Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

5月24日 京都地裁での裁判傍聴に

 5月24日、知人たちが、杉田水脈国会議員を訴えた裁判があった。大阪大学の牟田和恵さん、同志社大学の岡野八代さん、大阪府立大の伊田久美子さん(3月定年退職)、大阪市立大学の古久保さくらさんらの共同研究に対する、水田水脈の不当な誹謗・中傷に対するものであった。研究テーマは「ジェンダー平等社会の実現に資する研究と運動の架橋とネットワーキング」である。

 杉田水脈インターネットテレビツイッター、雑誌など、種々のメディアを通じて研究が「捏造である」とか「研究費の不正使用」だとかをでっち上げてきた。研究者生命を脅かす重大な名誉毀損だとして、4人の共同研究者が京都地裁に訴えた。彼女たちとは一緒にWANを立ち上げ、活動してきた仲間たちであるので、裁判の傍聴に行った。何よりも学問の自由、女性の人権を守るための闘いでもある。

 当日は大法廷にも関わらず、88人しか入れず、多くの人たちが傍聴できなかった。被告側の杉田水脈も弁護士も来ておらず、原告側がわずか5分間の訴状を読み上げただけで終わったという。傍聴できなかった150人ほどの人たちは、裁判後の集会場となっていた裁判所の裏手にある弁護士会館に移動した。その部屋も入りきれないほどの人だったので、地下の大きな部屋に移動した。やがて裁判の傍聴に行っていた人たちが合流して、この日の裁判の様子が弁護士や原告側の人たちから報告された。東京や岡山や様々な場所から200人以上の人たちが、この裁判に詰めかけたのは、自分たちの問題でもあると捉えているからだ。

 久しぶりに出会った友人と、ゆっくり話ができたことも大きな収穫だった。原告団の人たちの研究に「従軍慰安婦」を取り上げている。女性の身体が性奴隷として戦争時に利用されてきたことを歴史的に位置づけているのだが、彼女たちは買春して経済活動をしてきたのだから、性奴隷ではないと主張する。杉田水脈は「LGBTは生産性がない」と発言し、掲載した雑誌は廃刊となったほどで、差別的な発言が多く、挑発的とも言える言動が多い。日本会議のメンバーで極端な差別主義者だ。

 午後からフランス語の授業に出る。

5月12日から21日までアメリカへ

  12日からアメリカに出かけていた。ノースカロライナにいる友人を訪ねて、その後、その友人と一緒にオハイオ州のコロンバスで開催されたアフリカ文学会に出席した。30年来の友人は現在、ノースカロライナ大学シャーロット校で教えている。彼女の家で4泊した。ノースカロライナアメリカの中でも、美しい州だということだった。ちょうど今、木々が緑に燃えていて、どこも美しい。彼女の家の近くの公園を散歩した。とても静かで犬の散歩に訪れている人たちもいた。アメリカ南部のシンボルとも言えるマグノリアの木とその花の大きさに驚いた。若い頃アメリカの黒人文学を読んでいたとき、北斗星を目指して、南部の黒人差別から逃れるために逃亡した奴隷たちは、白人に見つかると、リンチを受け、この大きなマグノリアの木に吊るされて放置された。誰も助けることができなかった。私の中に、マグノリアアメリカ黒人のイメージが強烈にあったので、感慨ぶかいものがあった。

 彼女が務める大学には植物園があり、そこも散歩した。緑が美しくほっとさせてくれる空間だった。柏葉アジサイシャクナゲなどは日本のものと同じだと思ったが、よく調べてみると、柏葉アジサイノースカロライナあたりが原産地だという。納得。別名がOakleaf hydrangeaにも納得。

 

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  友人が住む地域には、韓国やインドからの移住者が多く住んでいるので、スーパーマーケットにはその食材が多くある。友人は息子と二人で、冷凍餃子を焼くというので、大騒ぎをして作り方の説明文を読んでいたが、私が餃子を焼いたので、驚かれた。

 コロンバスに行く前日(5月15日)は、巻き寿司を作った。中身はしいたけ、厚焼き卵、人参、ほうれん草を入れた。海苔は日本から持参したが、すし米として売られている米は彼女の家の近くのスーパで購入した。世界中、どこでも寿司は高級な日本食というイメージがあるが、ほぼどこでも満足したことがない。私が作るお寿司の方がずっと美味しい。それに日本料理店と看板の出ているところでは、ほぼ台湾、中国、韓国、ベトナムなどの人が経営する料理店でまともな日本料理など出てこない。友人にも、私が作るものは日本料理だからと納得させてしまう。

 翌日のランチ用に巻き寿司を作る。半分に切って、アルミホイルで包んだ。トウモロコシも湯がいて、アルミホイルに包んだ。長時間のドライブとなる。高速道路をつききっていくので、ランチができるようなレストランは期待できないし、彼女はベジタリアンなので、ランチを持参するにがベストだ。

