Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

水彩画教室と水泳

しばらくお休みをしていた水彩画教室に行く。今日は細い線で輪郭を描くように言われる。色塗りが難しくなるのだろうか。とにかく0.03ポイントのペンで描く。細いところや、樹木や木々の描き方がわからない。場所はドイツのワイマールだそうだ。

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こまかな観察が大事なのだろう。精神を集中して描く。

 この前描いたのは、サンフランシスコだった。

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 水彩画が終わったあと、プールで泳ぐ。ストレスがふっとぶ。今日も暑かったので、泳げてよかった。

 友人が股関節の手術をして近くの病院に入院しているので、お見舞いに行く。元気そうだが、手術のあとが痛むという。母も一緒だったが、人工骨頭の手術は簡単だが、あとの歩行訓練のリハビリが重要だ。日にち薬。

 今日の夕日はとくに美しかった。思わずベランダにでて、カメラのシャッターをきった。

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韓国の食べ物

 韓国では必ず焼肉を食べる。テーブルの上に設置されたコンロには炭が運ばれてきて、瓦斯の火でしたから燃やす。天井から吊るされたコンロの中心に煙を吸い取る煙突のようなものがある。これが優れもので、下の炭火を勢いよくおこす。その火力でうまくお肉が焼ける。係りの人が必ず付いて、お肉を焼いてくれる。そして大きなお肉の塊をハサミで小さく食べやすく切ってくれる。こういうのも楽しい。

 日本では小さく切ったお肉が出てきて、それをそれぞれが好きなように焼いて食べる。韓国のように大きな肉を一気に焼いて、小さく切ってから一斉に皆んなで食べるという習慣なのだろう。

 南アフリカでは大きなお肉の塊を何枚も焼くが、それらが全て焼き終わってから食べる。最初に焼いた肉はもう冷たくなっているが、全部が焼き終わってから、みんなで分け合いながら食べていく。

日本のように、焼きながら食べるのであれば、一人がどれだけ食べたか、わからないこともあるし、なかなかお肉が回ってこないこともある。それぞれのやり方は文化だといつも思う。

 サンギョップル(豚の三枚肉)をサンチュやエゴマの葉で食べた。カルビも美味しかった。

 ビビンバ、冷麺、キンパ、アワビのお粥、チャプチェ、水餃子のようなマンドゥ、タットリタンなどを食べた。お茶は五味茶をいただいた。少し甘かったが、ほっとするお茶だった。健康に良さそう。

 いろいろ食べたが、香辛料の効いた食べ物にはだんだん遠ざかっていく。年のせいだと思った。

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8月17日から19日まで韓国旅行

 8月17日、京都で娘と二人の孫と合流し、7時13分発、関空特急「はるか」で関空まで行く。アシアナ航空10時50分発、1時間40分ほどで、ソウル着。時差なしなので、まるで国内旅行とあまり変わりがない。韓国へはこれまで難度も行っているので、余計にそう感じるのかもしれない。

 最初に韓国に行ったのは、アメリカへ行くのに、ソウルで飛行機を乗り換え、アンカレッジを経由し、何時間もかかったことを覚えている。なぜそういう行き方をしたのか、はっきりとした記憶はないが、ほぼ30年前のことだった。韓国をよく知る友人の勧めで、韓国のホテルで一泊した。現在のように高層ビルがまだそれほど立ち並んでいない時代だった。日本が朝鮮半島を植民地支配し、韓国側に歴然とした反日感情が強くあったようにも思う。

 それから、韓国内の政治状況の変化、日本の変化のなかで日韓の交流が盛んになり、人と物の往来がある。私自身、すでに韓国には10回も足を運んだ。梨花女子大で開催された国際女性学会には大挙して日本からの多くの参加があり、研究交流があった。夕方から始まった公園のような広場で全体集会があり、当時の大統領の妻がこの会議を歓迎し、女性の活動を支持したスピーチがすばらしかったことをいまでも覚えている。日本では絶対に国際女性学会などはできないと思った。政府も誰も、女性に関わる研究も活動も支援しないからだ。

 イイサドンでは、キムチ・ミュージアムに入った。キムチと韓国伝統文化や生活様式との深い関わりに触れることができた。イイサドンの中にある国際刺繍店を覗くのが好きで、女性たちの手作りの刺繍作品やポシャギ(パッチワーク)をみる。すばらしい布の組み合わせや、色糸で刺繍した模様は、さまざまに想像を巡らせてくれる。

 女性たちのキムチ作りにしても、ポシャギ作りにしても、日常生活を豊かにする手段であり、伝統文化を継承する女たちの意思力だと思った。

 韓国の食べ物をできるだけ食べた。東天問のタッカンマリ通りと言われるところで、タッカンマリを食べた。4人なので、鶏を2羽丸ごとを大鍋に入れ、ネギ、トッポギ、ジャガイモなどをスープで炊き出す。なんとも言えない優しい味。大胆な料理でしかも栄養満点。大勢で食べるのにとても賑やかでいい。韓国のどんな料理を注文しても、必ずキムチとお漬物類が付いてくる。しかもお代わりをお願いしてもいい。

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敗戦の日 NHKスペシャル 「戦慄の記憶 インパール」

 8月のこの時期になると戦争時のドキュメンタリーが放映される。今日はNHKスペシャル「戦慄の記憶 インパール」を観た。12日に放映された「本土空襲 全記録」に続くもの。インパール作戦を指揮したとされる陸軍中将牟田口廉也が残した資料をもとにして構成されたもので、当時の生々しい状況が明らかになった。前回にも続き、新たな資料が出てきて、戦争の全貌を明らかにしようとするものだ。72年も経つ今頃になぜ?という思いはあるが、「インパール作戦」に具体的に関わった牟田口氏の孫の思いに負うところが大きい。次々と兵士として駆り出された人びとが、飢えと病気で次々と倒れていき、その屍を超えて生き残った人たちが見た悲惨な状況は固く口を閉ざされてきた。だが、高齢になり、当時書き記した資料が出てきて、重い口を開く人もいた。もう二度と戦争をしてはいけないという大きな教訓を残してくれた。戦争は人殺しの場であり、国家の名において若い命を無駄死にさせるものだ。

