Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

書道とフランス語

11月13日、書道のお稽古日。月二回なので楽しく出かけている。千字文の半分ほどまできたのだろうか。

「交友投分 切磨箴規」の前の部分を書いた。友と交わるには、分をわきまえ、切磋琢磨して戒め合うという意味。古い中国の漢字を書いた。

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14日は一日中家にいる。何をしたのかはよく覚えていない。のんびり過ごした。

15日。夜フランス語の振替授業に出る。先生も出席している人たちもよく知らない。このクラスには先生の教え方の流儀があり、先生の指示通りに正しくできない生徒を排除するような雰囲気があった。以前にも一度授業に出たことがあったが、先生のやり方についていけなくて嫌な気分になったことがある。すっかりそんなことは忘れていた。他所から来た生徒にはひどく無視したりするところもあるが、そんなことには頓着なく座っていた。すると、フランス語を読まされて、間違いを指摘された。確かにフランス語の読みはなかなか私の頭には入ってこない。英語読みがどこかで邪魔していることは十分に自覚している。いきなり先生から、「あんたの間違いは、よくある。これまで40年間フランス語の教師をしているから、そんな人の間違いは生涯、直らない」と言われた。少し考えているうちに、だんだん腹が立ってきた。私だって、40年語学を教えてきた人間だ。だが、学生に対してはそんなことは一切言ったことはないし、教師は語学学習に自信を失わせないように指導していくのが仕事ではないか。その先生は授業中に、マルセイユのフランス語とパリのフランス語の違いを滔々と述べ、フランス語の多様性を語るのではなく、「田舎者のフランス語」というように、侮蔑も含まれていた。そうであれば、私が接するアフリカ人のフランス語は「ど田舎のフランス語」になるのだろうかと、少し気分を悪くしていた続きに私の発音の間違いを指摘したのだ。ひどく気が動転した。「私にはフランス語を学ぶ資格はない」とでも言われているような気がした。フランス帝国主義の言語教育なのだろうかとも思った。それならば、私は何のためにフランス語を勉強しているのだろうか。あまり進歩もないので、もうフランス語を学ぶのをやめようかとも思うほどショックを受けた。おそらく私の自尊心が傷ついたのかもしれない。そんな程度のことなのだろうか。

 大学院時代にフランス語の授業を先生と一対一で学んだことがある。その時はフランスの作家の短編小説を読んだ。フランス語で音読することはパスされた。発音指導をしていると作品を読むことができないというので、訳読が中心だった。この時期にきちっと発音を学んでいれば、今のような苦労はなかったのにと後悔。後悔していても始まらないので、めげずに続けるしかないのかもしれない。

 翌日の正規のフランス語の授業では、先生からいつもの楽しいフランス語の授業を受けることができ、同じクラスにいる人たちとも気持ちよく過ごせた。

 

11月11日、大阪阪急百貨店でアフリカ・アート展

 アフリカ・アート展が大阪の阪急百貨店であるというので、娘と妹と一緒に観にいく。写真が取れなかったので、パンフレットから。西アフリカでは仮面が多く、王様が使った杖や椅子などの彫刻が素晴らしい。

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女性たちの手作業で作ったバスケットや袋、ドレス、ビーズ作品なども展示販売されていた。どれも色鮮やかで発想豊かな作品ばかり。うっとりと見とれてしまった。

同じ場所でタンザニアのティンガ・ティンガ展をやっていた。何年も前にタンザニアにいった時に、ティンガ・ティンガの絵を描いている芸術村に出かけたことがある。時々彼らの絵を京都でも何度か観たことがあるが、色彩も構図も独特のものがある。我が家にも何枚か絵がある。モティーフは動物や鳥類が多い。

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毎日があっという間に過ぎる

ブログを書こうと思って、机の前に座るが、この一週間何をやっていたのか、全く思い出せない。ただ時間だけは過ぎている。秋晴れの日が続くので、朝の散歩は欠かさないでいる。携帯電話で撮った写真だけが、記憶を記録している。11月3日には、植物園の中をぶらぶらと散歩をしている。ミニガーデンの作品展をやっていた。

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4日には久しぶりにピザを焼いてランチを楽しんだ。ご飯もパンもなかったので。

