Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

フランス語の授業 京都観光 「老人問題」?

17日(金)フランス語の授業に出た。バス、地下鉄、バスで京都外大まで。若い人たちがたくさんいるキャンパスは、活気があっていい。勉強への刺激を得る。フランス語の授業では、Charles Aznavour の J`aime Paris au mois de mai.「私は5月のパリが好き」の歌詞を学び、歌を聴く。シャンソンは人生や、四季折々の風景を歌う。アズナブールはこう歌う。冬が去り、春になると、パリはスズランの香りがする。街が活気づく。本の露天商や画家が現れる。セーヌ川、夜の街、何もかもがすきだと歌う。春を待ちわびた人びとの気持ちを歌う。リズムと言葉が一つになって、す〜っと身体に込んでくるようだった。

18日(土) ケープタウンから友人の友人が東京から京都にやってきた。午前中は御所を案内した。御所は数年前から、誰でもが見学できるようになった。観光客はいるが、それほど大勢ではない。修学旅行生もいない。拝観料もいらない。日本の歴史と文化をコンパクトに理解できるかもしれない。午後は我が家に少し立ち寄って、コーヒタイムと休憩。上賀茂神社を通り抜けて、バスで、龍安寺まで。石庭か苔寺を見たいということだったが、苔寺は二週間前までに許可証を申請する必要があるとのことで、断念。貴重な苔を守るためには人数制限があるのだろうかと思った。以前はよく龍安寺に出かけた。立命館大学のすぐ近くなので、大学に用があった時には龍安寺の中を散歩することもあった。静かに石庭をしばらく眺めていた。外国からの観光客と修学旅行生が大勢いた。庭内に大きな池があり、蓮の花が咲き始めていた。春の緑紅葉がとても美しかった。帰りのバスは大勢の観光客で満員だった。久しぶりに観光旅行をした気分だった。

 19日(日)いつものように大原の朝市に出かけた。にんにくの芽がまだ出ていたので、購入。食べることができるのはこの短期間とのこと。ベーコンと一緒に炒めて食べるととても美味しい。何の味付けもいらない。お花はアリウムと木(?)を購入。木の名前は知っていたのに、今どうしても思い出せない。アリウムはネギ科の植物で、あちこちで見かけられる。

 午後に、頼まれていたことを済ませて、その書類を送るために、日曜日も開いている郵便局まで、バスで出かけた。近くにあるスーパーで牛乳や卵を買った。最近のニュースで「一人暮らしの老人問題」が話題になっている。一人であれ、二人暮らしであれ、体力的に限界が出てきて、日常生活がスムーズに送れなくなった時にはどうなるのだろうかと思った。卵や牛乳を買いにいけなくなったらとふと不安になった。様ざまな社会的力を借りなければならなくなるが、それも簡単なことではないと思った。「老人」に対する社会的風当たりが、だんだん強くなるような気もした。

葵祭り 筋トレジム・カーブス、レモンの実は 日本女子バレー

15日(水)久しぶりに葵祭をみた。御所を10時半に出発して、下鴨神社から上賀茂神社までのコースを500人近くの人が行列して歩く。下鴨神社の参道の入り口あたりで、見た。京阪電車出町柳駅に近いので、外国人観光客が大勢いた。いつになく、警察官の警備が厳しく、歩道をはみ出さないようにロープが貼られ、何度も注意していた。下鴨神社で2時間近く昼食をとるので、一旦家に帰った。上賀茂神社3時半ごろに到着するので、2の鳥居あたりで行列を見た。1の鳥居の手前で牛車から斎王代がおり、馬に乗ってやってきた勅使たちも降りて、参道を歩く。この行列には子供たちもたくさんいて、8キロの距離を平安時代の装束で歩いた。大きな拍手を送りたい。平安時代の貴族たちの衣装は煌びやかで、十二単の美しさは1000年も前にすでに確立していたと思うと、素晴らしい日本の文化を感じた。

16日(木)午後から筋トレジム・カーブスに行った。ここしばらくカーブスに行けなかったので、久しぶりだった。なんとも言えぬ身体のだるさが、筋トレをすることで、何か体内の細胞が目覚めたような感覚を持った。今日は一日中強風だった。レモンの木に咲いていた花ビラがかなり落ちていたが、小さな実はしっかりとへばりついていた。頑張れと応援するのみ。

 バラは直径13センチもある大輪を咲かせた。エネルギー溢れる。匂いも素晴らしい。

 「報道1930」はお休みで、番組は日本女子バレー。パリオリンピック出場をかけた戦いで、世界一ランクのトルコを相手に戦っていた。第一、第二試合は日本がとった。とてもいい試合だった。第三セットは接戦だが、トルコがとった。25−23。第四セットも25-20でトルコ。最終5セットは、序盤はリードし、接戦となったが、日本が勝利。世界ランキングは8位に上がった。何よりも世界ランキング一位のトルコをフルセットで破った。キャプテン古賀紗理那は強かった。

水彩画教室に 「報道1930」でガザの人たちは?

