Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

中東の不確実性と時代祭り

 サウジアラビアのジャーナリスト・ジャマル・カショジさんがトルコのイスタンブールにあるサウジ総領事館内で殺害された。サウジアラビアの皇太子が関与しているともいわれるが、サウジ側は必死で否定している。一方、トルコのエルドアン大統領はサウジ総領事館内でカショジ記者が殺されたと主張している。

 サウジアラビアのムハマド・ビン・サルマン皇太子と電話で話した直後に殺されていることから、皇太子の関与があったとみられる。領事館という治外法権がある場で暗殺されたとなると、これはひどい話だが、サウジ側は皇太子の関与はなかったと主張している。

 こうした論理の展開は、日本の安倍首相を必死で守ろうとする取り巻き連中のやり口と同根のものと感じる。現代社会においてこんな人権無視の暴力を許してはならないと思う。独裁国家、独裁者の暴挙はあまりにも前近代的だ。

 サウジアラビア独裁国家をトランプは支持しているが、この問題をアメリカはどう解決するのだろうか。アメリカ追随の安倍首相はどうするのだろうか。

 

 22日は京都では時代祭だった。午前中娘の用事に付き合い、昼食を共にした後、娘に烏丸御池まで車に乗せてもらった。ちょうど時代祭りの行列が御所を出て御池に差し掛かる頃だった。明治時代から始まり、時代は後に遡っていく。しばらく御池の角で観ていた。

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ちょうど北行きのバスが停まったので、バスにとび乗った。バスは、烏丸通を北に向かっていたので、時代祭りをバスの窓から見ることができた。艶やかな姿でゆっくり進む行列は見事だった。京都に45年も暮らしていると、何度も時代祭りを観てきたが、同じ時代祭りでもその時々で違って見える。ケープタウンから遊びに来た友人たちと一度は御池通りで、別の友人とは御所の中で席料を払って観たことがある。御所の中で特等席を手に入れたのは、前日が雨で中止になり、予定を変更できない旅行者たちの席が空いていたからだった。偶然にも椅子席で時代祭りを間近に最初から最後まで見物できた。立派なパンフレットを手にして、詳しい説明を聞きながら楽しんだ。日本の歴史を再確認できた。

 

 

 

 

10月20日 ウォーレ・ショインカさんの講演

 10月20日京都精華大学ノーベル文学賞の受賞者ウォーレ・ショインカさんが講演をした。朝日新聞社主催の行事だったが、今京都精華大学の学長ウスビ・サコさんはアフリカのマリ出身で日本で初のアフリカ人学長なので、この催しが実現した。

 まずショインカさんの基調講演があった。続いて、ショインカさんとサコさん二人のアフリカ人が、朝日新聞社の安東建さんの司会で、対談という形式をとった。残念なのは、会場からいくつもの質問があったが、それらはうまく利用されず、会場との対話ができなかったのは残念だった。

 公表されていたシンポジウムのタイトルは、「グローバル化された世界における「表現」の未来」だったが、「表現」の話題というよりは、主として「教育」の問題を中心に話された。

 ショインカさんは自らの経験から科学する心の重要性を語った。科学的に、論理的に思考する道筋と、創造力を開発する努力とは矛盾しないものだという。人間は進化の過程にいて、まだまだ成長していかなければならない。そのためには様々に巡らされた境界線を越えていく努力が必要だという。何ものにも囚われず、挑戦していく精神が大切だと語った。

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ショインカさんに最初に出会ったのは、1986年ノーベル賞を受賞した翌年だったと思う。たまたま訪れていたロンドンのコベント・ガーデンにあるアフリカ・センターの螺旋階段で出会った。簡単な挨拶を交わしたあと、ショインカさんはすぐに日本に行くよと言われた。大阪で開催されされた「人類の創造力は永遠か」(大阪青年会議所毎日放送毎日新聞社共催)の国際シンポジウム(大阪国際交流センター)に招待されていた。その直後、宮本正興がショインカと対談し、その様子は毎日新聞に掲載された。極めてインテレクチュアルな人だが、誰にでも優しく接する人だという印象を得た。

 その後も、私が参加するアフリカ文学会にも招待され、スピーチをされた。ショインカさんの妹が働くカンサス大学や、最近ではドイツのバイロイト大学にもこられた。昨年はロンドン大学で開催された「マケレレ大学会議から50年」のシンポジウムでスピーチをされた。そこでもお会いした。今年84歳になられるが、全くずっと同じく年齢を感じさせない、声には張りがあり、主張は明晰だった。

 かなり前には、ナイジェリアの詩人で環境問題の活動家ケン・サロウィワが公衆の面前で処刑されたとき、ナイジェリア政府に抗議して亡命した。そして最近ではアメリカではトランプが大統領になったことで、アメリカのグリーンカードを返還した。表現の自由を求めて、現実の政治状況とも闘ってきた人だ。