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11月6日、京都精華大学に、 Dr.Marie Louise Pattersonさんが講演にやってきた。両親がアメリカ黒人詩人のラングスン・ヒューズと親交があり、多くの往復書簡を残していることを知り、それらを一冊の本にした。Letters from Langston. 彼女自身は小児科医だったそうだが、両親の死後、遺品を整理していると多くの書簡が出てきたので、それらを次世代に伝える責務を感じたという。京都精華大学の教員であるレベッカ・ジェニスンさんの誘いを受けて、メアリーさんの講演を聞きに行った。私にとって、学生時代に、ラングストン・ヒューズらの作品を読んで、アメリカ黒人の歴史を知るきっかけとなった。とても懐かしい気持ちと、彼女の熱意ある姿勢に感銘を受けた。講演終了後タイ料理を楽しんだ。

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11月7日。掃除と洗濯に明け暮れる。布団の入れ替えを済ませる。季節が変わったのを実感。

 

気分転換にピンクのバラの鉢植えを購入。「大人の小学校」のバラの手入れのボランティアをしていたり、バラを鑑賞するグループの影響を受け、最近バラの栽培に関心が芽生える。玄関口のミニバラと花が咲き終わった三種類のバラ。毎日害虫や病気の点検を怠らない。

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パリ 第四日目

11月1日。オペラ座の近くにあるロワシーバスの停留所から、約1時間でシャルル・ド・ゴール空港に着く。今回フィンランド航空の格安チケットを購入したために、ヘルシンキを経由することになっていた。ヘルシンキー名古屋間は約9時間なので、問題はない。そこから各ヨーロッパの主要都市まで約3時間。これもさほど苦にはならない。だが、直行便があるなら、直行便の方が精神的にはもっと気楽だ。昨年は、JALの羽田からロンドン直行便で行った。帰りも同じルートだった。今回はパリに行きたかったので、このような選択になった。ヘルシンキでは乗り継ぎに要する時刻は1時間と割と短いものだった。

 シャルル・ド・ゴール空港では出発間際に、若いカップルが飛行機から降ろされた。具合が悪くなったらしいが、何やらスタッフたちと何度もやり取りをしている様子だった。結果として、二人が降りることを機内アナウンスで知らされ、二人の荷物を飛行機から降ろさなければならない。すでに出発時刻から1時間は遅れている。ヘルシンキでの待ち時間は1時間なので、私たちの乗り継ぎ便はどうなるのか心配だった。アナウンスによると、乗り継ぎ便は待っているので心配しないとのこと。実際には飛行機がヘルシンキに到着した後、アナウンスがあり、急いで次の出発便の搭乗口に移動するように言われた。フィンランドは、私が好きなマリメッコのお店や、ムーミンのお店があり、帰りにゆっくり見ようと思っていたのが、全く叶わなかった。

 数年前に、南アフリカの作家アンドレ・ブリンクは講演の帰りに飛行機の中で心不全を起こして亡くなった。そんなこともあるので、体の具合が悪いという人を飛行機に乗せてそのまま飛ぶことはできないのは、当然のことだし、乗客も我慢しなければならない。長距離の旅には予想しないこともついてくる。大きく受け止める心が求められた。

 格安チケットだったので、座席は事前予約があったが、3段階の値段が設定されていた。プレミアム・シートよりはずっと安かったので、一番いい席を予約しておいたので、気持ちよく空の旅ができた。

 前日のお昼にパリを出発して、翌朝、無事に名古屋のセントレア空港に帰国できた。関空からも便があったが、予約した時には、関空が台風の影響を受け、浸水騒ぎで、滑走路の閉鎖があり、どのような状況になるかわからなかったので、名古屋便を使うことになった。関空へ行くよりは、少々運賃は高くついたが、時間的にはそれほど変わりはなかった。

 パリでは、フランス語しか通じない人がいたのは、少しびっくりした。私の拙いフランス語を駆使して何とか会話ができたのは、この数年のフランス語学習のおかげだった。

 

 

パリ 第三日目

時間を短縮するために、自然史博物館、植物園、エッフェル塔、人類博物館、モンマルトルの丘、サクレ・クールに出かけた。それぞれが行きたい場所をあげ、その中から私がどうしても行きたい人類博物館とモンマルトルの丘だけは今日の予定の中に入れた。

