Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

大原の朝市 「敗戦記念日」に Zoom の準備

14日(日)大原の朝市に出かけた。爽やかな空気を感じながら、新鮮な野菜と出会った。ナスはとてもみずみずしく、美味しそう。子供の頃はそれほど おいしいと思わなかったのに、ナスが夏の野菜になくてはならない。表面に細かな切り目を入れて、一口大に切って、お湯の中で柔らかくしてから、お出汁とお醤油とみりん、鰹節を入れて、冷蔵庫で冷やして食べる。あっさりしていて、おいしい。お花はリンドウと菊を購入。あちこちの花瓶にお花を入れて、気分転換に。

 お昼前に、娘家族が猫ちゃんを連れてやってきた。この前にコストコで購入したものをあれこれ持ってきてくれた。お昼ご飯に、ちらし寿司を久しぶりに作った。鶏肉があったので、耐熱容器に入れて、タマネギやニンジンなど一緒に、オーブンで焼いた。最後にはチーズをかけて焼き上げたので、美味しくできた。手間いらず。久しぶりに白和えも作った。ポテトサラダにコンビーフ を入れた。コンビーフはこの何十年も食べたことがなかったが、昨年に明治屋のコンビーフ を購入して以来、野菜と一緒に炒めたり、ポテトサラダに入れたりして食べている。娘には食べさせたことはなかったと思うので、知らない味だが、おいしいと。日頃の二人用のちょこっとした料理とは違って、気合を入れてつくる料理は楽しかった。猫ちゃんは隅っこが落ち着くらしく、椅子の後ろや花台の下に入ったり。しばらくすると本棚の上に寝そべっていたり。びっくりするのは、おしっこをするときはちゃんと自分のおしっこ箱みたいなところに入る。し終えると、中に入っている砂石のようなものをちゃんとかけて、おしっこを隠してしまう。別にしつけたわけではないというので、驚くべき習性だ。 

 8月15日は敗戦記念日。8月11日が「海の日」で国民の休日だが、8月15日を「平和記念日」「非戦の日」とかにしてこちらを国民の休日にすべきだと前々から思っている。戦後の混乱した、貧しい日本の姿を微かに覚えている。父は戦地には行かず、軍艦を作っていた。家では戦争の話はほとんどなかったが、友人の中にはお父さんを戦場で亡くした人がいた。先日の「徹子の部屋」に出ていた毒蝮三太夫さんは、9歳の時に東京空襲の猛火をお母さんと生き延びた話は感動的だった。死体が転がっていた焼け野原を歩くのは熱くてたまらなかった。ちょうどいい革靴が落ちていて、それを拾って履こうとしたら、足首がついていて、驚いたが、自分が生き延びるために、その靴を履いたという。B29の威力を実感したともいい、その時の感覚は何とも言えず、母も靴を盗んだことも咎めず、「履くことが供養になれば」と思っていたという。。毒蝮さんは、少しでも戦争体験をした者の務めとして、戦争は絶対してはいけないと語り継いでいるという。黒柳徹子さんもほぼ同じような場所で育ち、東京大空襲の時の同じ空を見ていたと共感しあっていた。今日は日本全国で「平和の大切さ」を感じた人たちや町を報道していた。今日だけでなく、いつまでも「平和な社会」作りのための政治であってほしい。

 フランス語の講座を一緒に受けている方から、オンライで、フランス語の小説を読む会に誘っていただいた。今日はその準備のためにZoomでつながるかを実験した。 Zoomは何度かやったことがあり、先月はずっとWANのオンライン会議をしていたので、問題はないと思っていたのだが、なかなかうまくいかなかった。Zoomには自分の顔が出るのはいいとしても、部屋の中でやっていると、コンピュターが部屋の様子を捉えてしまうので、私のよく知らない人に部屋の中を見られるのは、何となく嫌なので、壁紙を貼ることにした。いろいろと写真を探していると、3月に淡路島を旅行した時に、鳴門大橋の向こう側にある大塚国際美術館で撮ったモネの庭の写真を使うことにした。大きな睡蓮の池が銅版画で作られていた。パリのオランジュリー美術館で見たモネの部屋の再現だったので。