Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

8月24日 

 ここしばらく、Webサイト作りに挑戦している。あれこれ試行錯誤でやってみるも、最終的にはどのようなページを構築するかのイメージをはっきりさせることが重要。やり方は、色々あるが、ほぼ多くはビジネスに繋がっていて、課金される。ならば、面倒でも独自でhtml言語で書いていくしかないという結論になり始めている。細かな作業が多いので、どこかのテンプレートを利用するのがいいのはわかっているが。。。。

8月21日。久しぶりに筋トレジムに行く。依然として肩の筋力が落ちているので、なかなか痛みが取れないが、筋肉をつけるための運動をしなければと思う。少し暑さが和らいできたので、わずか30分の運動は適度でいい。気分が爽やかになる。

8月22日。 久しぶりに眼科に目薬をもらいに行った。先生はよくみてくださり、目の中の変化をしっかりと教えてくれるので、安心。ドライアイの目薬をさすだけでも、物の見え方が違う。

8月23日。Webページ作成と格闘。合間に水筒入れ袋を作る。袋作りは気晴らし。布はウィリアム・モリスの絵柄。カーテンの端切れ。よく行っていた家具屋さんが店じまいをするので、カーテンの端切れを販売していたので、その時に購入したもの。長年使ったファイル手帳のカバー。

 

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 あおり運転のことがニュースで流れる。私も車を乗っていた頃、名神高速道路で何回かあおり運転にあったことがある。向こうは面白がっているのだろうが、こっちはヒヤヒヤしながらの運転で危険だし、精神的に動揺する。あおり運転だけでなく、私の運転に対していちゃもんをつけてきた男性が何人かいる。一度は「メンチを切った」と言いがかり。全く私にはそのつもりはないが、信号待ちの時に降りてきて、私の車を蹴ったり、叩いたりした。もう一度は、クロネコヤマトに物を持って行った時、横で止まっていた車を追い抜いたというものだった。私にはそうは見えなかった。クロネコヤマトの駐車場にその車も入り、運転手が怒鳴り散らした。クロネコヤマトで働いている人たちは何人もじっとみているだけで、何もしない。私は車にロックをかけていたので、無視したのだが、その態度にも激怒したようだ。主として、男性はちょっとしたことで、自分勝手なことで、切れる。そして弱いものをいじめる。嫌な世の中だ。

 

8月17日 iPod classicの故障

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    20年近く使ってきたiPodがいよいよダメになった。最近ではiPhoneで音楽を聴く人たちが増えたので、iPodウォークマンやカセットのような機器が消えていく。これまで蓄積していた音楽を気軽に再生されなくなり、不便だが時代の流れなのかもしれない。 

 音楽自体は私のMacと連動していて、そこに同期されているので、すべての音楽を失ったわけではないが、これからは持ち歩けないのが不便。音声ジャックで、Boseにつなげば聞けるには聞けるが、Macとも繋がっているので不要。それで悲しいがお蔵入り。

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 ベランダで、3番咲きのバラが元気に咲いている。一番花よりか小さくなっているのは肥料が足りないのだろうか。バラの手入れに注意するようになり、小さな変化をも見逃さなくなったが、まだまだ知らないこともたくさんある。この次の「大人の小学校」のバラの手入れ教室で教わろう。

    ここ2、3日、アフリカ文学研究会のホームページを更新するために、新しいホームページ作りに挑戦している。これまで最も原始的なやり方で作ってきたが、今ではホームページを様々なテンプレートを使って、簡単にできるようになった。ワードプレスという最も知られるソフトで作ってみたが、どうしても私が今まで使っているサイトには繋がらないので、思い切って電話で尋ねてみた。すると私が入っている京都アイネットワードプレスと対応していないことがわかった。ワードプレスのソフトを購入したばかりで、すでに支払い済みだった。それをキャンセルするのにワードプレスのサポーターにメッセージを送った。英語のみでのやり取りと言われて、しばらくのやりとりの後、ようやくキャンセルできた。

