Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

フランス語読書会 石牟礼道子『あやとりの記』 童謡「ふるさと」

  2月2日(金)午前中はオンラインで、フランス語読書会があった。全員9名が参加。9人の顔がコンピュータの画面に現れると、圧巻だった。私は新参者なので、他の人たちがどういう気持ちでフランス語の読書会に長年関わっておられるのかは知らない。最初の動機は、京都外国語大学の生涯教育のフランス語の講座に参加しておられて、読書会が発足したようだ。みなさんはフランスが大好きという一点だけでつながっている。

 机の位置を変えた。気分が変わり、集中ができるので、仕事がしやすい。習慣からか、コンピュータに向かわなければ仕事ができなくなっている。お習字の時だけ筆を持ち字を書くが、鉛筆やペンを持って字を書くことも少なくなった。何かメモを取っておかなければならないときは、携帯で写真をとり、それをメールで送っておく。便利だといえば、便利だが、日本語の文字の書き方もどんどん忘れていく。

 12月にバラの枝を選定した時に切り取った枝を育苗ポットに挿しておいた。1ヶ月半ほどで小さな葉っぱがでてきた。まだ根は出ていないようだが、そのうちにでてくるだろうか。ちょっとした楽しみ。生き物の成長の過程はすごい。今年の挿木は無造作にやったので、どれだけ根づくかはわからないが。バラの栽培がこれほど面白いとは思わなかった。4月頃から12月初旬までずっと花を咲かせつづけた親苗はいま冬眠中。どんな新枝がでて、花を咲かせてくれるのだろうか、想像するだけでも楽しい。

 1日(木)本の断捨離はつづいている。石牟礼道子『あやとりの記』がでてきた。石牟礼の『苦海浄土』を読んだときに、彼女が表現する日本語の美しさに感動した。内容は水俣病の患者とその家族の苦しみを記録しているのだが、人間の生の壮絶な記録だが、言葉が心の中に染み込んでくる感じだった。『あやとりの記』は石牟礼の幼少期の自伝的なものだと言われている。児童書を多数出版している福音館書店から児童書として出版されたが、現代の子供たちが読んで理解できるだろうかと思った。石牟礼の言葉に導かれて、「異次元」の世界の中に放り込まれた。気がつくと読みふけっていた。

 夕方に、誰かが投稿している記事を読んだ。何に書いていたのかは、わすれたが、寿岳章子さんが動揺「ふるさと」は「男の歌で、大嫌い」と言ったことが紹介されていた。私たちは意味もわからず、小学校の頃に歌っていた童謡。確かに言われてみれば、「兎追いし」「小鮒釣りし」は、どちらも「男の子」の話しで、「こころざしを果たして、いつの日にかかえらん」は、都会に出て、学問を得て、出世をして、故郷に錦をかざるという男の話だという。寿岳章子さんは、大学に進学しようとしたとき、女子学生を受け入れる国立大学はわずか3校しかなく、東北帝国大学法文学部に進学したことは有名。早くから「女性」であることから社会的差別を身にしみて感じていた。私は童謡「ふるさと」に、「男の歌」とか「立身出世」とか、「故郷に錦を飾る」とかを考えることもなく、すばらしい「日本の童謡」としてしかとらえていなかった。ついでに思い出したのは、童謡「赤い靴」も怖い歌だった。「赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった」と歌う。「とんがり帽子」は「緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台」、戦争孤児院の歌だったのだ。あの時代を歌っていたのだ。意味もわからず、歌ってきたのだった。