Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

秋の気配が

 日中は暑いが、湿気が少なくなり、爽やかな秋の気配を感じる。台風が日本に近づいていて、その影響を受けたところでは雨の被害を受けている。気象庁の報告では梅雨の6月よりは台風の9月の方が雨の量が多いそうだ。川が決壊し、たちまちのうちに、多くの家が浸水している。道はまるで川のようになっている。こうした光景をテレビ画面で見るたびに、なんとか自然災害から守られる手立てが打てないものかと心が傷む。不当な多額の資金がある特定の機関に投入されたり、軍事費を増大させるのではなく、人々が安心して暮らせるために、政府は防災や災害支援へ財政投入しなければならないと思う。

 爽やかなお天気なので、ベランダに置いてあるテーブルと椅子をペンキで塗り替えた。この二年間雨ざらしと、鳩の遊び場になっていて、かなり腐食し始めていた。

 ようやくベンチとテーブルを綺麗にしたい気持ちになった。ここで絵を描いたり、本を読んだり、ランチをしたりと、のんびり過ごしたいと思った。最初の色は薄茶色だった。何度か塗り直しているので、その度に色が濃くなっていく。今回はアイボリーだったが、蓋を開けてみると、結構チョコレート色に近かった。2度塗りをしようと思うので、明日まで待つ。

 

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ペンキ塗り直し

 

母の遺品整理

 10日、妹と娘と一緒に母の家に行き、遺品の整理をした。母が日常的に使っていたものや、着ていた服などがたくさんある。下着類もあちこちの整理ダンスの引き出しにたくさん入っていた。父が亡くなってから10数年一人暮らしをし、そのあと3年ほどケア・ハウスにお世話になった。最後は11ヶ月間、大腿骨骨折のために、入退院を繰り返したが、毅然として生きた人だった。

 洗濯が好きで、夏などは朝晩に洗濯をしていた。下着や寝間着類が次々でてきた。病気をし、人の世話にならなければならない時のために、準備をしていたのだろうか。

 母は料理を作るのが好きだった。一人暮らしになってもきちんと食事を摂るようにしていた。それが難しくなった頃に、いろいろと考えてケアハウスに入ったが、そのことを最後まで満足していなかったのではないかと思う。最も期待し、大事に育ててきた息子に裏切られた気持ちがあったのかもしれない。妹と二人でなんとか母の気持ちを和らげ、共にする時間を大事にしてきたが、母と息子の関係を改善することはできなかった。

 母が 使っていた食器類は、もらってくださる方にお送りした。宅急便屋さんが取りにきてくれたので、大助かりだ。母のものが何もかもゴミになるのは耐えられない。少しでも役立てることができれば、母も喜んでくれるだろう。

 ものが溢れる豊かな時代になったが、その分だけ人との関係が薄れたとすれば、精神的に失ったものが大きいとすれば、かなしい。

 

北波誠さんの追悼会

 9月5日午後6時から北波誠さんの追悼会が京都であった。彼は突然6月10日に膵臓癌で亡くなった。彼は京都新聞社で長年勤務し、退職後も仕事を続けた。異業種交流会を持ち、何かことある度に三条の「伏見」に召集がかかった。いろんな方との出会いの場を作ってくれた。秋の満月の日には、西賀茂の正伝寺で月見会を開催してくれた。比叡山の上に現れる満月は素晴らしかった。ススキを生けてくれる人、料理を運んでくれる人、尺八を披露してくれる人、歌を詠む人、さまざまな才能が披露され、酒席とは違う趣と、新たな出会いもあった。

 北波さんは大学の2年先輩で私が京都で暮らしていることを伝え聞き、この異業種交流会に声をかけてくれたことがきっかけで、実に様々な方と出会いの場を与えてくださった。北波さんに最後にお会いしたのは、都市開発で「伏見」が店を閉める前の会合だった。ちょうど一年前だった。

 追悼会に集まった人たちの中に何人かが、北波さんに今年の5月18日に出会ったのが最後だったと話してくれた。その時にはとても辛そうで、数歩歩くと、立ち止まったという。その後病院を出たり、入ったりし、わずか一ヶ月足らずでこの世を去って行ったという。ご本人はまさかと思っただろう。まだまだやりたいこともあっただろう。

 ダジャレが好きで、ドドイツ協会などを作っていたそうだ。大学時代には文学雑誌を発行し、自らも小説を発表していた。卒業後も「書くこと」に挑戦して、新聞社に勤められたのだと思う。労働組合の委員長を務められたり、社内の人権委員会にも関わられていたという。おそらく、地方の小規模な大学で地道に学び、60年代を経験した世代の人たちの正義感や責任などが底流にあったのだと思う。

 妙心寺の和尚さんが北波さんに読経をされた。私にとって初めて聞くお経だった。妙心寺臨済宗妙心寺派総本山。この和尚さんには以前にもお会いしたことがあるが、とても優しい声の読経に聞き入った。

 京都新聞社の元同僚だった人たちや、木工芸人間国宝村山明さん、陶芸家の竹中浩さん、ギャラリー経営者の人見ジュン子さん、歌手の野田淳子さん、朝鮮通信使を明らかにした仲尾宏さん、男性学伊藤公雄さんら、多くの人が北波さんが残したものを静かに偲んだ。

 北波さんの元同僚だった永澄憲史さんの声かけで北波さんを偲ぶ会が実現した。永澄さん、ありがとう。

 

 

 