 さて、私のコンピュータはMacなので、これまた日本では圧倒的多数がWindowsを使っているので、それに対応したソフトは多いが、Macに対応したソフトはごく限られてくる。少しお手上げ状態。ブログのように、文章を書いたり、写真を挿入したりするのは、簡単でいいのだが、このHatenaをホームページに変えられないか、ちょっと考えてみようかと思った。

アフリカ文学研究会:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/keiko-ku/Africa

をここに貼り付けてみる。このページでも読めるが、書式がバラバラに乱れているので、手直ししなければ。。。。

  

8月16日 大文字山焼

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    8月16日は、京都の5山の送り火の日。お盆に帰ってきた先祖をあの世に送り返す道を照らすために、京都の北山の5山に火が灯る。夜の8時から、東から大文字、妙・法、舟形、左大文字が夜空を照らす。

 うちの前には賀茂川が流れ、その向こう側には船形の山がある。近所の方たちは川原に出て、山焼きを見守るが、我が家ではベランダから見るのを恒例としている。今年は娘家族と一緒に見た。夕食を早めに済ませ、夜の8時大文字に火が付く。それから、5分おきに次々と五山が点火される。舟形は8時10分ごろ。

 先祖たちはこの船に乗って、西国にある極楽浄土へ向かうという。少しばかりの時間、先祖への思いをはせる。

 深夜にN H Kが映画「ひろしま」を放映した。1953年に日教組プロが制作、関川秀雄監督による。1955年にはベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞した作品。原爆によって広島の8万8000人の人たちが被害にあい、そのすざましい光景には目を覆いたくなるほどだった。原爆の惨状と恐怖、戦争の残酷さが照らし出されていた。よくこのような状況を映像化して歴史に残してくれたと思った。この出来事は決して忘れてはいけない。日本は唯一原爆の被害国で、その恐ろしさを知っている。にも関わらず、日本政府は核兵器禁止条約には批准せずに、アメリカの核の脅威の加担に回っている。2017年のノーベル平和賞核兵器廃絶国際キャンペーンICAN)に授与された時にも、日本政府はピースボートや日本の被爆者たちの努力を全く無視した。恥ずかしい行為である。

 中沢啓治の『はだしのゲン』も学校図書館から閉架措置が取られ、歴史を忘れ去らせる力が働いているように思えてならない。安倍首相が憲法改悪を狙っていることと、連動して恐ろしさを感じる。戦後74年が経つが、8月のこの時期だけでなく、戦争の記憶は語り継がれなければならないと強く思った。

 8月17日。久びさに「大人の小学校」の水彩画教室に参加した。イタリアのヴェネティアにあるブラーノ島の街並みを描いた。家々の壁がカラフルなことで有名。7月にスケッチしたものに彩色した。美しい色に仕上げるのと、小さな画紙に書き込んだ小さな窓枠や、人の動きを細かく丁寧に塗っていくのは難しい。

 水彩画教室の後、プールで泳ぐ。プールの水温もかなりにあがっているように思った。水の中は快適。

8月7日から15日まで

 あっと言う間に一週間が過ぎた。時間はどんどんすぎていく。ようやく机の前に座ったかと思うと、一週間が過ぎていた。この暑さに、何もしたくない。こんな時こそ、大掃除をすると充実感がある。あちこちに埃が溜まっていて、拭き掃除を念入りにした。これまで見ないようにしてきた所が気になり始めた。冷蔵庫の中や、食品棚など。中のものを全部取り出して、整理をした。

 最近、16年間使った食洗機が不具合になったので、取り替えた。新式の機械だけあり、すごく時短で食器が洗えるのはありがたい。7月末に設置してもらってから、大阪ガスから電話があり、再点検をしたいとのことで、以前に設置してくれた方が来られた。排水パイプがなんとなく中途半端で気になっていたという。そのために、レンジの横にある排水管を調べるために、その周辺の引き出しを全部引き出した。鍋類や大小の保存容器などがいっぱい詰まっていた。日頃使わないものは、この機会に処分することができた。出来るだけシンプルでストレスのない生活を心がけようと思った。おかげで、食洗機もスムーズに運転している。