自然史博物館は10時に開館するので、博物館に隣接する植物園の中を散策した。二人でよく京都の植物園を散歩しているので、それぞれに植物園の中を歩くのは好きだ。冬を前にして花々は枯れ始めていた。春や夏に来れば素敵な植物たちに出会えるのにと少し残念な気分であった。他の植物園とは違って、様々な種類の花々たちが畝に植えられていて、明らかに観賞用ではなく、研究用に作られている感じがした。17世紀に「王立薬用植物園」として開設したとのことを知り、納得できた。自然史博物館に、ジョルジュ・キュヴィエの銅像があった。彼はフランスの自然史の発展に寄与した学者だろうが、私にとっては南アフリカのサラ・バートマンが人類博物館に陳列されるという事態に関与した人として大きくショックを受けていたので、彼の名前を見るなり、少し憤りを感じた。午後からはその人類博物館に行く予定にしていた。

秋の木々の特徴は美しい色の実をつけること。この実と葉っぱを見て名前を言い当てることができるといいなあと思う。日本にもよく似た木がある。自然史博物館には、化石や地層の変化を紹介する建物と、動物たちの進化を一堂に陳列していたのは驚き。

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地下鉄で、エッフェル塔のある近くまで移動。セーヌ川側から行けば、すぐにわかるのだが、建物に隠れてエッフェル塔が見えないので、方角を道ゆく人に尋ねてしばらく歩いていると、エッフェル塔が見えてきた。パリ万博の目玉として、このような芸術的な塔が建てられた。セーヌ川を挟んだ、トロカデロ地区に人類博物館があった。この博物館は、シャイヨ宮殿の左側の建物でもある。1878年に創設された「トロカデロ民族誌博物館」の後身で、1937年に国際博覧会の催事として設立されたとのこと。1970年代後半まで、南アフリカのサラ・バートマンが剥製され、展示されていたことで物議を醸し、バートマンはアパルトヘイト後の南アフリカに帰国を許され、故郷の村に埋葬された。国家行事として行われ、時の大統領ターボ・ムベキは「野蛮なのはサラ・バートマンではなく、サラをそのように野蛮に扱ったヨーロッパの人々だ」と述べたことは知られる。 

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そして、モンマルトルの丘に行く。フランスには今回四度目だが、毎回ここには行く。最初にサクレ・クール寺院を夕日が照らして、黄金色に浮かび上がっていた光景にしばし釘付けになった。この丘には若き日の芸術家たちの溜まり場であったり、キャパレー「ムーラン・ルージュ」には音楽家たちなども集まった。若き日のヘミングウェイも出入りしていたことも懐かしく思い出される。ゴッホもこの地を描いた。ルノワールセザンヌピサーロロートレックユトリロモディリアーニピカソ等などが、ここの通りを歩いていたと思うと嬉しくなる。

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ヨーロスターでパリに

10月29日、ロンドンのセントパンクラスからパリのノード駅まで2時間15分の旅。

いつもなら飛行機で移動していたが、今回は鉄道の旅を選択した。飛行場に行くのに1時間近くかかり、待ち時間と飛行時間、パリの空港から街中までの時間を合わせると、4〜5時間はかかる。宿泊していたホテルは、ロンドン大学のすぐ近くにあり、ヨーロスターの出発駅までは、地下鉄で一駅のところにある。日本でなら、京都から東京に移動するようなものだ。日本でヨーロスターの座席を予約し、ロンドンの駅で事前にチケットを発券しておくだけの手間だけで済む。

 セントパンクラス駅では、出国手続きがあり、手荷物検査とパスポートチェックがあった。列車は結構満員だった。市街地の喧騒を離れると、のどかな田舎風景に変わった。やがてあたりが真っ黒になり、ドーバー海峡の海底トンネルを通過しているのだと実感した。あっという間にフランスに入り、またもや田舎風景に変わったが、イギリスもフランスもよく似た景色だと思った。1時間ほどするとパリのノード駅(北駅)に到着。この駅はパリの中心街にあり、いろんな地下鉄、国鉄の交差点にある。およそ25年前に初めて一人でパリを訪れた時、知らないでこの北駅の近くに宿泊したことを思い出すが、すっかりあたりの様子は変わっていて、大きな近代的な駅となり、幾層にも地下街が交差していて、地上への出口がわかりにくかった。

 パリの宿泊は、これまでも何度もインターネットでホテルを探して、日本から予約しておいてあるので、あとは住所を頼りに行くだけ。今回はフランス語の先生にどの地区に宿泊するのがいいか尋ねておいた。先生は即座にオペラ座の近くと教えてくれたので、そのようにした。フランスはカタツムリ状に一区から二十区まであるので、このオペラ座があるのは、第二区。もっとも街の中心地で、交通の便もいいところだが、重たい荷物を持って地下鉄の乗り換えなどは大変なので、タクシーで行くことにした。一つの目印にしていたラファイエット百貨店もオペラ座の隣にあり、よく歩いた地域でもあった。