9月3日(日)仙人草に出会う

 久しぶりに鴨川沿いの河原から植物園を散歩した。夏に生い茂った草は丁寧に刈られて、すっかり美しい河原になっていた。ムンムンする夏草の香りは消え、涼しい風が気持ちいい。川の土手に仙人草が真っ白い花をたくさんつけていた。十文字草によく似ているが花びらが4枚なので、仙人草。十文字草は花びらが5枚で大の字に似ている。

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植物園もすっかり様変わりをしていて、秋の準備をしていた。温室の前の人工池には睡蓮の花が咲いていた。f:id:mwenge:20170905140639j:plain

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フランス語の授業にでる 

9月1日、3週間の夏休みが終わり、フランス語の夏学期後半がはじまった。受講生6人の小規模クラス。フランス人の先生ミシェルは、最後の授業で肋骨を3本折り、救急車で運ばれた。とてもお天気のいい日で、自宅から日仏会館に自転車で通う途中、鴨川沿いを走っていると、セミが飛んできたので、急ブレーキをかけたときに、バランスを崩して脇溝に落ちて、肋骨を折ったそうだ。そのあと、ランチパーティに参加し(私は不参加だった)、午後には2時間のフランス語の授業があった。私たちは先生が肋骨を折っていることも知らず、授業を受けていた。授業が終わったあと、救急車で病院に運ばれた。雨が降り出し、雨やどりのために日仏会館の前で雨やどりをしていると、ミシェル先生が顔をしかめて出てこられ、救急車に乗り込んだ。

 今日の授業でわかったことは、肋骨を3本折り、ちょうど1ヶ月で治ったとおっしゃった。ボルドゥの故郷に帰り、親孝行をしてきたと話した。私も以前、雪の日に転んで肋骨を1本折ったが、やはり治るのに一カ月はかかった。とても不自由な生活を強いられた。

 さて、今日のフランス語の授業は、関係代名詞のoùの使い方だった。一般にoù = where は英語では関係副詞であるが、どうもフランス語では関係代名詞の部類に入れるそうだ。そのあたり納得がいかないが、そう理解するしかない。oùの役割をどう呼ぼうが、文の構造については理解できるのでよしとする。

 久しぶりにお赤飯をたき、茄子と南京とピーマンの合せ炊きを作る。大根、しいたけ、豆腐、薄揚げなど具たくさんの味噌汁を添える。なんだか、カロリーカットと、健康食を意識すると、日本の農民文化を作ってきた和食となる。

 

ルームシューズを作る

 昨年の夏にルームシューズを作った。NHKのTV放送にあった趣味の時間で学んで、自分でつくってみた。靴下のように足を締め付けないし、底に滑り止めをつけたので、すごく歩きやすい。いくつかは友人や知り合いにあげて、よろこばれた。

 今年も作ってみた。底の滑り止めは100円ショップに売っているので、それを利用し、布は家にある残り布で作った。左端は綿の手ぬぐい、真ん中はガーゼの布、右端はソレイアードの残り布。木綿の布なので簡単に洗濯ができるのもいい。

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夜、サッカーの試合をみた。オーストラリアとの対戦だったが、どちらのチームもワールドカップに出場できるかどうかの厳しい戦いだった。

 日本は前半、後半ともに1点をとった。若い選手がみごとにゴールをきめた。手に汗をにぎる試合だった。最初から相手を圧していたように思う。

 麻生太郎副総理のまたもや「ヒトラー崇拝」と取りかねない発言が、物議をかもした。自民党の政治家たちは歴史を学ばないのだろうか。むしろ戦争への道を作ることを政治使命としているような時代錯誤の考え方で、とても危険。北朝鮮のミサイル発射は、許しがたいことだが、まるで戦争状況を作り出そうとする日本政府の態度やメディアやらの取り上げ方に、脅威を感じる。

 

習字のおけいこと炭酸水(8月29日)

 8月29日、お習字のおけいこに行った。6世紀の頃に生まれた中国の千字文から「容止若思」の文字を書いた。

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容止若思(ようしじゃくし)は、「立居振舞は、物を考えれいるよう厳かにしなさい」という意味。この後に「言辞安定」(言葉を出すときは物を考えているよう厳かにしなさい)がつづく。

 中国の文字には倫理や行動指針を表す。文字そのものの美しさに見惚れるが、文字の組み合わせに意味があるのが面白い。

 最近では習字教室がウィングス京都に変更になったので、お習字終了後には数年前にできた「八百一」に寄って、夏野菜を買う。最近はパリパリ胡瓜を作ってよく食べる。水分ばかりのように見えるが、血管を丈夫にする作用があるという。料理番組で知ったのだが、胡瓜を縦割りにして、胡瓜の真ん中の白いフアフアとした部分をスプーンで取り除いて、斜め切りにして塩をふり、しばらく置く。水分がでてくるので、それを絞ってとる。甘酢をかけて、しばらくおいてから食べる。胡瓜がシャキシャキしておいしい。

 最近では炭酸水にこだわっている。これまで娘の家にある炭酸水メーカーで作った炭酸水をもらってきて、それにゆずを入れて飲んでいた。ちょっとした刺激がいい。ついに炭酸水メーカを購入して自宅で炭酸水を作るようになった。今日は韓国で購入した五味子茶の素を炭酸水に入れてみた。五味とは苦味、甘味、酸味、塩味、辛味の5つの味がする不思議なものだ。身体にいい感じがする。

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