 12日には、お墓まいりに行った。夫の両親のお墓は尼崎の町の中にあるので、京都から出かけるには、ほどほどの距離なので、助かる。京都から大阪まではJRは満員でずっと立っていた。大きな荷物を持つ人たちが、西へ東へと大移動している。今年のお盆は人によっては9連休もあるという。毎日のように報道される台風情報で、多くの人たちは翻弄されているが、それでもおじいちゃん、おばあちゃんの待つ「実家」への帰省がこの時期に集中するのは「習慣」なのか「伝統」なのかよく分からない。企業も段階式のお休みを7月から8月にかけて2ヶ月間の間に組み入れれば、こんなに集中することもないのに。相変わらず、海難事故、交通事故がこの間に集中しているのは、こうした無理な窮屈なお休みのせいではないかと思う。

 お盆の期間は、全くニュースがないかのように、台風ばかりの報道。もちろん自然災害は人間の力ではどうにも止められないので、重要だが、テレビの場合は画面の下にテレップで情報を流してくれればいい。毎日、毎時間、鬼気迫るような声で雨が、風が、列車が、飛行機がどうだかと繰り返す。

 そんな中、映画を観た。「16歳、戦火の恋」。原題は Where hands touch. 監督はガーナ人の両親をもつアマ・アサンテ。ロンドン在住。

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 時代は1944年、場所はドイツのベルリン。ドイツのナチスユダヤ人狩りを強め、ホロコーストが実際に行われていた時代に、アフリカ人の血を引くドイツ人の混血児に対するあからさまな差別の実話に基づく作品。不妊手術を強制され、その証明書があれば、強制収用所には送られないので、母は愛する娘(レイナ)を守るために偽の証明書を準備する。明らかに純粋ドイツ人だけの国家を目指す、民族浄化運動だったのだが、その証明書は無残に憲兵によって焼き捨てられる。母は娘に代わって連行され、行方が分からなくなる。弟は親戚に預けられ、レイナは一人になるが、強制収用所の食事係の仕事につく。レイナの恋人ルッツはナチスの青年隊に所属。彼の父はナチスの将校。父は息子が自分の指揮下にいると命は助かると思い、息子の戦争への疑問を知りながらも、入隊させていた。偶然にもそこで二人は出会う。ルッツはレイナの身体が衰弱しているのを心配し、密かに食べ物を与えたりする。レイナがルッツの子供を妊娠していることを知り、なんとか強制収用所を脱出することを計画するが、それが発覚し、ルッツは父親の拳銃で撃ち殺される。父親の息子に対する歪んだ形の愛なのかもしれない。戦争が終結直前のことだった。

 悲嘆にくれたレイナは戦後、生きる気力も失い、呆然と街をさまよっているときに、母と弟に出会う。母は娘が大きなお腹を抱えているのを見て、喜ぶ。子供は愛の結晶として生まれてくるものであり、我が子を不妊手術から守ったことに安心する。母は娘にアフリカ人の血が混じっていても、それを誇りに生きてきたので、娘が人間の命を繋いだことを喜ぶ。レイナも母の子供で良かったことを確認するシーンで終わる。戦争とは人殺し、人間性を抹殺する行為であることを静かに訴えた作品だった。人種とは何なのかを考えさせられた。

 この映画は、ネット配信で購入した。私はドコモと携帯電話の契約をしているので、毎月500円支払って、dTVとdマガジンを購読している。映画は見放題だが、時々、新作ものは課金がある。今回の「16歳、戦火の恋」は商業映画館で上映していないようなので、400円でレンタルしてみた。映画館に行って入場料を払うよりは、安くて簡単だ。そして調べてみると、今アマゾンが映画を見放題というキャッチフレーズで、視聴者を獲得する商法に出ている。他にも、 Google play, Rakuten TV, iTunes, prime Videoなど様々なネット配信があるのを知って驚いた。もう映画館に行って映画を見るのではなく、携帯やコンピュータから、T Vの大きな画面に繋いで、自宅で映画を見る時代がやってきたように思う。

