Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

Boubacar Boris Diopさんの講演

Boubacar Boris Diopさんはフランコフォン・アフリカで著名な作家であり、詩人として知られる。さらには、演劇、評論の部門でも大活躍。セネガルの独立新聞社 Le Matin de Dakar (ダカールの朝)の編集者でもあった。フランス語でQue dit Cheikh Anta Diop aux ecrivain africains? というタイトルで講演があった。「シェイク・アンタ・ディオップはアフリカ人作家に何を言ったか』というタイトルで講演した。

 シェイク・アンタ・ディオップ(1923−1986)は、セネガルの著名な歴史学者、人類学者であり、アフリカ中心の世界観を持っていた。その彼がアフリカ文学、アフリカ人作家に何を語ったかという問題提起だった。様々なアフリカ民族がそれぞれの言語で彼らの文化を発展してきたところに目をつけて、彼流の世界観を展開してきた。彼の思想の影響を多くのアフリカ人作家が受けた。ケニアグギ・ワ・ジオンゴなどはその一人だ。現在では、彼の思想の重要性を継承していくことが重要だと語った。彼の思想は古くから議論されてきたが、実践の困難さ、難しさを生み出しているのは何かを見極めなければならないと。

 Boubacar Boris Diopのフランス語は流れるように聞こえてきた。初めてフランス語の講演に耳をすますことができて、感激した。プロジェクターで英語に翻訳した部分が映し出された。

ブチ・エメチェタを偲ぶ

アフリカ文学会の第二日目。午後からナイジェリアの女性作家ブチ・エメチェタを偲ぶ会が3時間半にわたってあった。ブチを知る人たちが、思い出を語った。

アフリカ人女性作家として第一世代を担う。私と同じ年齢なので、早くに亡くなったことが惜しまれる。心臓発作とのこと。長男のSlvester Onwordiがさんかこの日のために招待されていた。.Buchi Emechetaは生涯自分の名前で作家活動をしていたので、息子は父親の姓を名乗っている。

 Ernest Emenyonu, Helen Chulwuma, Anthonia Kalu, Akachi Ezeigho, Ad Azodo, Wangui Wa Goro, Debra Boyd, Abena Busia, Kajija Sesay, Otymeyin Agbajoh-Laoye, Thelma Pinto, Marie Umeh らが追悼の辞を述べた。

 私自身は1985年に初めて、ブチ・エメチェタにロンドンの自宅で出会った。それから、ロンドンに訪れる度に出会う機会があった。ある時、ロンドンでアフリカ人作家会議のようなものがあり、ブチの発言の番が来た時に、いきなり怒り出したことを今でも覚えている。つまり女性作家と男性作家の扱いかたが違うと言って、会議の中でも性差別があることを気づかせたのだった。

 もう30年前のことだが、いろいろ思い出した。どのように最初出会ったのかは忘れたが、自宅に招かれた。多分電話をかけて、指示通りにロンドンの北の郊外の家を訪ねて行ったのが始まりだったように思う。当時私がアリス・ウォーカの短編集を翻訳していたのと、ナイロビで開催された「国連女性の年」の会議の後にロンドンに立ち寄ったので、ついWomanism、Feminismの違いを話したと思う。ブチは「私はWomanismの立場」と即刻答えた。アフリカ人女性作家で、自らの体験を語り始めた最初の世代だった。彼女の体験はある意味でアフリカ女性、さらには世界中の女性の苦しみや怒りを表現するものだった。日本人がアフリカ人女性作家に注目していることに偉く感心してくれた。日々の忙しい生活、ナイジェリアとロンドンを往復する生活の中で、唯一飛行機の中の時間が睡眠できると語っていたことが印象的だった。さらにロンドンでの生活を書き始めた時、子どもたちを育てながら、仕事をし、孤独だった時に、誰かに自分の話を聞いてもらいたくて、書き始めたという。それが小説として出版されたのだった。誰もまだ起きてこない早朝の静かな時間に書き続けていると言った。

