Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

魔法瓶のお鍋が再度大活躍

 朝、薬をもらいに病院に行く。月曜日なので待合室には開院を待つ数人がいた。最近は運動量は減っているが、食生活はきわめて健康的で、規則的だ。朝食7時半、昼食12時、夜食は6時。なんと子供時代の食事時間だ。夕食は、朝食を作りながら、冷蔵庫の中をチェックして、何を食べるかを考える。

 家族が5人だった頃、忙しく働いていた頃は、魔法瓶の鍋が役になった。最近になって棚の奥にしまっていたこの魔法瓶の鍋を取り出した。煮込み料理なら、何時間も火にかけていなくてはならないが、わずか数分煮るだけで、あとは魔法瓶の鍋にほりこんでおけばじっくりと煮込んでくれる。おでん、カレー、シチュウー、豆の煮物などは最高。

 冷蔵庫のなかに、だいたいいつでも居座っているのは大根。大根おろしにチリメンジャコは定番。何を食べるかに行き詰ると、大根を炊く。これまでは大根をレンジで数分チンをしてから、鍋で炊いていたがそれでも数10分はかかる。ときには火にかけていたことを忘れて、焦がしてしまうこともあった。

 この魔法の鍋は焦がす心配がない。いつも冷蔵庫に入っている竹輪やコンニャク、ジャガイモなどを入れておでん風に炊く。朝の用意をしながら、鍋に材料をほり込み、沸騰させて5〜10分間。そして魔法瓶の枠に入れる。夕方にはもうできている。私がいなくても、できているので、ありがたい。

 先日も赤豆(大正金時)をこの鍋で作った。以前に土井善晴さんの料理番組で黒豆の作り方をみたとき、目からウロコだった。それまでいろいろやってみても、黒豆にシワができることが多かった。またなかなか柔かくならなかった。土井さんのやり方は、水のなかに砂糖や塩、醤油などを先に入れて煮立てておく。そこに洗った黒豆を入れて、しばらく煮立ててアクをとり、火をとめて数時間放置しておく。豆がふっくら膨らんでから、煮詰める。

 金時豆を土井さんと作り方をヒントにして、先に砂糖や塩を入れ煮汁を作り、洗った豆を入れ、しばらく沸騰させてあく取りをする。そして魔法瓶の鍋に入れておく。夕方に煮詰めてみた。お店で売っているようなふっくら、柔らかい豆ができ、あまり甘すぎない美味しい金時豆ができた。娘のところに半分おすそ分けをした。大好評。お弁当の片隅に彩りに入れているそうだ。

 火を使わないので、火にかけ忘れ、焦がすこともなく、美味しいものができる。年寄りには重宝。これからも大活躍してもらおう。

 そういえば、一人用の小さなシャトルシェフを持っていたので、それも使おう。

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 もうひとつ便利に使っているのが、オーブンレンジ。大量に小型のハンバーグや肉団子を作るときには、オーブンが役にたつ。だいたい肉1キロ、玉ねぎ、人参、卵、パンなどをこねる。玉ねぎや人参は野菜カッターで1分もかからない。バンも牛乳も卵もこのカッターでこねてみた。すばらしいでき。

これらの材料をまぜて、小さく丸めたものを鉄板の上にならべる。鉄板には、キッチンペーパを敷いておけば後の始末が簡単。今日は100個ほど肉団子を作って、娘のところにおすそ分けした。お弁当に、おかずになる。今日はうちでは、酢醤油に生姜をすり入れ、少し甘みをつけた煮汁に肉団子と片栗粉を入れて、とろみをつけた。久しぶりにおいしかった。肉団子に絡めるのはケチャップもよし、そのままでもよし。

 

 

井上ひさし『父と暮せば』(Quatre Jours avec Mon Pere)