8月6日 習字のおけいこ

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 習字のおけいこに出かけた。「背芒面洛 浮渭據涇」の前半を書いた。

意味は背後に芒山(山の名)、前は洛水(川の名)に面している。東の洛陽の地形のことらしい。意味を理解すれば、文字が活きてくる。

 この「千字文」はなかなかの内容があり、千の異なる文字で詩文を表したというのであるから、それは一つひとつの文字に対するかなりの知識が要求される。

 

 習字の後、久しぶりに整体に行った。整体の先生はバイクで転んで、鎖骨をおり、手術でしばらくお休みになった。怪我をされたのだが、バイク転倒で命に別状がないことが何よりだ。長年ここで仕事をされている方から整体を受けた。違った角度から私の体の診断があり、納得もできた。とても上手なので、この次も整体を受けてみようと思った。

 その後、知人の家でパソコンで画像の処理の方法、パワーポイントの使い方を教える。彼女いわく、パワーポイントを使った授業には抵抗があったという。私は学生に画像を見せたり、音声を聞かせたりして、臨場感を持ってもらうには最適だと思っていたので、パワーポイントで授業の準備をするのは好きなほうだった。

 1945年8月6日。広島に人類初の原子爆弾が投下された。日本は世界で唯一の被爆国でありながら、なぜ日本政府は核兵器廃絶に向けた条約に署名・批准しないのか。世界の先頭を切って行うのが当然なのに、アメリカの顔色を伺わなければならないのは、なぜか。参議院選挙前にトランプ大統領と密約したことが徐々に明らかにされる。なぜ、戦闘機を大量に購入し、沖縄や日本に駐留するアメリカ兵のために多額の費用を支払うという。台風や地震災害で被災した人たち、広島や長崎で今もなお苦しんでおられる人たちの心に寄り添わない政策を進めるのか、普通の心を持っている人なら、おかしいと思うだろう。今日のニュースは、「核なき世界」を求める広島の被爆者と安倍首相の会見は、全くの平行線。安倍首相、あなたの行動は恥ずかしくないのか。世界中の笑い者であっても、トランプ大統領についていくのか。

 

8月5日 函館山に百合を見にいく

 友人の誘いで、滋賀県函館山スキー場に百合の花を見にいく。夏場のスキー場は何もしないのはあまりにももったいないので、ずいぶん前に百合の花を植えた。朝9時30分出発で、途中近江今津にある「西友」でランチにウナギの「ひつまぶし」を食べた。

西友」は、古くからある川魚やウナギの料理で有名なお店だそうだ。秘伝のタレをつけて、炭火焼きにしたウナギとはとても美味しかった。夏には欠かせない料理の一つで、元気の元となるのは納得。

 箱館山の夏は、標高650メートルのところに約50種類、250万輪の百合の花が咲く。お天気が良かったので、琵琶湖が一望でき、竹生島も湖東にある伊吹山もよく見えた。高島ちぢみで作った「虹のカーテン」も素敵だった。何よりも山に吹く風が爽やかで、しばらく暑さを忘れさせてくれた。リフトで上がった先に、コキアの花畑があった。今は緑々しているが、秋には赤く染まるのだろう。コキアの手前にはクロコスミアという。帰って調べてみると、やはり和名ヒメオウギスイセンで、原産地は南アフリカだった。南アフリカでよく見かけたことも思い出した。

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 今回のドライブは、いつもの3人のメンバーなので、いつものコースに入っている朽木温泉でのんびり汗を流して、地元の野菜と高島縮の布を購入した。

 

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕3日目で中止された。明らかに政治的介入と暴力・脅迫によるものだ。津田大介芸術監督は、この芸術祭のコンセプトを「情の時代」として問題提起した。彼によると、

