけを町に呼び寄せる「人種隔離制度(アパルトヘイト)」の物語だ。シスカイを「独立国」にし、南アフリカ国内の民族集団を分離して支配してきた。失業したシズウェは、労働許可証がないために、都会(ポートエリザベス)に三日以上滞在できない。250キロもは離れた、妻のいるシイスカイに戻り、労働許可書を貰わないと、仕事にありつけないのだ。
 シズウェは写真館を営むに男に出会い、彼の新しい生活が始まる。ブントゥは、ゴミ山だと思ってオシッコをするが、実際にはゴミ山ではなく、殺され男の死体だった。パス帳から、その男はロバートという名前であることが判明する。ブントゥの入れ知恵により、ロバートのパス帳にシズウェの顔写真を貼り、ロバートになりすました。そしてシズウェは死に、ロバートとして町に滞在し、仕事を得る。そして、妻に仕送りを続ける。アフリカ人の笑うに笑えない物語だ。「ブントゥ」とは「人間」という意味で、「シズウェ」は「民族」という意味だ。明らかにこの作品から、アフリカ人が民族の誇りを持ち、人間として生きたいという叫びが聞こえてくる。
 それにしてもフガードはシビアな状況を描きながらもユーモアが溢れる舞台を描く。そして必ず舞台でウンコやオシッコをする。最近ケープタウンで観たフガードの作品もそうだった。白人研究者が長年大切にしてきた研究書にカラードの男がオシッコをかけた場面に観客は唖然とした。

 ところで、地人会新社がなぜこの作品を第一回公演に選んだろうか。50年近く前に書かれた南アフリカの物語であり、今では 南アフリカ民主化して早くも18年もたつ。パス帳に象徴される人種隔離政策はない。とはいえ、いまだに、仕事のために家族は分断され、散り散りに暮らさざるを得ない状況はつづき、アパルトヘイト時代と変わりない部分もある。
 南アフリカでは、この作品が過去の物語として語られたとしても、それなりに意味はある。アパルトヘイト時代には南アフリカでは上演が禁じられていたので、この種の演劇が最近では南アフリカで上演されることがよくある。そして、アパルトヘイトを実体験したことのない若者が自らの歴史を知ることはとても重要だ。
 日本ではこれまでも南アフリカ演劇を通して、南アフリカの状況を理解する手だてにはなった。差別の本質を知ることもできた。日本では南アフリカへの関心が薄れた今、この作品は何を訴えようとしたのだろうか。非人間的な扱いを受けても、どんなにしんどい状況であろうとも、家族のために働き続ける男の悲哀に重ね合わせることもできるが・・・・人間性の原点を探ろうとしているようにも思える。
 冒頭の40分近く、一人の人間(スタイルズ)に起こった出来事を語り続ける嵐芳三郎の演技は、観客を飲み込んでいった。シズウェ役の川野太郎もコミカルで、人なつっこいアフリカ人気質をすばらしく表現していた。違和感がまったくなく、南アフリカの演劇を観ることができてよかった。