Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

身の回りの整理と憂う日本

 仕事場の部屋にはとにかく要らないものが山のようにある。あちこちと置き場所を変えては、ごまかし、ごまかししながら、スペースを作ってきたが、不要なもの、ここ何年も使っていないものは、廃棄処分するのが一番。大決意をして処分することにした。

 ベランダもそうだ。スペースがあるところにいろんなものを詰め込み、ものをため込んでいる。ここ数年使っていないものを、思いっきり捨てることにした。スペースがあることは、それだけ精神的に豊かな暮らしができるような気がする。断捨離の始まり。

 加計獣医学部が認可された。来春開学される。あれだけ安倍首相は「丁寧な説明」もせず、まともに国会審議もせず、不明瞭なまま獣医学部が開設される。国会での追求を逃れるために野党との間での質問時間を短縮した。これは自民党が野党の時代に、2対8の割合で野党の質問を多くしたことを、全くわすれ、今や議席数の割合とか、何だかんだといちゃもんをつけ、2対8から5対5にしようとする。全く民主主義ではない。国会でまともな議論ができてこそ、民主社会というものだ。

 安倍氏のわがままをそのまま許す、自民党政権とは何なのだ。小選挙区制が問題なので、すべての国会選挙は、党別比例代表制が最も民主的だと思う。世界中の多くの国で実施されている。

 南アフリカでは比例代表制が取られ、党の綱領や理念が選択される。

 それから、安倍氏が勝手に国外で助成金や支援金を約束してくる。イバンカ氏への「女性基金」57億円は、これから国会で議論して、何年かにわたって拠出するという。国民の税金を安倍氏の個人の思いつきや、支援で国家予算を使ってい良いのだろうか。国是にの泥棒ではないか。日本の女性支援にどれだけ、資金援助があったのだろうか。保育所作りにどれだけ、力を入れたのだろうか。選挙公約として、増税をするが、その資金を子供の教育費に使うと言うデタラメなことを言った。嘘に決まっている。

 トランプ大統領との会談で、結局は軍事費の増大、アメリカの武器購入を約束させられた。その後も100%アメリカの子分であることを公約している。なんという首相だろう。世界のメディアでどう評価されているかをもっと認識すべきだ。

 あ〜あ〜、どうしてこんなひどい日本になってしまったのだろう。

 

10月5日、神戸へ

 10月5日(日)、母の家の整理に出かける。母は生涯専業主婦だったが、母の衣服を整理していると、何一つ捨てることなく、大事にとってあった。それぞれの服を着ていた頃の様子が目に浮かんでくる。妹が丁寧に作った服も大事にとってあった。晩年着る機会もなかったのに、大事にしまっていた。押入れの奥の手に届かないところにしまっているので、ここ10年以上は絶対に手を通したこともないような服がたくさんあった。私自身も物を捨てられずにいるが、そろそろ断捨離をしないと、いけないと思った。母は物がない時代をくぐり抜けてきて、3人の子供たちが巣立った後には、自分のために楽しく暮らしてきたと思う。その様子が、数々の洋服に表れているように思った。

 母の洋服は私も妹も趣味が違うので、着ることはないのが、悲しい。だから本人が早く断捨離をしておくべきなのだが、そういうことが母にはできなかった。人が亡くなるということは、多くのものと一緒に無くなっていくのだと思った。

11月1日、帰国

ロンドンで開催された会議に出た後、ロンドンに3日間滞在した。特に予定もなく、のんびりと過ごした。カムデン・タウンで開催される大きな日曜市を覗いた。雑貨や若者の服や手作りのものなどが所狭しと並べられている。ストリート・ミュージックもあり、様々な国の食べ物などが売られている。世界中の文化がここにあるような感じだった。若者たちの自由なファッションがここにある。

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ここには何度か来たことがあるが、その度に違った新しい発見がある。文化を作り出すエネルギーのようなものを感じる。

 

アフリカ作家会議から55周年記念会議

ロンドン大学のSOAS ( School of Oriental and Africa Studies)で開催されたアフリカ作家会議に出席した。1962年にマケレレ大学で開催された「英語で書くアフリカ人作家会議」からちょうど55年目になる。SOASが開設されてからちょうど100年目の記念すべき一連の行事の一つだった。朝の9時半から夜の6時半までの長時間にわたる会議だった。