「現在、世界は共通の悩みを抱えている。テロの頻発、国内労働者の雇用削減、治安や生活苦への不安。欧米では難民や移民への忌避感がかつてないほどに高まり、2016年にはイギリスがEUからの離脱を決定。アメリカでは自国第一政策を前面に掲げるトランプ大統領が選出され、ここ日本でも近年は排外主義を隠さない言説の勢いが増している。源泉にあるのは不安だ。先行きがわからないという不安。安全が脅かされ、危険に晒(さら)されるのではないのかという不安。」(津田大介『情の時代』コンセプト)

 

 この芸術祭を企画した津田さんたちは、企画展が中止されたことに対して抗議した。

「私たちが求めるのは暴力とは真逆の、時間のかかる読解と地道な理解への道筋です。個々の意見や立場の違いを尊重し、すべての人びとに開かれた議論と、その実現のための芸術祭です。私たちは、ここに、政治的圧力や脅迫から自由である芸術祭の回復と継続、安全が担保された上での自由闊達(かったつ)な議論の場が開かれることを求めます。私たちは連帯し、共に考え、新たな答えを導き出すことを諦めません。」

 

 最近では、「表現の自由」が恐ろしく政治的権力で弾圧され、暴力的言論により萎縮させられる状況を恐ろしく思うのは、芸術家だけではなく、ごく日常を、ごく当たり前に生きている人たちの言葉への検閲がこうして始まっていることだ。

うだるような暑さ

 この暑さは何とかならないのか。来年のオリンピック、本当にやれるのだろうか。毎日、熱中症でたくさんの方が命を落としている。朝から冷房の効いた部屋にいるが、何度も何度もお茶を飲んでいる。私は水はあまり好きではないので、麦茶をやかんで沸かして、冷まして飲んでいる。一日2リットルは飲むようにしている。小さなペットボトルは500mlだから、4本分くらい。夜だけでも500mlは飲む。

 ベランダの植木がねをあげている。朝早く高知へ出かけた日は、朝の水やりをしていなかったので、翌日よく見ると、紫陽花の葉っぱがしなっていた。他のものはどうもなかったが、植物もこの暑さに相当こたえている。

 作りおきパンの生地で、クルミや落花生などの豆類を生地に練りこんで焼いてみた。アンデルセンなどで購入するパンと変わらないほどの出来栄えに大満足。お昼は島原のそうめん。いつもは頂きものの三輪のそうめんだったが、今年はお取り寄せの島原のそうめんをせっせと食べている。喉ごしがいいので、ほぼお昼はおそうめん。

 国際芸術祭「愛知トリエンナーレ2019」で「表現の不自由展・その後」で展示されていた慰安婦の少女像が撤去されるという。韓国の日本大使館前に据えられていたこの少女像。ますます表現の不自由さが出てくる。「従軍慰安婦」の問題にせよ、植民地主義の問題にせよ、日本は対朝鮮半島の問題とまともに向き合ってこなかった歴史のツケが露呈している。現実に歴史の中で起こった問題も、まるでなかったかのようにしようとする歴史修正主義日本会議の考え方が、政治を支配しているから、ますますややっこしくなっている。

 Facebookは時には役立つと思った。メールよりは簡単に連絡が取れる。昨夜もアメリカにいる友人から長いメッセージがきた。しばらくやり取りをした。家族の問題で精神的に混乱していたが、お互いの意見を言い合う中で、問題解決の道筋が見えてきたという。別に他人の意見を必要とするまでもないのだが、確信したかっただけだろうが、長年の友人、言葉も環境も、国籍も違う地球の果てにいる友人からのメッセージを読んで、何か納得するもの、確信するものが見つかったとすれば、嬉しい。ネット上でいつでも、どこでも、人と人がつながっているネットの世界を30年前に誰が想像しただろうか。

 ますますネット社会が進んでいくのだから、人種差別や性差別などがない、人に優しい社会ができるといいのにと思う。ネット上で、顔が見えないから、身元がわからないから、何でも人を貶めることを書き込んでいいはずはない。あまりにも無責任な自分勝手な意見を書き込んでいいはずはない。

 もう少し、人に対して優しい社会ができないだろうかと日々思う。写真は鴨川の土手のサルスベリの木。下はワルナスビの花たち。

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