 案の定、翌日(5月16日)は7時過ぎに出発して、コロンバスに到着したのは午後3時ごろだった。多分一時間の時差があるので、現地時間は4時。5時からのジンバブエの作家ティティ・ダンガレンバの講演に間に合った。久しぶりに出会う友人たちと挨拶を交わし、無事に一年を過ごしてきたことを喜び合った。

 コロンバスの街の中心部にある大きなホテルで会議があり、多くの人がそこに滞在していたので、近くのレストランは突然の大勢の客にパニックっていた。注文した食べ物が届くまで、長時間待たされたが、その分友人たちとの会話が弾んだ。

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 5月17日の講演は、コーネル大学で教えるキャロル・ボイド・ディビスがアフリカ文学会の歴史を語った。私自身は約30年間も関わってきたので、どの項目も懐かしい気持ちで聞いていた。世界的に見ても文学が軽視される時代に、文学と関わるものが果たす役割を改めて考えた。彼女は若い頃、子供づれで文学会に参加していたことを思い出していた。

  5月18日。アフリカ文学会最後の日。いつものメンバーでパネルがあった。「2010年以降の南アフリカ文学」というテーマでそれぞれが話した。南アフリカ民主化が1994年から始まったので、それ以降、あるいはその頃に誕生した若い人たちが、新しい南アフリカ文学を形成しつつある。アパルトヘイトを体験した世代と、全くアパルトヘイトを知らない世代との間にはどんな問題があるかを問題提起した。私たちのパネルを聞きにきてくれた人たちと一緒に議論ができたことはよかった。

 夜の7時から恒例のバンケットは、文学会に参加していた人たちが一堂に会する機会で、多くがアフリカ・スタイルのドレスやシャツスタイルで現れるので、いつもながら大変豪華。

5月19日、10時30分発のコロンバス発ワシントンD C行きの飛行機に乗り、一時間待ちで成田まで帰ることになっていた。ホテルから空港まで15分ほどだったので、8時過ぎにタクシーで空港に向かった。空港では文学会に参加していた人たちと出会った。ところが、飛行機が飛んでこなかった。クルーの問題とだけのアナウンスで様子がわからないが、ワシントンD C経由でアメリカ国内を移動していく人たちは、航空便を変更してそれぞれに帰っていった。コロンバスからワシントンDCには3時間半遅れの便で向かった。空港に5時間以上もいたことになる。私は航路を変更したくなかったので、ワシントンDCから成田までは翌日便になった。翌日の昼の便は満席で空きはないと言われたが、絶対にそんなことはない。緊急に備えて必ず空席はあるはずだ。しかも航空会社の問題でこうしたトラブルに巻き込まれたのだから、少し強い目にお願いした。するとその席を用意してくれた。空港近くのヒルトン・エアポートホテルも準備してくれた。時間に余裕があったのでホテルで旅の疲れを取ることができた。

 5月20日。空港で、機械でチェックインをしていると、エコノミー・プラスの席があった。帰路はよくエコノミー・プレミアムを使うことがあったので、今回は2万円ほどの料金を払って、少し足を伸ばせる席に移れた。13時間の飛行時間をいつものように何本も映画を観て帰ってきた。翌日の5月21日に日付が変わっていた。

5月10日 マンション臨時総会

 10日夜、マンションの管理組合の臨時総会があった。マンション全体の照明器具を取り替えるという議題で、召集があった。今住んでいるマンションは、建築されて16年が経つ。5年前に一部補修工事が行われた。その時には、大規模修繕をやるには資金面で十分な蓄えがないので、できなかったが、経年劣化があるので、早急に大規模修繕をしなければならない。そこで毎年一年単位で理事会が交代する制度のもとではなかなか大規模修繕計画が進まないので、理事会のもとに修繕委員会が立ち上がった。五人のメンバーの中に私も入っている。

 そこで、臨時総会では理事長主導で討議があった。理事長は何が何でも早急にLED電球に交換したいという。だが、理事長以外の人は全員が大規模修繕と同時にLED電球に取り替えるといいというが、理事長は猛反対。そのやり方自体がワンマンだった。しかし、資金面では修繕積立金の中から、200万円以上の資金を使うというので、これまた一悶着があった。何事もスムーズにいかないのが、世の常とはいえ、理事長の子供のような駄々のこね方には多くが辟易した。

 どんなことでも、多くの賛同を得ながら、ことを勧めていくには、話し合いが必要だが、その中で、一人のワンマンがいると、大変にエネルギーが消耗する。

 5月11日。娘が午前中に来てくれた。私は明日(12日早朝5時)からアメリカに向けて京都ー伊丹ー成田ーワシントンーシャロット(ノースカロライナ)に出かけるので、明日からの食材の買い物、アメリカにいる友人へのお土産などを買いに四条に出かける。午後2時から予約していた整体も受ける。3月に転んだ時の後遺症がまだ残っていて、夜になると肩や腕が痛むので、少しは整体で痛みを取っておこうと思った。少しは効果があるように思う。