 今日は京都マラソンで、家の前の道に多くの人が出て、整備にあたっていた。9時15分から12時まで加茂街道は車や人の動きが止められる。母の入院先の病院に行くので、今日はバスに乗れない。8時30分頃、家をでて、賀茂川の土手を歩いて、北大路まで行くことにした。昨日の雨で地面は少し、ゆるんでいるが、とてもいいお天気になった。もうすぐ春がやってくる気配を少し感じる。カモたちも水浴びを楽しんでいるかのよう。昨年は家の前の道を走る京都市民ランナーに声援を送った。山中伸弥先生もみんなの中にいた。今年も走るそうだが、今日は応援ができない。

 喫茶店でコーヒを飲み、地下鉄で京都駅まで行く。京都から明石までJRの新快速で1時間10分。そこから神姫バスで10駅ほど先。遠い道のりだが、須磨の海から明石まで、瀬戸内の海を見ていると心が和む。

 電車の中で井上ひさしの戯曲『父と暮せば』のフランス語訳( Quatre Jours avec Mon Pere  「父との4日間」日本語との対訳)を読む。広島の原爆体験を父と娘の会話で語る。娘の美津江は友人や知人を原爆で失ったので、自分が幸せになってはいけないと思い込んでいる。父竹蔵は原爆にやられ死んでいるが、父が現れ、娘と対話する。父が娘が結婚して幸せに暮らしてくれることを願っている。父と娘の心温まる物語だ。日本語のほうは広島弁の方言で書かれていて、すごく人間的な雰囲気がでている。

 井上ひさしは、この『父と暮せば』と、長崎の原爆体験をもとにした『母と暮せば』を書き上げている。息子を原爆で失った母と、幻の息子との対話の物語。『母と暮せば』は吉永小百合と嵐の二宮和也主演映画で観た。井上ひさしは、「世界66億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである」という。そして「おそらく私の一生は、ヒロシマナガサキを書きおえたときに終わるだろう」と書いている。

 こうした本がフランス語に訳されてフランス語圏の人たちに読まれているのはいいと思った。私のフランス語の知識は少しだけども、広島・長崎のことは多少知っているので、フランス語での表現を想像しながら読みすすめる。

 12時前に到着する。母は眠っていたが、12時半に昼食がくる。70分ほどかけて、ゆっくりゆっくりと食べる。親子煮(卵と鶏肉)、青梗菜、サラダ、白米。お汁。すべてミキサーにかけて、とろみをつけているので、形はまったくない。しっかり味だけはついている。看護婦さんたちが、何度も母の様子を見に来てくれる。母は看護婦さんに食事を食べさせてもらっているのだが、なかなか口を開かないので、看護婦さんたちは苦労されているようだ。

 明日には退院でき、ケアーハウスに帰れることになった。病院よりはずっとずっとケアーハウスのほうが気分が晴れるのではないかと思う。

フィギャースケート女子

 4大陸フィギャースケート女子で、17歳の三原舞依さんが優勝した。素晴らしいスペリだった。ショート4位から、フリーでは高得点を得て、優勝した。流星のように現れてきた。明らかに浅田真央さんの時代は終わったかもしれない。はなやかなフィギャースケートの世界は、厳しい鍛錬の積み上げがあり、一瞬のミスも許されない。

 男子は羽生結弦は2位、宇野昌磨は3位だった。日本のフィギャースケートのレベルの高さが証明された。男子の場合は4回転勝負になっている。観るものをはらはらさせる。

 のんびりと一日自宅で過ごす。夕方になって、バスでターミナルまで用事で出かける。不穏な雨雲が迫ってきて、いまにも雨になりそうだった。1時間後に帰ってくると、やはり雨が降っていた。

 

フランス語の授業

 午後からフランス語の授業に出席する。今日は受講生4人が授業の開始に揃っていた。先生がびっくり。

 リエゾンの練習。フランス語はリエゾンをするので、なかなか難しい。慣れるしかないと言われる。音で聞いて、文字を思い浮かべるのは、私にとってなかなか大変だ。語尾が子音で終わっていて、発音しなくても、次にくる言葉が母音で始まるならば、語尾の子音と単語の最初の母音とがリエゾンして、流れるような美しい音の連続が起こる。こうしたことになかなか慣れないので、フランス語の音読が難しい。

