Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

この間にわかったことや思うこと

 政治状況が混乱している。だがSNSによってだんだん事の本質が見えてきた。立憲民主党は急激にツイッターのフォロアーが増えた。それ自体は喜ばしいが、業者がツイッターのフォロアーにお金を払って、まるで立憲民主党が買収しているかのようなストーリで、立憲民主党を潰そうとしているという。なるほどとも思えるし、またフォロアーは何も賛成者、支持者ばかりではなく、自由にデタラメで、心ない中傷をする人もいる。

 ツイターはどんな名前でもよく、仮面をかぶって、好き勝手なことが書ける。何かに対する不満からか、面と向かって言えないことを、ネットの無記名性を利用して、めちゃくちゃなことを書く人がいる。読み手は、時間の無駄と不愉快な思いをしたくないので、悪意ある行為はやめてほしい。しかもそれが金で買って、悪意あるツイターをしているとしたら、犯罪だ。

 選挙活動は、舌戦だ。聞いていると、嘘や相手を攻撃する言葉が飛び交っている。いやだと思う。選挙に勝ってしまえば、何も政策を実現する努力をしない。こんなことが過去何度もあった。誠実な政党に一票を投じたい。それにしても、今回の選挙は何のために行うのだろうか。

 今の政治状況を憂う槌田劭さんと石田紀郎さんの呼びかけで声明文が出た。声明文の発表2日前に呼びかけ人を募り、集まったのが38名。何かの一石になればと思う。

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衆議院選挙の混乱に思う

 9月30日、10月1日の二日間、名古屋でWANの理事会があった。WANはウィメンズ・アクション・ネットワーク。ポータルサイトを作り、女性に関する情報をネットに上げている。創立して8年が経つ。もう8年も過ぎたのかと思うほど、あっという間だった。その間、3度リニューアルをして、いまの画面はとりわけ、スマフォを使っている人たちには見易い画面になった。若い人たちも加わり、WANの生命力となるコンテンツの充実が重要性をましている。女たちの情報を共有できる場が必要とされている。

 名古屋のグループが、山尾しおりさんを応援する声明文(9月26日)をだし、その記事をWANのサイトに載せている。先般の山尾しおりさんがプライペートな問題を週刊誌で面白可笑しく書き立てられ、政治生命を奪われようとしている。政治活動とはまったく関係ないところから、政治家を貶めるやり方はあまりにも目にあまる。こうした手法はメディア操作をしてきた安倍政権の常套なやりかたではないかと思う。こうした場に貶められる女性議員を誰も救いはしない。そんな政治もごめんだ。

 衆議院選挙が目前にある。小池百合子氏に対して、メディアはさまざまに報道している。メディアに踊らされることなく、自らの力でいまの政治状況を理解したいと思う。小池氏は、安部首相以上に憲法を改悪しようとする、極右翼の政治思想を持つ人だ。とても危険。なんの方針もださない「希望の党」になぜ誰もがついて行こうとするのか。政党には政治綱領があり、どのような方向で活動するかがうたわれている。「希望の党」にはそれがないのに、どうして民進党は「希望の党」に合流しようとしたのか。明らかなのは、安倍政権を倒すためにだけ、身売りをしてもいいのだろうと思う。前原氏にはそんな権利はない。

 「希望の党」=小池党の小池氏は「リベラル派」といわれる民進党の人たちを排除すると公言して、横柄な態度でいる。あまりの傲慢さに吐き気がする。

 民進党の枝野氏が「希望の党」に行かない人たちを束ねて、「立憲民主党」を立ち上げるようだ。大きな拍手を送りたい。これまで民主党民進党を支持してきた人たちの受け皿ができる。頑張ってほしい。

 

民進党党首前原氏に思う

 衆議院が28日の午後の国会本会議で解散となった。先の安部首相の所信表明ですでに国会解散することを知らされていたので、驚かない。森友、加計学園の問題に関して説明責任を果たさず、まるで問題は解決したかのような態度だ。さまざまな問題を曖昧にしたままの解散とは何なんだろうか。消費税をアップした分、幼児教育の無償化、高齢者社会の保証などの補填すると、バラ色の幻想を撒き散らす。

 いつもピンチに立たされると、「子供、女、年寄り」をダシに使う。一度たりとも実現されたことはない。弱者の味方のようなふりをして、現実には弱者を切り捨ててきた。もう誰も騙されてはいけない。

 東京都知事小池百合子が設立した「希望の党」がメディアで取り上げられている。小池さん自身は、政治的立場は極めてウルトラ・ライトで、安部首相と同じく憲法を改悪しようとしているし、原発ゼロの社会を目指してはいない。

 民進党も解党し、希望の党に合流する。京都出身の前原民進党代表は民進党をつぶした。一度は政権をになった民進党の体たらくだ。希望の党民進党の人材と資金を手にした。こんなひどい駆け引きに飲み込まれた前原党首をどうみればいいのだろうか。