 基調講演は1986年にノーベル文学賞を受賞したウォーレ・ショインカが、マケレレ大学で開催された会議に触れ、エメ・セゼールやさんゴールを引き合いに出して、ネグリチュードの議論を中心として展開したことを紹介した。そして彼独自の意見として、「チグリチュード(虎のタイガーが、タイガー性を主張しない)は存在しない」ことを改めて、紹介した。

 あれから55年経った現在、「アフリカ文学の定義」は明らかにされなかった。大変難しい問題である。55年前の会議に出席していた多くは亡くなり、生きている作家は、ショインカとグギぐらいのもので、今回この会議に出席していた人の多くは、次の世代の人たちで、55年前の作家会議を知っているのは、ガーナの作家アツクウェ・オカイぐらいだった。

 時差もまだ体に残っていて、会議の後半部では、ナイジェリアの女性作家ブチ・エメチェタ、評論家・学者のアビオラ・イレレ、作家のアレン・リカードらの追悼のセッションがあった。エメチェタは主にロンドンで過ごした。私は1985年にエメチェタのロンドンの自宅に訪ねて行った。エメチェタは今年の1月25日に亡くなった。私と同じ世代なので、早く亡くなったことが惜しまれる。

 今年の6月にイェール大学で開催されたアフリカ文学会にも、長男のシルベスターが参加して、母親のことを語った。今回も長男が来て、母とアフリカ文学のことを語った。30年以上前にエメチェタの自宅で撮った写真をシルベスターにあげた。とても喜ばれていた。

写真はウォーレ・ショインカの講演。

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ロンドンに出かける

26日、朝5時40分、タクシーにお願いし、北大路ターミナルまで。一週間ぼどの旅なので、荷物は少ない。5時56分の始発の次の地下鉄で、京都駅まで。6時20分発の伊丹行きの空港バスに乗り、7時10分着。8時30発の羽田行きにチェックイン。座席指定はWeb指定していたので、簡単な手続きで済む。3日前のチェックインなので、ロンドンで、Web座席指定をしなければいけない。簡単といえば、簡単だが、これまですべて旅行会社にお願いしていたが、システムがどんどん変わる。

 久しぶりのロンドン。3年ぶり。今回は、55年前にマケレレ大学で開催された「アフリカ人作家会議から55年」会議というものだ。当時に参加していた作家たちの多くは、残念ながら亡くなっている。アフリカ文学の定義を巡って、今度の会議でも議論されるのだろうか。楽しみだ。

 日本を午前11時20分に羽田を出て、ロシア大陸の上を飛び、12時間15分でロンドン到着。午後3時55分。昼間のフライトなので、眠たくはないので、映画を数本観る。山田洋次監督の『家族はつらいよ2」。いつもながら、笑あり、悲しみあり、哀愁あり、喜びあり、社会の矛盾あり、家族のさまざまなつながりを通して、見えてくる関係性がなんともすばらしい。三世代が同居する家で、第一世代の橋爪功演じる第一世代の頑固親父が後期高齢者になり、日頃は後期高齢者の車の事故が多いことから、お爺ちゃんに車の免許証を返納するように家族は進める。

ある日、その妻(吉行和子)が念願のオーロラを見るために、友人と出かける。その留守の出来事。自動車で出かけた時、高校時代の友人が、道路で交通整理を行っていた。その友人と改めてお酒を飲む機会を設け、その夜同居している長男の嫁の許しを得て、自宅に泊めることになった。翌朝起きてみるとその友人は死んでいた。その人は兄弟の縁が切られていた。一人娘は海外暮らし。天涯孤独。橋爪功演じる頑固親父は、友人の葬儀で見送ることにする。誰も参列しないと思っていたが、家族全員が参加してくれていた。銀杏が好きだったその友人のために、親父は袋いっぱいの銀杏を持ってきて、棺桶に入れ別れを告げた。荼毘に付されていくとき、銀杏が弾ける音が鳴り響く。なんとっもユーモアがあり、ペーソスをより誘った。人間愛に満ちた作品だった。

