Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

光陰矢の如し 水彩画教室 習字の教室

 時間だけが過ぎ去っていく。1月も半をすぎた。神戸の震災から28年。もっとあっという間に過ぎ去っていたので、日々の毎日は信じられないほど早い。1995年1月17日は、阪神・淡路大震災があった。一瞬で、6435人も犠牲になった。私は当時、南アフリカヨハネスブルグにいた。日本の新聞社の事務所があったので、毎日新聞を読みにでかけた。どのページも亡くなられた方の名前がビッシリと詰まっていた。初めてみる紙面に悲しい思いがしたのを覚えている。中には知っている方の名前もあり、ショックだった。唯一なんとか、国際電話は通じたので、神戸にいた両親、大阪にいる妹、京都にいる私の家族などに電話をした。みんな無事だったのでほっとした。それからしばらくして、3月に帰国したあと、神戸の町を歩いてみた。あちこちに爪痕が残り、心が痛んだ。生まれて、育った町の変わり様にはただただ哀しかった。

 16日(月)午後から「水彩画の教室」だった。午前中に用があり買い物に出たので、すっかり「水彩画」のことは忘れていた。お昼ご飯をたべ、午後1時からの「徹子の部屋」に小山明子さんがゲストで出演していた。大島渚さんの介護の間にも「鬱病」に襲われ、最近も「鬱病」になっていたという。すっかり元気に回復されてのテレビ出演だったが、どうすれば鬱から抜け出られたかという話は感激しながら観入っていた。くよくよしない、身体運動(小山さんの場合は20年水泳をつづけている)、コーラスや麻雀などで友人たちとの付き合いをもつ、たわいのない会話をすることなどから、徐々に回復していったという。息子たちやその妻さんたちとの、家族の関係をつくっていくことも大事だと。番組が終わったあと、「おとなの小学校」から電話があり、「水彩画の教室」のことをすっかり忘れていた。大慌てで、でかけた。30分ほどの遅刻だったが、なんとか参加できた。描いたのは蝋梅。なかなか難しい。蝋梅の花の透明感をどうだすかが、難しかった。慣れていくしかないように思う。

 

 17日(火)午後からは「バラの手入れ」、お習字、知人宅に立ち寄り、と忙しい半日だった。習字は、千字文の「嶽宗恆岱 禪主云亭」((ガクソウコウタイ ゼンシュウンテイ) の前半部を書いた。意味は、「山は恒(こう)山と泰山を尊宗した。」なかなかまっすぐに書けない。もう何年もやっているけど、どうして書けないのだろうかと思う。だから学び続けるのかもしれない。

  岸田首相は海外の5カ国への訪問を終えて、帰国した。まるで英雄のような態度だ。どの国でもニュースになるほどの意味はなかったらしい。日本の国民にきちっと説明してから、海外のトップたちと話し合うべきではないかと、批判の声が上がっている。国会が開催されたら、まずは問題になるだろう。これまでの首相よりも強権発動して、独走していく。小沢一郎氏でさえ「国民の苦しみを理解できず はしゃぐ裸の王様」とツィッターで批判している。来週からの国会でどう答弁するのだろうか。