 これまで、京都で安部政権に異議申し立てをするさまざまな行動集会には、一度も顔を出したことがない前原氏にはがっかりしてきたが、今度はもっとがっかりだ。

植物園でお散歩

 25日(月)、久しぶりに友人と北山でランチを楽しんだ。食事後、レストランの前にある京都府立植物園に入り、ゆっくりと散歩をした。友人は京都で暮らすようになって、15年にもなるが、植物園に一度も足を運んだことがなかったという。比較的近い場所に住んでいるのに、時間的、精神的余裕がなかったという。

 植物園で出会った人たちの中に、ふじばかまを見るために来た人がいた。2箇所で見られるという。最近新しく、日本の花々を集めている場所にあった。古くからは万葉集にふじばかまが歌われているが、京都では絶滅危惧種に指定され、下鴨神社やあちこちでふじばかまの育成に力を入れている。

 乾燥すると淡い匂いがするので、昔の人たちは、ふじばかまを匂い袋にして身につけていたそうだ。野に咲く花たちを、布に染めたり、化粧品にしたりと、女たちの生活に取り入れた知恵には脱帽。自然の色は素晴らしく、それぞれに名前をつけて身近なものにした先代の人々に感謝したい。私の好きなイヌタデ。サクラタデも可愛い。藍染にするタデアイは別種類のもので、お目にかかったことはないが。

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軽井沢でのんびりと

18日から20日まで軽井沢碓氷峠、富岡製糸工場に出かけた。軽井沢では白糸の滝、浅間山などにも足を運んだ。空気が爽やかで、暑くもなく、寒くもなく、台風騒ぎはどこかに飛んでいた。久しぶりにのんびりと時間を過ごせた。

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 白糸の滝も浅間山の噴火によって形成されたものであるそうだ。とても不思議な光景だった。自然の冷蔵庫に入っているような感じで、涼しかった。

 1783年浅間山が噴火し、その際に出た火砕流が山の斜面を下り、最後に鬼押溶岩流が出て、それらが固まって堆積している場所を見た。真っ黒の溶岩を見ただけでも、大噴火だったと想像がつく。大きな岩の間から、様々な木々や草花が咲いていて、ホットした。暗いところで光を出す苔などが生えていた。ナナカマドやツツジなどもあり、四季折々に美しい色に変化するのだろう。アキノキリンソウが健気に姿を見せていた。

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3年前に世界遺産に指定された富岡製糸場まで足を伸ばした。明治時代の初期に大規模な機械で生糸を製造した場所。当時の日本の経済を女たちの労働で支えた場であった。

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秋の気配が

 日中は暑いが、湿気が少なくなり、爽やかな秋の気配を感じる。台風が日本に近づいていて、その影響を受けたところでは雨の被害を受けている。気象庁の報告では梅雨の6月よりは台風の9月の方が雨の量が多いそうだ。川が決壊し、たちまちのうちに、多くの家が浸水している。道はまるで川のようになっている。こうした光景をテレビ画面で見るたびに、なんとか自然災害から守られる手立てが打てないものかと心が傷む。不当な多額の資金がある特定の機関に投入されたり、軍事費を増大させるのではなく、人々が安心して暮らせるために、政府は防災や災害支援へ財政投入しなければならないと思う。

 爽やかなお天気なので、ベランダに置いてあるテーブルと椅子をペンキで塗り替えた。この二年間雨ざらしと、鳩の遊び場になっていて、かなり腐食し始めていた。

 ようやくベンチとテーブルを綺麗にしたい気持ちになった。ここで絵を描いたり、本を読んだり、ランチをしたりと、のんびり過ごしたいと思った。最初の色は薄茶色だった。何度か塗り直しているので、その度に色が濃くなっていく。今回はアイボリーだったが、蓋を開けてみると、結構チョコレート色に近かった。2度塗りをしようと思うので、明日まで待つ。

 

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ペンキ塗り直し

 

母の遺品整理

 10日、妹と娘と一緒に母の家に行き、遺品の整理をした。母が日常的に使っていたものや、着ていた服などがたくさんある。下着類もあちこちの整理ダンスの引き出しにたくさん入っていた。父が亡くなってから10数年一人暮らしをし、そのあと3年ほどケア・ハウスにお世話になった。最後は11ヶ月間、大腿骨骨折のために、入退院を繰り返したが、毅然として生きた人だった。

 洗濯が好きで、夏などは朝晩に洗濯をしていた。下着や寝間着類が次々でてきた。病気をし、人の世話にならなければならない時のために、準備をしていたのだろうか。

 母は料理を作るのが好きだった。一人暮らしになってもきちんと食事を摂るようにしていた。それが難しくなった頃に、いろいろと考えてケアハウスに入ったが、そのことを最後まで満足していなかったのではないかと思う。最も期待し、大事に育ててきた息子に裏切られた気持ちがあったのかもしれない。妹と二人でなんとか母の気持ちを和らげ、共にする時間を大事にしてきたが、母と息子の関係を改善することはできなかった。

 母が 使っていた食器類は、もらってくださる方にお送りした。宅急便屋さんが取りにきてくれたので、大助かりだ。母のものが何もかもゴミになるのは耐えられない。少しでも役立てることができれば、母も喜んでくれるだろう。

 ものが溢れる豊かな時代になったが、その分だけ人との関係が薄れたとすれば、精神的に失ったものが大きいとすれば、かなしい。