 ようやく夜になって、旅行鞄に衣類などを詰める。友人がシャロットの空港まで迎えに来てくれるので、あまり心配のない旅だ。3泊ほどその友人の家に居候をして、一緒にオハイオ州のコロンバスまで車で移動する。そしてそこで4日間のアフリカ文学会に参加。

友人にメールを書いて、早く寝ることにする。明日は朝の4時半起床。

5月9日 雨漏りの後始末

 大型連休中に雨が降り、押入れが水浸しになった。ようやく連休が終わり、普段の生活にようやく戻った。一週間以上も放置されていた雨漏りの処理にマンションの管理組合の会社から係の人がやってきた。5年前にマンションの屋上の修理をしたものの、そこからの雨漏りだとすれば、大変な問題。保証期間にあるので、修理してくれるというが、そんなことだけで済まないはずだ。いい加減な仕事をしているとしか言いようがない。台風や梅雨の時期にはもっと激しい雨が降る。連休中の雨は普通の雨でそれほど激しいものではなかったのに、どうしてこんなことになったのか、原因を明らかにしてほしい。押入れの中の布団やしまっていたセータや上着が濡れて、洗濯に明け暮れた。この間の労力を考えると、管理会社のひとごとのような対応に腹立たしくなった。

 以前に購入していたパンツが幅広だったので、長らくはかないでいた。形は悪くないのと、素材がいいので、幅をせぼめてみた。ウェストの部分をゴム入りに変えてみた。

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以前にiPadのカバーをウィリアム・モリスの壁紙で張り替えた。まだ残りがあったので、iPhoneのカバーの上に壁紙を貼った。とてもしっかりした紙なので、うまく貼れた。別の壁紙でプラスチックのゴミ入れも上から貼ってみた。ちょっとおしゃれに模様替えできたかなあ。

 

5月8日、南アフリカの選挙

 南アフリカでは8日に議会下院選挙と地方議会選挙があった。アパルトヘイト終結後の初めての全人種による選挙が25年前にあり、マンデラが大統領になった。それから、アフリカ民族会議(ANC)が与党をしめ、政権を担ってきたが、絶えず汚職や高い失業率、依然としてある人種間格差、人種差別などにより、一般の市民たちの反感や怒りが噴出している。毎日のようにFacebookでの友人たちの意見を見ていると、誰がどの政党に入れるのかが議論されたり、反アパルトヘイトの闘いをしてきた人たちの絶望感や怒りが噴出していた。選挙の結果は11日にわかるが、どうなることだろうか。興味深い。大多数のアフリカ人たちの生活が一向に良くならない問題、経済格差をどう解決していくのだろうか。莫大な土地を少数の白人たちが所有している土地問題をどう解決していくのだろうか。南アフリカにいた頃、第二次大戦後の日本の農地改革問題は画期的だったので、よく聞かれた。明治憲法を大幅に変更したことも、今日の日本の民主化に大きな役割を果たしたと思う。

 南アフリカも素晴らしい憲法を持つが、しかしその理念とおりに進んでいないことが問題だと思う。しかし多くの人々が自分たちの国作りに大きな関心を抱いていることは社会変革の大きな力になっている。差別されてきた怒りを忘れていない。

 ちょうど25年前の選挙があった時に、南アフリカケープタウンで暮らしていたので、その時の人びとの熱気を思い出す。人口の80%の人々が生まれて初めて選挙をするというので、投票場で長蛇の列を作り、何時間も辛抱強く投票できる瞬間を待った。そしてANCが政権を取り、マンデラが大統領になった。ケープタウン立法府だったので、国会が開催され、多くの反アパルトヘイト活動家たちが政権を担い、新しい社会作りに参加した。その時の人々に熱気や政治家たちの決意は素晴らしいものがあった。それから徐々に政治の腐敗が始まった。さて、今回の選挙で、人びとの決意はどう選挙に反映されるのだろうか。

 日本はどうだろうか。安倍首相が問題を起こすと、官公庁が一丸となって、事実を隠したり、なかったことにしている。歴史を思い通りに書き換えている。そうしたことへの怒りが爆発しないような装置をあちこちに仕掛けている。独裁国家になりつつあるように思える。

 大田神社カキツバタは7割咲いている。ニュースでも取り上げられ、3年前に野鹿の被害にあい、花は全部食べられてしまった。鹿対策をして今年は2万株以上のカキツバタが咲いている。朝の散歩にカキツバタを見に出かける。

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葵祭が近づいたので、葵の葉っぱが青々としていた。葵は上賀茂神社の神紋だそうだ。

