Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

映画「東京家族」を観て

山田洋次監督の『東京家族』を観た。小津安二郎の「東京物語」(1953)の現代版ということらしい。小津の作品は知らないが、現在誰でもがかかえる「家族」の問題を扱う作品だった。老夫婦を演じる橋爪功吉行和子はすばらしかった。瀬戸内の島で暮らす平山夫婦は、子どもたちに会いに東京にでかける。長男は開業医で4人家族。長女は美容院を営む。次男は舞台美術の仕事をしており、紀子という恋人がいる。
 三人の子どもたちは、みんな島を離れて東京で暮らす。それぞれが仕事に忙しく、上京した両親の面倒がみられない。次男は両親を東京見学として遊覧バスに乗せる。父親は息子に対して、「将来の見通しがあるのか」と詰問する。次男は父親が苦手。長女の家では予定があり、両親の宿泊は迷惑である。長男と相談して、両親を横浜のホテルに二泊三日滞在させる手配をする。両親は何もすることもなく、ホテルの部屋の窓から外を眺めるだけ。
 予定を切り上げ、両親は長女の家に戻ってくるが、居場所がない。母は次男の家に泊まりに行く。父は友人宅に泊めてもらう予定ででかけるが、その友人は妻を亡くし息子家族の世話になっているために、泊まるところがない。酔いつぶれて長女の家に真夜中に戻ってくる。母親は次男の家で、次男の恋人紀子を紹介される。とても次男が幸せそうなので安心する。母親は紀子さんに次男の将来を託す。翌日長男の家に帰ってきた時に、母親は倒れ、病院で亡くなる。病院の屋上で早朝の空を眺めながら、父親は次男に「母さんは死んだぞ」とぽつりとこぼす。この後の父と息子の気持ちが徐々につながって行く様子や、その後の家族の模様がきめ細かく描かれる。遺骨を抱えて島に帰る父親。村の人たちは涙して迎える。子どもたちの世話にもならず、島でのんびりと暮らす覚悟を決める父親。すごく切ない気持ちになったが、島の人びとの温かさに救われた。

 ストーリは、ごくどこにでもあるようなもので、誰にでもあてはまる光景。どこかにクライマックスがあって、そこで観客が涙を流すというような物語の構成にはなっていない。どの場面であっても、誰にでも思い当たるふしがあり、思わず涙が込み上げてくる。父と次男と次男の恋人との心の交流は、山田洋次監督流の見事な表現だった。老人問題、人生のパートナーに先立たれた老人の問題、親子間の問題、都会と地方の暮らしの違い、人間関係の有り様等がテーマ。人はどう生きて行くのかが問われる。


ちょうどこの日は私の誕生日。海外からは、ケープタウン、オランダ、イギリス、フィンランド、アメリカ等にいる友人たちが、Facebookにメッセージを寄せてくれた。もちろん日本からも。こうした心のプレゼントがとても嬉しい一日だった。
このメッセージカードの写真は、よくケープタウンで居候させてもらう友人のお庭。今は夏。友人は休日には一日中ここに座って、草むしりをし、お花たちと会話をしていた。