 今では、チママンダ・ンゴジ・アディティエのように書けば、語れば、どんどん収入にもなるし、作家として崇められる時代ではなかった。

 ブチ・エメチェタやアリス・ウォーカーのような女性作家たちの作品に励まされて、懸命に読書をした日々のことが思い出された。

 

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発表は第一セッションの突端

アフリカ文学会スタートがした。イェール大学の端っこにあるアフリカ・アメリカ文化センターで受付やら、事務連絡がある場所だ。情報を得るために一日に一度は来ることになる。今回の学会の本部と成る。あまり大きくない建物だが、本の販売やアフリカの小間物や服なども売っている。

 アメリカに来て全く日本の情報を得ることができないのが問題だが、facebookやtwetter、デジタル新聞などで重要なことは伝わってくる。

安倍政権のあまりにも民主主義を無視し、安倍首相に降りかかってくる火の粉を払うことばかりで、最も重要な法律については議論していない無茶振りはなんなのだろうか。あまりにも国民を愚弄している。なぜ安倍氏自民党に投票する人が多いのだろうか。絶対に選挙で選んではいけないが、今にこんなことも書けない時代が来るだろう。南アフリカの過去と同じになるのだろうか。不安がいっぱい。

 

New Heaven に到着

 13日の早朝に京都を出発し、伊丹ー羽田ーニューヨークの直行便だった。羽田ーニューヨーク間は12時間30分とかなり便利だった。JAL便だったので、ほぼ90%は日本人の乗客。到着は10時30分。J.F.ケネディー空港からはシャトルバスでNew Heaven Hotelに直行。以前にイェール大学を訪ねた時は、ニューヨークから列車で行き、駅から歩いたように思うが、はっきりとした記憶は遠のいている。

 空港からニューヨークの中心街に出て、そこから列車に乗り、さらに歩くか、タクシーに乗らなければならないことを考えると、シャトルバスのほうが便利だと判断した。

 どこまでも平らな平原と、まばらな建物が続き、ようやくイェール大学の街に入った。2時間ばかり超スピードで高速を飛ばした。

 28度の高熱の夏の気候に変わっていた。ホテルに着き、着替えてから、徒歩で15分ほど歩いて、アフリカンアメリカ文化センターに今回の会議の準備をしてくれたスタッフが数人いた。

 通例ホテルで早朝のモーニングを行っていたが、今回はアフリカン。アメリカン文化センターでやるという。会場まで毎日15分歩かなければならない。

 大学と、一般の街とが混在しているような雰囲気だが、明日ゆっくり観察してみよう。

先日北海道大学で感動したが、このイェール大学もイギリスやヨーロッパの教育を建物とともに持ち込んだのだろう。そしてアメリカ開拓民にとって、彼らの新しい天国を作ることが第一指名だったのだろうか。

 

 ずっと以前にケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴがイエールで教えていた時、案内された。キャンパスでは白人の女子学生に「ジャップ」と罵られた。黒人の教師と日本人がエリート校を歩いていることが我慢ならなかったのかもしれない。

 あるいはアフリカ黒人やアジアの有色人種が白人エリートのキャンパスを汚すのではないというメッセージなのだろう。私が一体何をしたというのか、日本に原爆を投下できたのも、アジア人、日本人に対する差別だろう。アメリカの白人の裕福の家庭の子弟の学ぶところなのか。いい学問環境のところでは社会や政治がどうあろうとも全く関係ないのだろうか。

 今学生は夏休みに入ったので、キャンパスにいる学生はまばらだが、ここ5日ほどイェール大学にいるので観察とインタビューをしてみよう。

 明日はそうしたことも話せるだろうか。 

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この図書館はレアや貴重価値のある本を集めれいる。遮光のための外塀は大理石でできていて、中の本を守る。光が動くたびに、あたらいい文様が大理石に浮かび上がってくる。貴重な初本を維持するためにはガラス張りの中に入れ、本が何万冊と中心にまとめられて、今では湿気や遮光に気を使っている。