京都では葵を育てる取り組みがあり、特に上賀茂では学校ぐるみで葵を育てているという。葵祭では、桂の葉っぱも使われる。桂の葉っぱもハート形をしていて、とても愛らしいが、葵は女性、桂は男性を意味するそうだ。葵と桂を絡ませて作った装飾が祭りの行列の装飾に使われる。「葵桂」というそうだ。




 

5月7日 習字に行く

 先生の都合で習字のお稽古は5月から午前10時からになった。場所はウィングス京都(男女共同参画センター)。朝の一連の日課をこなし、9時39分のバスで烏丸御池までいき、東洞院六角通りを下がったところ。ほぼ全員が揃っていた。他の人たちは、かな書きの練習をしているが、私は頑なにも楷書の練習。

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 「堅持雅操 好爵自縻」の前半部。意味は「正しい節操を堅持すれば、ふさわしい爵位がおのずからころがりこんでくる。」そうという字は中国の古い字なのだろう。

文字のバランスを取るのが難しい。筆によって文字の雰囲気が変わるが、私はどちらかというと硬い筆の方が好きだが、これは柔らかい筆で書いた。

 

午後からはずっと家にいた。マンションの階下の方がやってきて、マンションの大規模修繕に関することで、相談に来られた。マンションで大規模修繕委員会が立ち上がり、どのように実施するのかが緊急の課題。それとは別にマンション中の電気をLEDの電球に変えるという案が理事会主導で持ち上がっている。だが、それには240万円という相当な費用がかかる。どうして大規模修繕と同時にやらないのだろうか。それでなくても、修繕費には莫大なお金がかかるが、マンション全体で積立金ではどこまでできるのかは不明である。

5月4日、5日、6日とまだまだ連休

5月4日。朝から上賀茂神社から植物園を抜け、下鴨の家に行く。家の前の落ち葉などを掃除した。その後、美容院に行き、髪の毛を短く切る。さっぱりする。

 4時からWANの会議で豊子さんのお宅に集まった。5月18日に同志社大学でシンポジウムを行う。WAN創立10周年記念集会の準備のための会議だった。私自身は12日からアメリカに行くので、参加できないが、できることは協力する。

 6時からはお食事会が始まった。いつもながらそれぞれが一品持ち寄りなので、楽しかった。私はいつもちらし寿司を持っていくことにしている。それを楽しみにしてくれる人たちもいる。ラタトゥイユ、糸こんとお肉の甘辛煮、筍とワカメの煮物、きゅうりのウニ添え、茄子の煮物、煮豆、などなどとデザート。ビール、ワイン、お酒。おしゃべりが賑やかで、食べ物が幸せな時を作ってくれる。

 

5月5日。午前中は娘夫婦が来てくれた。水やお茶の2ℓ入りペットボトル6本づつ。ベランダに敷くスノコ2枚など、日頃持ち運びが大変なものを購入して、車で運んでくれた。

さらに園芸店に行き、咲き終わったビオラの後に植えるのに、暑さに強いペチュニアを購入。今シクラメン、ベゴニア、菊などが植わっている。ミニトマトの苗、ボタンとアルストロメリア(ユリズイセン)とミニバラの切り花を購入。車で運んでもらったので、随分と楽だった。

  5月6日。昨日に購入した花とトマトの苗を植える。バジルとコリアンダーの種を鉢植えしておく。かがんで作業をしたので、腰が痛くなる。

 12時から、整体に行き、肩と腕の痛みを訴える。3月に高野山で転んで打撲した箇所の痛みがなかなか治らない。治療を受けている時は、随分と痛かったが、その痛みは無くなった。

5月3日 まだ世間は休暇中

 植物園でランチをしようと思って、娘の車で植物園に行く。植物園の南口に隣接する駐車場に入るのに、長蛇の列。私が先に植物園北口にあるレストランに向かう。12組も待っているので、このレストランに入るのはやめる。北口から南口まで引き返すのに、かなりの距離があるので、北口で待っていると、娘が車で迎えにきてくれた。

 大原にある土井志ば漬け本舗のレストランに行く。私は初めてだったが、妹は以前にここに来たことがあった。ここも大勢の人が来ていて、レストランに入るにもしばらく待たなければならなかった。ようやく順番がきた。鯛茶ずけを注文。おばんざいや、お漬物、デザートはビュッフェ形式。美味しいお漬物が頂きたくなるようなお料理だった。大満足。

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    四条烏丸まで行く。大丸の駐車場にいれ、しばらく大丸でウィンドウショッピングを楽しむ。「ムーミンStory ーリトルミイのひみつ」展をやっていた。ムーミン・ファンが大勢いた。私はリトルミイのなんとも言えない好奇心の塊が大好き。
   四条通をしばらく歩く。いつもよりも大勢の人が行き交う。