Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

お雛様 ヴェロニク・タジョさんの講演会

 3月になると、お雛祭りがある。昔からお雛様が大好きで、およそ50年前に、木目込み人形のお雛様を作った。誰も知り合いがいない所で新婚生活を始めていた。近所で木目込み教室があったので、何気なく入った。桐の木粉を糊で固めたものに、布をはりつけていく。地道な作業を黙々とするので、楽しかった。子供の頃には、お雛祭りは楽しかった。今となってはジェンダーの視点から考えると、「家父長制」とか「女の子」とかの伝統的価値観の植え付けとか、いろいろと議論になるのは、わかるので、お雛様が嫌いな人がいてもいいと思う。「生花は枯れるから嫌い」と言った人がいるが、私は生花が好き。人それぞれ。

 午後からヴェロニク・タジョさんの記念講演会をオンラインで聞いた。14時から17時まで。東京大学駒場キャンパスで。タイトルは「文学をとおしてルワンダ・ジェノサイドを考えるヴェロニク・タジョさん来日記念講演『神(イマム)の影』ルワンダへの旅ー記憶、証言、物語」。環インド洋地域研究主催。私は、タジョさんに1992年にグアデループで開催されたアフリカ文学会で会って以来、ガーナ、南アフリカアメリカ、ドイツなどで何度も出会っている。南アフリカではヨハネスブルグの大学で教えていたので、一度ご自宅に招かれたこともあった。コートジボアール出身の作家で3年前に日本語訳『神の影』が出版された。コロナがなければ、2年前に来日予定だったが、今日まで講演が延期になっていた。オンラインのおかげで、東京にでかけなくても自宅でタジョさんの講演会に参加できた。コロナが生んだ新しいコミュニケーションの取り方だ。

 1994年にルワンダで起きたフツとツチの民族対立によるジェノサイについて、タジョさんは、1998年、1999年に作家たち10人と一緒に調査に出かけ、聞き書きをした。その体験をもとにして書いたのが『神(イマム)の影』だった。翻訳書がでた直後に、私は図書新聞に「アフリカ人作家の役割として、たびたび出てくる残酷な場面でも、タジョらしい人間愛あふれる詩的な表現に読者は救われる」と書いた。今日の講演会ではタジョさんは、『神(イマム)の影』の創作の背景を語った。内容は十分に理解していたので、リラックスして聞くことができた。滑らかなフランス語がとても素敵に響いてきた。コメンテータの星埜守行(東京大学教授)は、石牟礼道子苦海浄土』を引き合いにして、「記録と文学」「記憶と文学」として、「語ることができない人の言葉を造形する」と評価した。もう1人のコメンテータの西成彦立命館大学名誉教授)は、「内部の分断を克服する、とぎすまされた視点がある」と評価した。どちらもアフリカ文学研究者ではないが、タジョの作品の中に本質的なものをひきだしてくれたように思った。だが、西の質問は、1。コートジボワール人のタジョさんが、ルワンダを書くことで、パン・アフリカ的トラウマ があるのか。2。ルワンダを書くことで、西アフリカの見方に変化がでたのか。3。アパルトヘイト後の南アフリカが歩む道をどう考えているのか。という質問をした。きちっと通訳したのかどうかはわからないが、タジョさんは、政治的立場を聞かれる微妙な質問には直接答えなかったように思った。コートジボワール大使館から3人のゲストが最前列に並んでいた。講演会の冒頭で、司会者からゲストは紹介されていた。