ようやく原稿を書く

 明日早朝に京都を出発して伊丹、羽田経由でニューヨーク直行便でイェール大学に行く。アフリカ文学会に出席するため。ようやく原稿を仕上げた。十分ではないが、飛行機の中で少しは手直しができるだろう。お昼に整体に出かけ、大丸で娘と出会う。車の件で京都に来ていたので、お昼を一緒に食べることにした。明日から11日間家を留守にするので、トイレットペーパなどを購入して帰る。

  昨年のアフリカ文学会はアトランタだった。約一年ぶり。南アフリカの作家ゾイ・ウィカムとナイジェリアの作家チママンダ・ンゴジ・アディティエの比較研究を発表する予定。

 

 

守山市もりやま芦刈園のあじさい

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6月10日、土曜。滋賀県守山市もりやま芦刈園にあじさいを見に行った。あじさいが咲き始めたばかりで、まだすこし時期がはやかったが、それでもあじさいたちは優雅に咲いていた。日本のあじさいとヨーロッパのあじさい、それぞれ50種類づつ5000本、合計1万本のあじさいがみられる。10数年前に母が元気だった頃、町内会でバスツアーであじさい園を見学にきたとき、ここで落ち合った。私は車で娘と3歳ほどの孫と一緒にきた。あの頃は母も元気で楽しそうにあじさいをみていた。

 珍しい種類のあじさいが一度にみられるのは楽しい。原種は日本産で、イギリスのバッキンガム宮殿のお庭にあるあじさいは日本からのものだと説明があるほどだ。あじさいはとても根付きがよく、花が咲き終わるといつも剪定をして、払った枝などを突き刺すだけで次の年にうまく咲く。我が家にあるあじさいはガクアジサイで、「隅田の花火」と名されるものが元気よく咲いている。

 白から淡いピンク、濃いピンク、赤、青、紫など土質や水分の関係でさまざまな色に変化していくのを見るのも楽しい。なんとも言えないあじさい色にロマンを感じる。

 のんびりとした半日だった。

「共謀罪」に反対するデモに参加

 アフリカ文学会がイェール大学で14日から始まる。いつものことだが、まだ原稿はかけていない。いつもなんとかなってきた。あまい考えだが、考えがなかなかまとまらない。

発表内容は、南アフリカの女性作家ゾイ・ウィカムとナイジェリアの女性作家チママンダ・ンゴジ・アディティエの比較研究ということになる。どちらも人種とか、アイデンティティの問題を提示しているので、そのあたりを中心にしてまとめようと思うが、なかなか進まない。

 昨日は1日中家で仕事をしようと思っていたが、娘から電話がかかり、車のトラブルを訴えてきた。私に訴えられてもどうにもならないので、車屋に同行することになった。もともとは私が長年乗っていたフランスの車プジョだが、娘に譲った。コンピュータにかけても、不具合がでてこないとのこと。一安心。だが、あちこちに故障がみられるそうで、修理をしなければならないとのこと。車のことなので、お願いするしかない。

 夕方から京都市役所の前で、6時半から「共謀罪」に反対するデモ行動があった。憲法9条を守る会の人たちが中心。私たち「シニアの女たちの会」でひさしぶりにデモに参加した。市役所のある御池通りから、四条河原町までわずかを歩いた。友人と共謀罪は英語でどういうのかを議論した。Conspiracy bill だろうが、なんだかしっくりしない。国会で内容がよくわかるように議論してほしいが、だれもが戦前の治安維持法を連想させる。国家権力によって言論が弾圧され、人権が保障されない社会の到来に不安をいだく。

 それほど大きなデモではなかったが、だれもがなんらかの意思表示をしたいと集まった。とても気持ちがすっきりするデモだった。