  四大陸選手権女子ショートは、世代交代で若い人たちが頑張っているが、4位発進した三原舞依(17)に期待したい。今日は男子ショートがあり、羽生結弦田中刑事宇野昌磨の3人が出場している。他にパトリック・チャンなどもいる。4回転の勝負で競うレベルの高い競技。

 宇野昌磨は素晴らしい滑りをした。これまでの個人記録を塗り替えた。パトリック・チャンは最初の4回転を失敗したが、滑りは滑らかで素晴らしい。魅力的だった。

 

 

自宅でのんびり

 特に外に出る予定のない日は、家でのんびり過ごせるのが嬉しい。フランス語の教科書に目を通したり、シャンソンを聞いたり。

心が少し自由になる。ちょっと編み物をしたり。

 今朝から一日中、北朝鮮金正男氏に対する暗殺事件が報道されている。16日、マレーシアのクアラルンプールの空港で毒殺された。こんなことが現実に起こるのかという衝撃が走る。どのテレビ番組も同じことばかりの繰り返し。テレビのスイッチを切る。

 毎日新聞は、福島第一原発2号機でロボットを使った格納容器内部の調査について報道した。目標の原子炉直下まで到達できなかったが、破損状況は想定以上に厳しいという。廃炉作業はどうってやるかわからないということだろう。他の新聞は報道していない。報道されることと、報道されないことの背後にあるものに注意しなければと思う。

 

 日仏会館で借りてきたフランス映画「キリマンジェロの雪」(2011)を見る。ヘミングウェィの小説『キリマンジェロの雪』とは違う。

マルセイユに住む熟年夫婦の物語。夫ミッシェルは労働組合の委員長だった。リストラで、20人を首切りしなければならない。みんなの前でくじ引きをする。その中にミッシェルの名前もあった。委員長なら自分の名前を入れないでも済んだのに、なぜ入れたのかと仲間から言われるが、ミシェルは職権乱用、不公平は嫌いだ。ミシェルは20人の中に入っていた。ミッシェルは結婚30年が過ぎ、子供や孫に囲まれて幸せな生活を送っている。老後はのんびり暮らす計画も立てていた。タンザニアのキリマンジェロに旅行計画して、チケットも購入済みだった。そこに解雇。

 そして解雇された20人を招待して、激励パーティを催す。その後、強盗がミシェル家族を襲う。金品、銀行預金通帳などを奪う。その犯人が漫画を持ち去ったことから、ミシェルは犯人を突き止める。たまたま乗り合わせたバスの中で子供がその漫画を読んでいた。実はその漫画はミシェルが若い頃に持っていたものだった。子供の後をつけてみると、強盗犯人はミシェルと一緒に解雇された若者だった。

 この若者は低賃金で借金まみれの生活を送っていた。解雇により食べ物もない。2人の子供や妻がいるが、将来のめどが立たない。そんな中で、ミシェルを襲う。

 ミシェルが労働組合の委員長だったので、仲間を首切りをして会社から裏金をもらい、優雅な暮らしを保証されていると勝手に思い込んでいる。

 ミシェルは犯人を突き止め、警察に通報する。彼は逮捕されるが、彼の子供たちの生活を考えると、彼を15年間の刑に服させるわけにいかないと思う。ミシェルは告訴を取り下げ、キリマンジェロへの旅を断念し、旅行会社で支払金を戻してもらう。そのお金も彼の子供たちに使おうとする。

 何事もなかったかのように、元の生活を淡々と送るミッシェル家族のヒューマンドラマ。マルセイユの美しい港町が印象的だった。

 フランス語はほとんどわからなかった。字幕ありがとう。

DVDのジャケットに、「たとえ貧しくても、優しい心さえあれば、たとえ貧しくても、思いやる心さえあれば、世界はあたたかい」とある。

 そんな世界だといいのにと思うが・・・・

 

 

 

 