 私が京都精華大学に勤めていた頃には、二度アフリカ人作家会議を開催し、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴや、南アフリカの作家デニス・ブルータス、ウィリー・コティティレ、チナ・ムショーペなどが熱くアフリカ人作家としての役割を語った。それと同じ場所で、ショインカが私たちに向けて語っていることを感慨深く受け止めた。

 久しぶりに、東京、広島、大阪、奈良などから駆けつけた日本のアフリカ文学研究者とも出会えた。京都精華大学に感謝。

 会議終了後、京都駅の近くでショインカさんを交えて、夕食会があった。私はショインカさんの妹さんとも友人であることを伝えると、携帯電話を取り出し、電話をしようかと気さくに言っていた。とてもチャーミングな一面を見せる。写真はその時のもの。

 

 

 

きょうだいが集う

10月15日。夫の77歳の誕生日会に、夫の女きょうだい3人とそのお連れ合い2人、私の妹がやってきた。総勢8人のシニアたちが久しぶりに顔を合わせた。義父母がいた頃はお正月に我が家にやってきた。義母が亡くなってからは、きょうだいが集まることは法事のとき以外はないので、久しぶりのことだった。

 最近よく作るローストビーフを用意した。あとはちらし寿司、チキン野菜巻き、白和え、サラダ、松茸のお吸い物などを作った。夫の妹の一人が筑前煮と赤飯を持ってきてくれた。

 

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娘から送られた花束。

 

今日も用がある

10月8日、水彩画教室。インドネシアの歴史的建造物と周囲の風景を写真を見ながら描く。とても細かな建築物なので、うまくかけない。先生の彩色の作り方や、塗り方を手本にするが、とても難しい。作品が出来上がって行く過程を楽しもうと思う。

10月9日、書道教室。書いた文字は、「孔懐兄弟 同気連枝」の前半。「はなはだ なじみ合うのが兄弟というものである。気を同じくして同一の親に連枝しているからである。」ということらしい。

10月10日、眼科で白内障の経過を診察してもらう。近くの手元はよく見えるようになった。しかし、遠くは見えにくいので、視力検査をしてもらった。処方箋を書いていただき、いつもの眼鏡屋さんでメガネを作ってもらうことにした。出来上がるまで数日かかるが、日常生活には何の不自由もなく、何十年ぶりの、眼鏡なしの生活に感動している。それでも遠くもよく見たいと思う気持ちになってきたので、眼鏡を作ることにした。

 10月11日、いつもの友人たちと比叡山系にあるびわ湖バレイ・スキー場にドライブに行く。あいにくの小雨模様のお天気で、ロープウェイからの琵琶湖の景色はぼんやりとしか見えなかった。眼下の比叡山系の山肌は少し紅葉が始まっている気配を感じ取れた。ブッフェ形式のランチを食べながら、歓談をしながら、遠くの景色を眺めていたが、靄か霧に包まれた山肌とその向こうの琵琶湖は霞んでいた。晴れていたら、きっと素晴らしい景色に見とれて、ランチも3倍くらい美味しかったかもしれない。シニアーには少し脂っこい料理が多かったように思えた。スキーを楽しんだ若者たちには絶品なのだろうと思いながら、食事よりは会話を楽しんだ。

 京都への帰路、途中雄琴温泉に入りしばしゆっくりした時間を過ごした。ホテルの8階と11階にある内湯と外湯を楽しみ、ガラス越しに見える琵琶湖の眺めは心を安らげてくれた。ほっこりした一日だった。

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 10月12日、フランス語の秋季学期が始まった。フランス語はなかなか身に付かないで、その進歩は遅々たるもの。新しい言葉を学んでも、すぐに忘れてしまう。いくら日常的に使わない言葉だとはいえ、あまりにも成果が出ないのに、がっかりする。

 夜はWANの友人たちと二条城のライトアップを楽しむ予定だったが、ライトアップの期間は終わっていて、夜の二条城が見られなかった。そのあと友人宅で夕食会。お手製のお食事とお話で賑やかな時を過ごす。

⑽月13日。買い物。お米やビールなどの重たいものを買って、持って帰るのが大変になってきた。車に乗っている頃は、全く問題がなかったが。

 娘に頼んで車で運んでもらうことにした。アマゾンでお米も買おうかとか、生協の共同購入に切り替えて、個配を頼もうかとか、色々考えるようになった。今日は娘の世話になったが、歳をとるということは、少しづつ社会生活がうまくできなくなるということだと気づき始めた。