 パリの街は放射線状にできているので、どの道かよくわからないが、ロンドンとは違った雰囲気の白い巨大な建物の間をすり抜けて、あっという間にホテルに着いた。小さなホテルだが、これまでに泊まったことがあるどのホテルよりも、部屋が広くて、開放感があった。このホテルに3泊4日滞在したのだが、毎朝の朝食はブッフェ形式でとても満足できた。ロンドンでいつも滞在するホテルは巨大ホテルで、海外からくる修学旅行生や観光客が泊まるような古いホテルなので、シリアルとパンと果物と飲み物の簡単な朝食だったが、パリのホテルは一応、幾種類ものハムやチーズ、卵のオムレツやゆで卵、ソーセージ、新鮮な果物、飲み物などが用意されていた。毎朝、異なる日本人家族や、グループの人たちに出会った。おそらく日本の旅行社からも推薦されているこじんまりしたホテルなのだろう。ホテルの隣には韓国料理店、前にはタイ・ベトナム料理店、少し離れたところにはフランス料理店などがあり、すごく便利な場所だった。今回は訪れなかったが、すぐ近くにジュンク堂がある。

 ホテルの周辺を探索に出かけた。パリからヘルシンキを経由して名古屋に帰るので、オペラ座のところからドゴール空港行きの空港バスが出ているので、その場所も確認しておいた。ホテルから歩いて5分ほどのところ。

 夫はパリが初めてだったので、観光を第一にした。まずルーブル博物館に行ったが、あいにく休館日だったので、地下鉄でシャンゼリゼ通りまで行き、凱旋門を見学した。夫は凱旋門に登りたかったが、大勢の観光客で長蛇の列だったので、諦めた。バスで川向こうのオルセー美術館に行った。ちょうどピカソの「赤と青の時代」とゴッホの特別展をしていた。あいにく午前中雨が降っていたので、ここにも大勢の人がこの美術館にやってきていた。待ち時間がおよそ1時間半ほどあり、長蛇の列を辛抱強く待った。以前にもこの美術館に来たことがあるが、広すぎて次第に疲れてくるので、まずはお目当のゴッホピカソをゆっくり観ることにした。

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シテ島にあるノートルダム大聖堂を見学に行く。数年前に訪れたサン・シャペル寺院の前は素通りした。とても残念だったが、仕方がない。ノートルダム大聖堂の荘厳さを前にして、身が引き締まる思いがする。ローマ・カトリックの大聖堂で、ゴシック建築。何度も破壊、再建を繰り返し、現在の姿。ヨーロッパの教会は戦禍で破壊されても、ほぼ元どおりに再建されるている。それは建築当時の製図なりが記録として残されているからだ。歴史の重みを感じる。

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10月25日から11月2日までロンドン・パリに

あっという間に時間が経ってしまう。今回は、ロンドン大学のSOAS(School of Oriental and African Studies)の催しで、スワヒリ語に関する会議が10月27日にあった。私自身に直接関わりがないが、夫の長年の研究テーマでもあるので、一緒に参加した。ファロク・トパン先生の長年の業績を記念するものでもあった。夫はトパン先生に40年ほど前にナイロビ大学でお出会いしていたとのこと。他に参加していたケニアの作家アブドゥラ・アブラダティフさんは、夫とも知り合いであったが、私自身は6月にワシントンDCで開催されたアフリカ文学会でお出会いしていたので、私のことも覚えてくれていた。あまり大きくない会議だったが、それでも多くはスワヒリ語やスワヒリ文学について英語で発表していたので、私にも少しは理解できるところはあった。

 会議の前日に久しぶりにロンドン・タワーを見学に出かけた。ロンドン・タワーの周辺には大きな近代的なビルが立ち並び、伝統と近代が入り混じってる感じになっていた。観光客がめだった。ここは夏目漱石も訪れたことがあり、「倫敦塔」を書いていることはよく知られる。

 古くにはイギリス国王の宮殿として知られ、13世紀には政治犯の収監、処刑場ともなり、14世紀以降は政敵や反逆者を処刑する死刑場ともなった。だからか、ここには黒いカラスが住みついている。こうしたことは漱石も詳しく書いている。

 

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ロンドン大学 SOASでの会議。