 8月だけが戦争について考える時間であってはならないと思った。

72年前のことではなく、今現実に北朝鮮がアメリカのグアムに向けて弾道ミサイルを発射すると威嚇している。日本の中国、四国の上空を通過するとのことで、PAC3 が準備され、ミサイルと打ち落すといわれている。もしこんなことが起これば、戦争になる。安倍政権がこの間法整備をして戦争への道を開いてきたことを正当化することになる。

 NHKスペシャルの番組は単なる過去の出来事ではなく、人類にとっての将来への警告でなければ、何の意味もない。

 

 

8月14日 母の初盆お参り

 8月14日、妹と娘との3人で母の初盆のお参りに行った。母が亡くなってちょうど5ヶ月が経つ。月日の経つのは早いものだと思う。4月末の49日の日に母が住んでいたマンションに行ったきり、3ヶ月半はどうしても母の家に行く気になれなかった。いろいろと兄の家ともめているのが理由だが、それでも母の遺品を片づけなければならない。少し片づけ始めた。引き出しの中から出てくる、写真や手紙やハガキ類を見ていると、母の暮らしが蘇る。一緒に旅行に行った時の様子や様々な場面で交わした言葉などが聞こえてくるようだ。母は娘たちや孫が送った写真や手紙類をきちっと取っておいて、整理してあった。涙が出そうだった。

 何十年も暮らした生活がまるまるそこにあり、主だけがいない。どこかから、「それは捨てないで」と聞こえてきそうだった。

 以前に友人から、シェルターに身を寄せている人たちに必要なものがたくさんあるので、生活用品や洋服を支援できないかという話をしていたことがあった。母が使っていたものを何らかの形で利用していただけないかと思った。早速メールをして、連絡先を聞いた。連絡をとってみようと思う。

 8月15日、朝から小雨が降る曇り空だった。少し涼しいので、しのぎやすい。朝から何度か洗濯をする。冷蔵庫の中の野菜たちを整理し、ピックルズを2種類作る。一つは、白菜とキュウリを古典的な塩漬けにしたピックルズ。もう一つは、サイコロ型に切った野菜を便利酢でピックルズにした。きゅうり、人参、セロリー、玉ねぎ、シシトウ、キャベツなどで作った。

 南京の煮物。こんにゃくと生姜を甘辛い味で煮物にした。レンコンの甘酢づけ。昔の人たちの知恵を借りて、箸休めのおかずを作る。

 昼食にカレーそうめんを作った。残り物の野菜スープを冷蔵庫から取り出し、冷凍庫に入っていた魚介類と、カレー粉とスパイスを加えてカレーを作った。そうめんを湯がいて、その上にカレーをかけた。初めての試みだが、とても喉越しが良く美味しくいただけた。そうめんを極細のスパゲティと考えればこんな食べ方もOKかも。

トマトとカイワレをトッピングに加え、トーストしたパンを添えた。ブルーベリーソースと一緒に。

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お盆月の墓参り(8月12日)

 夫の両親が眠るお墓にお参りに出かけた。尼崎の街の中にある墓場なので、交通の便はいい。これまでは車で出かけていたが、最近では何度かJRとバスを乗り継いで行ける。私の両親のお墓は高知にあるので、一日ではなかかな行きにくい。先日母の納骨に墓参したので、初盆だが墓参りはしないが、夫の両親の墓には年に最低4回、年末、春と秋のお彼岸、夏のお盆には、行くことにしている。

 共同墓地なので、親戚の墓も周辺にあり、すでにお参りに来ていることは、新しい花が供えられていることからわかる。日本では墓の制度は全く家制度の継承と名残だと思う。夫の家は宗派が浄土真宗なので、お寺の住職さんのお話では、人が死んだ時には、すでに仏さまになって天国に行っているので、盆には仏壇に戻ってこないという。他の宗派では、例えば私の実家は、真言宗なので、お盆には、食事とお供え物で亡くなった先祖を迎え入れる週間がある。

 いずれにしろ、どんな方法であれ、お盆の時期になると亡くなった人を思い出すのは悪くない週間かもしれない。

 京都では8月16日にお盆に帰ってきた先祖をあの世に送り届けるために、五山の山焼きであの世への道を照らす行事がある。山に火が舞い上がるその瞬間は、厳かな気分になる。

アイソトープ検査(8月8日)

 夫がアイソトープ検査を受けることになった。8日〜10日まで検査入院した。検査を受ける前にいろいろと説明を受けた。夫はアイソトープ検査だけを受け、その結果によって判断したいという。先生はそれを了解した。9日の午前中の検査はあっという間に済んだ。20分ほどの検査だが、その前の準備に時間がかかった。結果は大動脈に狭窄ができているので、それを拡張する必要があるそうだ。説明を聞き、コンピュータ画面でどのように血管がどうなり、どのように血液が送られているのかがよくわかった。

 再度入院して血管を拡張することになった。その措置は簡単だそうだ。実際には今回の検査の際にそれが見つかったら、その時に措置するのだが、夫はそれを極力避けたので、再度入院してそのための措置をする。慎重な性格なのでそれはそれで仕方がない。多くの人がこうした検査で心筋梗塞や心臓麻痺を防げるようになったという。医学の進歩には脱帽だ。

 そういうわけでこの3日間は夫の入院で病院と家を往復した。ひとまず安心。