14日(火)午後から「おとなの小学校」で水彩画のお稽古。双葉葵を描いた。葵の紋は徳川家の家紋であったが、京都では下鴨神社上賀茂神社で行われる「葵祭」で双葉葵が使われる。両神社の家紋でもある。双葉葵は、絶滅危惧種にあると言われ、上賀茂神社周辺では双葉葵を育てるように、行事のたびに声かけがある。今日はしっかり観察しつつ、葵を描いた。もう少し絵の具を足したいが、絵の具が乾き切るまでしばらく時間がかかるので、教室ではここまで。

 「報道1930」を観た。パレスチナ・ガザとイスラエルの問題を取り上げていた。ガザの現実は、イスラエル軍の攻撃が続き、ガザの住民の遺体は埋まったままで、移動を強いられたガザの人々は、食料の供給も絶たれ、あと5日で餓死する状況、「正気を保てない」状況にあるという。 ネタニヤフ首相は、 イスラエル極右の支持者に支えられていて、攻撃をやめるわけにいかない位置にある。そうした中、アメリカ政府の警告を無視して、ネタニヤフ首相はラファ攻撃に固執し、徹底的にガザを破壊して、イスラエルのものにすることを使命にする。後に引けない状況にあるという。自らの権力を保持するために、戦争をし続ける、愚かな首相だと思った。

 ゲストは、立山良司(防衛大学名誉教授)、小谷哲男(明海大学教授)、曽我太一(エルサレム在住ジャーナリスト)。どのゲストの意見には納得がいった。

大原の朝市 バラが咲いた フランス語小説を

12日(日)いつものように大原の朝市に出かけた。百合の花とカーネーションを購入。先週購入したニンニクの芽がとても美味しかったので、今週も購入。とても栄養価が高く、ベーターカロテンが豊富。市場に出回るのはこの時期だけで、短期間。ベーコンと炒めて食べた。大原の朝市では、新鮮なものが多く売られているので、嬉しい。春野菜は柔らかいので、さっと湯がいて食べるのが一番いい。

 ベランダのバラが咲き始めた。数日前には真っ赤なリーベンツァーバが咲きだした。今日は同じくドイツのバラ・フロージン・82が咲き始めた。とても美しいオレンジ色。だんだんと色が変わっていくのも嬉しい。バラからたくさんのエネルギーをもらう。

13日(月)久しぶりにフランス語小説『なぜ空は青いのか』を読み進んだ。若い子供たちは次つぎ戦争に招集されていき、落ち着かない生活が続いていく。戦争で負傷して帰還してきた夫の苛立ちに長年付き合い、今度は息子たちを戦場に送り出す母親の心境が描かれていく。第一次世界大戦と、第二次世界大戦が連続して描かれている。現在のウクライナでの戦場は、20世紀初頭に始まった戦争からちっとも変わらないと思った。戦場ではより多くの生命が奪われても、「犯罪」にならない。こんな不合理なことは誰も認めていないのに。世界中から非難の声が上がっているのに。

 久しぶりに来客があった。オープンサンドウィッチを一緒に食べた。特別なものではないのに、一緒に食事をすることは楽しいし、何よりのご馳走となった。大きなお皿で取り分けて食べるのも、久しぶり。ポテトサラダと野菜の2種類のサラダ、トマト、アポカド、ハムと焼肉。

仁和寺にお散歩 京都の町屋 水俣病被害者の声は 

11日(土)午前中、仁和寺に散歩に出かけた。御室の桜で有名な場所だが、今頃はサツキのシーズンだが、もうほとんど終わっていた。紅葉の緑葉が美しかった。仁和寺もよく散歩に出かけていたが、桜の時期や特別展示を行う時期には、拝観料を取っていたが、今日も入り口で庭内だけの見学を告げると、無料だった。外国人観光客がたくさんきていた。仁和寺はちょっと不便なところにあり、日本人観光客も少ないところなのに、よくこんなマイナーな観光地まで来てくれるのだと思った。バス停で行き先をチェックしていた。英語表示がない、京都のバスを乗るのは難しいと思った。行き先を聞いてみると、高尾の方向に行くとのこと。反対方向のバス停を教えてあげた。昨日も北大路で、反対方向のバスに乗っていたので、教えてあげたばかりだった。外国人観光客の方たちは、日本人に気楽に話しかけてきたり、行き先などを聞かない。携帯電話で行く方向をチェックしているが、それもどうも不確かなようだ。

     

 南アフリカから来た友人が、京都の町屋の通りを歩いているときに、質問してきたことがある。京都では「門(カド)をきれいにする」習慣がある。玄関口にお花や植木で綺麗にしている。友人は私に「植木鉢などを誰も盗まないのか」と尋ねた。誰もそんなことはしないと答えた。京都の町屋の通りは、それぞれの家の延長であって、いつも綺麗で、楽しい場所なのだ。