10月14日。朝6時に電話がなった。近くに住む友人から大原の朝市のお誘いだった。友人が運転する車で大原まで15分ほど。車を乗っていた頃は日曜日の朝市は日課だった。今は友人からのお誘いで時々朝市を楽しませてもらっている。

 いつもの花屋さんでお花を購入。センダン、マユミ、小マユミ、ハゼなどの実のある木があった。かなり迷ったがセンダンを購入した。それと秋の可憐な花たち(ほととぎす、野菊、藤袴、コスモス、サクラタデ、ノコンギクヒャクニチソウなど)が小さなブーケを買った。

栴檀は双葉より芳しく」という言葉があるが、ここでの栴檀は実は白檀のことらしい。高野川そいに何本かのセンダンがあるが、四季折々の姿を見るのが楽しみの一つだった。最近は高野川沿いを散歩しなくなったが、そのうちにセンダンを見に行こうと思った。

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コンピューターのいたずら

 コンピューターは一度ごねると、なかなかゆうことを聞かなくなる。何度も何度も同じメッセージに苦しめられることがある。世の中には同じ問題で苦労している人がいるので、ネット検索すれば、必ずその解決策を提示している。

 はてなブログがトラブルに巻き込まれた。私は2台のコンピュータを使っているが、ノートブック型は問題なく使えるが、デスクトップ型の一番新しいコンピュータの方がこれまで問題なく使えていたのに、使えなくなった。あれこれ情報を見ていると、MacのOsがバージョンアップされたものは、環境設定を変える必要があるとのこと。ある項目のチェックを外すだけだが、それを丁寧に指示していなかった。とりあえず、2台のどのコンピュータからもこのブログが書けるようになったので、ひと安心。

 もう一つ、様々な機能がアップしたことで、コンピュータが文字入力すると勝手に次の言葉を想像して、いらない文字が現れる。うっかりしてそのまま確定キーを押すと、とんでもない文章になっている。そのようないらないお節介はやめてほしいが、おそらく今の若い人たちには重宝されているのかもしれない。若者の要求に従って、どんどん機能が進化していく。それに年寄りがついていけなくなったのかも。

   あっという間に一週間が過ぎた。この間も台風騒ぎでざわざわした。10月2日にケープタウンで暮らす知人がその友人と京都にやってきた。植物園で待ち合わせた。私は3人分のお弁当を持参して、のんびりと植物園の中を散策した。ケープタウンにある植物園ほど広くはないが、蝶々が大好きな彼女は小さな花の間を飛び交う蝶々に夢中になっていた。折り紙で様々な色の蝶々を子供たちと一緒におり、レストランなどの壁に蝶々をはりつけ、一大芸術作品を作り上げるような創造的な暮らしを楽しんでいる人だ。

 今は子供たちにヨガを教え、子どもたちが精神的に安定した暮らしができるようお手伝いをしているという。そのためにクラウドファンディングをして目標額を達成した。ケープタウンでの生活をより有意義に暮らす覚悟を話してくれた。

 お弁当を食べるために、東屋風のベンチに行くと、不思議にもアフリカーンス語が聞こえてきた。家族で自転車で京都を観光しているという。南アフリカつながりの、不思議な巡り合わせに感謝した。

 

 

 

 

 

沖縄県知事選挙で玉城さんが当選

 9月30日、大型台風24号のために大幅に予定を変更せざるをえなくなった。新幹線もストップ、関西大手の私鉄もストップ、京都では午後5時から市バスが全線で運休になった。台風は先の21号と比べて、全く台風の影響はなかった。テレビではあちこちで警報が発令されたことが報道され、台風の通り道にある地域には多大な被害をもたらしたと思うが、テレビの画面の下にテレップで出る程度なので、それほどピンとこない。

 沖縄は台風の通り道にあったので、住民の人たちは知事選挙の投票に行けたのか、どうか心配していたが、期日前投票に35%もの人が出かけ、夕方のニュースでは当日投票に出かけた人が15%ほどだという報道があった。期日前投票に出かけた人たちが大勢いたということは、それだけこの選挙を重要視しているのだと思った。

 最終的には63.24%だったそうだ。前回を少し下回ったようだが、それでも多くの人が投票で意思表示をした。素晴らしい。沖縄の人々の意思を尊重される政治を願っているのだろう。

 結果はテレビではあまり報道されなかったが、フェイスブックなどや、ちらっと出たネット報道で野党連合がおす玉城デニーさんが当選したことを知った。明らかに、安倍政権や辺野古移設に賛成する人たちの計らいが沖縄住民によって「ノー」が突きつけられたのだ。