母を見舞う

母の入院先へ行く。お昼前に着いたときには、母はよく眠っていた。看護婦さんから「今朝からよく寝ています。リハビリのときも眠っていました。そんな日もありますよね。」と言われた。声をかけても静かに眠っている。お昼ご飯が運ばれてきたので、母を起こし、ベッドを起こす。およそ1時間かけて、ゆっくり食べさせる。ミキサーにかけて、すり潰しているので、喉元を通りやすい。消化にもいいかもしれないが、なんとなく食べ物のようには見えない。励ましながら、ゆっくり食べさせる。9割がた食べてくれたのでほっとした。

 午後から主治医がきて、検査の結果はよくなっているのと、食事も取れているので、いつでも退院できるということになった。あとはケアーハウスの都合と病院側との話し合いによって退院の日を決めることになった。ひとまず安心。

 明石からの帰りに、娘の家に寄る。孫と孫の友達に英語を教える。教科書の最後の単元の英語文を読む。音読だけをした。10ページほどあったが、初めて出てくる単語と一生懸命格闘する。発音記号にできるだけ慣れさせたいと思っている。

 hatred, decided, brightness, sadness, sugarcane fields, impressive, serious, aquarium, rescue, artificial, treasure, electricity, disaster, cardboard, aluminum foil, facility, renewable energy

ため息が出るほどの難しい単語ばかりが混在する。

 どれだけ、難しいと思わずに、新しい言葉と挑戦して、理解していくプロセスを楽しんでもらいたいと思う。できるだけ興味を持ち続けてほしい。

 

 南スーダンでの自衛隊員の活動に関して、どうして防衛大臣は嘘をつくのだろうか。実際に負傷している自衛隊員がいるが、日誌はあちこちが黒塗りだという。すぐそばで戦闘が起こっているので、巻き込まれているのは容易に想像がつく。自衛隊の派遣は明らかに憲法違反であり、その現実を嘘で覆い隠そうとしても無理が生じている。防衛大臣が良心の呵責を感じないとすれば、よほどの厚顔無恥か、権力の座にあぐらをかくロボットなのだろう。

 

英語教育が小学3年生からに「?」

今日の朝日新聞によれば、文部科学省は、小中学校での英語教育に関する学習指導要領を変更することを発表した。2020年以降に、小学3年から英語を始めるという。

 南アフリカでも、小学3年の段階で教授言語が英語に代わり、民族語の発展を大幅に抑圧してきた。そのために学校教育からドロップアウトするアフリカ人子供たちが大量にでている。十分に読み書きもできない子供たちが、家庭言語でない英語が導入されて、戸惑うのだ。英語が家庭言語である子供たちにとっては、学校教育では優位な位置にある。南アフリカの場合は多民族多言語社会なので、複雑ではあるが、アパルトヘイト時代は支配者の言語教育が主流を占め、その言語にアクセスできない人たちを、社会から排除してきた。南アフリカ民主化を達成し、公用語にアフリカ民族語が平等に入っているが、なかなか現実には多民族・多言語社会を築くことは難しい。

 日本の場合は、ほぼ大半の子供たちは、日本語で生活し、日本語で知識を得ている。世界でもめずらしい国である。すぐれた翻訳や通訳という職業のお陰で、日本は世界中の知識を翻訳書によって得てきた。

 文科省の説明はグローバル化に対応するために、英語教育を低学年から導入するということになる。なぜ、英語教育なのか。

 外国語教育ならわかるが、英語、アメリカ語を中心とした外国教育であれば、世界の秩序もアメリカを中心としたハイアラーキを形成することに寄与することになる。日本では、どんな外国語でも取り入れ、それを学ぶ姿勢が培われてきた。

 最近では、卓球の福原愛さんの中国語で自分の意見を述べているのに感嘆した。どんな人でも、その環境にいれば、その社会の言語を習得していくものなのだろう。

 「グローバル化に対応するために」というならば、さまざまな言語から選択できるのがいいと思う。

 

 一日中家にこもっていた。息抜きにブックマーカーを作ってみた。久しぶりに水彩絵の具を取り出し、彩色した。

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