 「君の膵臓を食べたい」も面白いと思った。映画のタイトルにはギックとしたが、若い人たちの淡い友情の物語。こうした映画を観に、映画館に足を運ばないので、いつも飛行機の中で映画の新作が見られる特権がある。ロングフライトの時には、映画を見て時間を過ごすことが多い。

 ロンドンに着いた時は、典型的な霧雨が降り、少しひやりとした。秋の一番いい季節に突入したようだ。空港からいつもの場所ラッセル・スクウェアまで地下鉄に乗る。旅行者が多く、大きな荷物を抱えた人たちで満員。セントラル・ロンドンに近づくにつれ、会社帰りの人たちのラッシュアワーで超満員となる。世界一古いロンドンの地下鉄の改善が求められるが、どうなるのだろうかと思う。地上を走る二階建てバスはひときわ美しくリノベーションした感があった。

 古いロンドンと新しいロンドンが混在していく。ロンドン大学のすぐ近くにあるロイヤル・ナショナルホテルには、何度も泊まっているが、修学旅行生が大量にステイするようなマンモスホテルだが、今年はどうも時期ではないのか、静かだし、リノベーションしたのか、部屋も美しくなっていた。

立命館大学でアフリカ文学の講義

 先週と今週、立命館大学でアフリカ文学の講義をした。先週は、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ、今週は南アフリカの作家ベッシー・ヘッド。グギはここ数年、村上春樹と並んで、ノーベル文学賞の候補のあがっている。今年も逃し、イシグロ・カズオにノーベル文学賞がいった。イシグロ・カズオは昨年、日本のテレビドラマ「わたしを離さないで」をみた。なんとも恐ろしい不思議な物語だと思った。「臓器提供者」としてのみの人生を運命づけられた人びとの哀愁が漂っていた。

 授業では、作家と言語の関係、アフリカ文学とは何かを考える機会となった。イシグロ・カズオは日本人だが、イギリスで英語で書く。彼の作品はイギリス文学の系譜に位置付けられる。彼の場合はイギリス文学の系譜に位置付けられる。グギの主張は、英語で小説を書く作家だったが、母語で演劇活動をした結果、一年間の政治拘禁にあった。獄中で、どうして自らの母語で作品を書くことが政治拘禁につながるのかを考えた。英語で小説を書くのではなく、母語のギクユ語で作品を書こうと決心した。その作家活動が、釈放後も政府から迫害を受け、22年も亡命を余儀なくされた。そうした状況の中から生まれた作品は、現実の社会状況や人間模様を明らかにする。迫力がある。グギと彼の作品に出会ったことで、私自身、アフリカ文学を研究することになった。そんなことを講義した。

 今日は、ベッシー・ヘッドの話をした。彼女の生い立ちから作家になるまでの道のりや、意識の変化などを講義し、彼女が描いた作品世界を紹介した。なぜ私自身がベッシーの作品に惹かれたのかを話すことができた。南アフリカアパルトヘイト体制、人種差別と性差別を体験したベッシーが、何を描き、どんな社会を希求したかを講義した。学生たちにとっては、私の話は、いままでとは全く無縁な世界だった。

 柔軟な物の見方ができる若い人たちの感性に、アフリカ文学やアフリカ人作家がどのように映ったのだろうか。どんな社会にも文学作品が生まれるが、作家たちは命がけで作品を生み出していることが伝わっただろうか。日本では文学研究は社会にとって何の役にも立たないと捉え、大学の講義から文学研究がどんどん削ぎ落とされている。文学作品は、人間理解、人間社会を理解するもっともいい題材だと思う。

 

 

選挙と台風

 台風の風が選挙を直撃した。希望の党が落ち込み、立憲民主党が想像以上に多くの人びとの期待を受け止めた。選挙は誰にも予想しないことが起こる。こんなにひどい自民党政権、いや安倍首相に対する怒りが、届かない結果になるとは思わなかった。これで安倍首相の暴走をオーライとする毎日が始まるのかと思うと、嫌な気分になる。

 台風が我が家を直撃した。深夜の暴風はベランダの植木鉢やテーブルなどをなぎ倒した。

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嵐が過ぎ去った後の光景には唖然とする。選挙の結果がもたらした政治地図に対する光景にも似ている。