 この選挙前にも、安倍首相はトランプ大統領と単独会見をして、「仲良しぶり」を日本国民に見せつけようとしたが、現実にはトランプ大統領が明かしたように、日本はアメリカから武器を大量に購入する約束をさせられ、日本にとって何一ついいことはなかった。世界じゅうから、「日本はアメリカのポチ」と笑いものにされていることも無視して、安倍首相は日本国民に対して平気で嘘をつく。「モリカケ問題」でも「憲法改正」にしても国民には、まともな説明はしないで嘘をつき続ける。それだけでなく、メディアも牛耳り、圧力をかけ続ける。その一つが沖縄知事選で当選した人についてまともに報じるメディアは少ない。メディアもなぜそれほどにまで安倍首相を恐れる必要があるのか。私にはさっぱりわからない。とにかく、沖縄だけを、安倍政権とトランプ大統領の軍事戦略の犠牲にしてはいけない。沖縄はそれに対して、はっきりと「ノー」を突きつけたのだから。

 予定を変更したことでもう一ついいことがあった。早朝に友人から電話があり、大原の朝市に車で連れて行ったもらった。いつもよりは出店は少なかったが、いつものお花屋さんは、可愛いお花で迎えてくれた。千日紅、ミズヒキソウ、サクラタデ、オオタデ、ダンギク、シラン、ホトトギスケイトウヒャクニチソウなどなどが可愛いく束ねてあった。キンモクセイもいただいた。

部屋中のあちこちにお花を飾って、いい気分転換をした。最後の写真は昨日に入れたばかりのランとカスミソウ

 

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安倍政権が「安泰」な理由がわからない

自民党総裁選の最後の演説を、安倍首相は秋葉原を選んだ。自分の取り巻きや熱狂的ファンの異常なコールに酔いしれているかのようだった。しかし、動員をかけられて、集まってきた自民党員たちが哀れに見えた。何もかも作り上げられた異常な世界。

その前日の朝日テレビの「報道ステーション」に安倍氏と石破氏が現れた。石破氏は真っ当なことを言っていた。安倍氏の支離滅裂な論理に、こんな人を国家の長に長く据えていていいのかと怒りにも似た気持ちになった。

 一つは、石破氏は、森友学園の件で、財務省の職員が自殺した件を取り上げた。それに対する答えとして、安倍氏人間性を疑う言い逃れに呆れた。問題の本質をすり替えることに必死になっている姿に怒りを覚えた。さらに司会者が、公務員は利害関係者からの接待などは禁止されているという例を挙げ、加計理事長と頻繁にゴルフをしたことを尋ねた際に、安倍氏はとんでもない返答をした。「ゴルフに対する偏見」と捉え、テニスやら何やらならいいのかと詭弁をまくしたてた。テレビを見ていた人は唖然としたはずだ。問題のすり替え、子供じみた詭弁には呆れる。こんな論理の展開しかできない人が、なぜ総理大臣なのだろう。自民党も腐っている。そんな腐った自民党、腐った総理をよしとする愚民政治をどうすれば変えられるのだろうか。

 「外交に強い安倍総理」とメディアも囃し立てる。外国にばかりお金をばらまき、いい顔をさせてきた。50数兆円もばらまき、北海道の被災者にはたったの5億。昨年から被災している地域は全く再興されずに、苦しんでいる。早く自民党政治を終わらせなければ。安倍首相は、自らの詐欺行為、欺瞞をいつになれば気づくのか。「裸の王様」を操りたい極悪な政治家の高笑いが聞こえてきそうだ。

 

 時々、顔を出している「大人の小学校」で、バラの手入れがあった。先週と今週の火曜日に参加した。5階建ての建物の東側の壁面に様々な種類のバラがつるを伸ばして、開花期にはとても美しい。どのようにしてバラの手入れをしているのかを知りたいと思った。10名ほどの人が手の空いている時に、集まり、プロの花屋さんの指導を受ける。今回はどのような殺虫剤や栄養剤を調合して、噴霧するかということが主だった。

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 私もベランダで4種類のバラを育てているが、春に咲いたバラはその後しばらくして、葉っぱが枯れたり、虫に食われた。絶望的になっていたが、とりあえず、植え替えをして、新しい土を足してみた。丸坊主になったバラをしばらく観察していたら、元気な新しい葉っぱをつけ、今では毎日バラが咲いている。先日も、新しい葉っぱが虫に食われていたので、じっとその周辺を見ていると、枝にへばりつくようにして、また枝と同じような色に変化しているアゲハチョウの幼虫がいた。思わずハサミでつまんで、処理した。バラの手入れを指導している先生に報告すると、「アゲハチョウが成長するのを楽しむか、バラを大事にするかですね。」と言われた。ちょっとびっくり。

 写真は左が4月ごろに咲いていたもので、右が、今元気な葉っぱがいっぱい出てきました。

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