 水俣病被害者たちと環境相と懇談した際に、環境省の職員が発言を聞かず、3分でマイクを切り、発言を止めた。このことは被害者の声を聞く気持ちがないということを露呈した。大きな反響に、大臣自ら足を運んで、被害者たちに謝罪するという形になった。現実は、被害者の声を聞いて、二度とこんなことが起こらないようにするという姿勢が全くないことが露呈した。北朝鮮横田めぐみさんが拉致され、日本に帰国できていないことについても、日本政府が無視し続けるのも同じことだ。あまりにもひどい。第二次世界大戦時に、広島と長崎に原爆を落としたアメリカに対して、日本が抗議しないこととも同じ。責任の所在を明らかにして、二度と同じ間違いが起こらないように取り組むのが、政府の役割であるはずなのに。なんだか情けなくなる。

 

 

お習字のお稽古 バッグ作り フランス語の授業始まる

9日(木)午後からお習字のおけいこだった。「兩疏見機 解組誰逼(リョウソケンキ カイソスイヒョク) 」の前半部を書いた。意味は、「疏広(そこう)と疏受(そじゅ)の父子は士官後身を引く時機とみて官職を辞して故郷に帰った。誰かが迫ったものでもなく、機を見ての勇退であった。」なかなか難しい字で、バランスを取るのに苦労した。文字を書くことに集中でき、すごく気分転換になった。

 携帯電話入れをリバティの残り布で作った。ついでに古い袋を縫い合わせて、一つは腰ポシェットに、もう一つは肩掛けバックにした。なんとかして袋の数を減らしつつ、新しいものに作り変える。こんな作業も気分転換になる。ものができていくプロセスが好き。

 

10日(金)京都外国語大学の生涯教育・フランス語の講座が始まった。これまでは京都駅に隣接するキャンパスプラザで講座があったが、今季から、大学のキャンパスで行われることになった。教室は広々としていて、全面ガラス張りの教室で、とても開放的でゆったりとした気持ちで授業を受けた。自宅からバスー地下鉄ーバスの乗り換えで行った。予想以上に時間がかかり、20分ほど遅刻した。京都外大には地下鉄烏丸御池東西線に乗り換えて、終点太秦天神川までいき、そこから徒歩15分弱で着く。こちらの方が時間がはっきりしているので、来週からは、地下鉄利用にしようと思う。

 授業では接続法現在について学んだ。これは、現実、非現実を問わず、話者の頭の中で考えられたことを主観的に述べる除法とのこと。例えば、Je sais qu'il vient.(私は彼が来ることを知っていた)ーー>現在直説法。事実を語っている。 Je veux qu'il vienne.(私は彼が来ることを望んでいる)。彼は来るかどうかわからないが、来ることを望んでいるのは、私である。これを接続法現在という。言葉の表現は難しい。微妙な表現を細かく、動詞の変化で表現している。

バラが咲いた 友人とのコミュニケーション メディアの声

7日(火)ベランダで育てているバラが咲きはじめた。左側のバラは、2番に咲いたバラで、ベランダの内側に咲いた。日毎に大きくなり、見事な一輪になる。午後から、「バラのお手入れ」のグループで、作業はなしで、バラの観賞会をすることになった。お茶を飲みながらバラの垣根を楽しんだ。お手入れをした甲斐があった。

   

 久しぶりに友人が訪ねてきた。短い時間だったが、あれもこれもと話しは尽きなかったが、一番にお互いの健康を願った。コロナ禍の中、あっという間に時間が過ぎたが、大きなものを置き忘れてきたような感じがする。人とのつながりを一番奪われたのか、自らが求めなかったのか、いずれにせよ、以前のような生活に戻りたいと思った。

 田原総一郎氏は90歳になった。毎日新聞で、「評判がよろしくない。ジャーナリスト、田原総一朗さんである。「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)でおなじみだが、傲慢にも映るその司会進行ぶりに批判が集まっているのだ。人間は引き際が肝心。もうお辞めになっては?」という記事を書いた。さまざまなアンケートや「世論の声」を盾にする。ご本人は「おかげさまで今日90歳になりました。 ありがとうございます! これからも言論の自由を守るために頑張りたいです。 宜しくお願い致します。」とFacebookで書いている。土曜日の夕方に、時々「激論 クロスファイア」を見ているが、田原氏はゲストの声に耳を傾けず、あるいは全く聞かず、「怒鳴る」ことがある。彼独特の表現方法だろうが、見苦しい時があるが、怒りあるいは反論を促す、挑発的な問いかけだろうと思う。そうした態度を「老人」のせいにしていないだろうかと思う。朝の番組の司会者羽鳥慎一氏は、かすれ声で司会を務めた時、「ごめんなさいね。ちょっとのどが…」と視聴者に謝っている。決して声を荒げることも、ゲストの意見に反論することもない。とても「紳士的で」いつも気持ちのいい声で、穏やかに番組を進行させていく。決して視聴者に批判や怒りの感情を引き出さないような仕掛けを作る。田原氏と羽鳥さんを比較するつもりはないが、メディア操作には注意したい。