Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

水彩画の教室に 祇園祭宵山と「鷹山」鉾、短パンを縫う

 午前中は、いつものように朝のルーティンをこなす。ベランダの花たちに水やりや、枯れた葉っぱをむしったり、植木鉢の移動などに時間をかけている。急に温度が上がったために、バラの葉っぱが黄色くなったり、黒点病が出たりし始めた。丁寧にむしり取る。結構時間がかかるが、楽しい。ラベンダーも花が終わったので、短く剪定をした。切り取った枝をプランターに挿しておいたら、少し伸びてきた。バラの植木鉢のそばに、ローズマリー、ラベンダー、ミントなどのハーブをおいているので、バラに害虫が飛んでこなくなったように思う。虫たちには、ハーブの強烈な匂いが嫌なのだろう。ガーゼ布の袋にローズマリーを入れて、部屋のあちこちの拭き掃除をしている。ローズマリーの香りと成分が、とても効果的だとネットに書いてあった。汚れもスーッと取れるような気がする。

 午後からは水彩画の教室に出かけた。今日は5名の参加。すももを見ながら書いた。書くほどでもない。色塗りの基本を教わった。理論は理解できるが、実際にどのような色を作って、どう塗っていくかは別。なかなか難しいと思った。筆が違うのだろうか、絵具が違うのだろうかと、私にできていないことを別のせいにしている。とても簡単そうに見えて、とても難しいと思った。すごく集中できた。あっという間の二時間だった。

 夜、NHKの番組で祇園祭宵山の模様が放送されていた。3年ぶりのことだったので、すごい人が四条通り(歩行者天国)を歩いていた。昨夜は25万人が集まってきた。今日の5時半で7万人で、午後8時にはテレビで観る限りは20万人はいたように思う。午後9時半には30万人とニュースであった。「鷹山」鉾が196年ぶりに再建されたという。すごいエネルギーと努力で、明日の巡行でお披露目される。「鷹山鉾」については、保存会のホームページにこう書いてあった。

 鷹山は応仁の乱以前から巡行していた由緒のある山鉾で、「くじとらず」の大きな曳山でした。御神体鷹匠、犬飼、樽負の御三方で、中納言在原行平様が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面です。

鷹山も他の山鉾と同じく幾多の災害にあいながらも七転び八起きで立ち上がってきました。そして鷹山は他と競いあうようにして豪華になり、江戸時代後期には黒漆塗で破風裏は金という華麗な屋根を持つ曳山になりました。

ところが文政9(1826)年の巡行で大雨にあって懸装品を汚損したことを理由に、翌年から加列しなくなりました。

それから現在まで約190年もの間、御神体をお飾りする居祭を三条通室町西入の町家等で続けてきました。

近年、復興の気運が高まり、2014年に鷹山囃子方、2015年5月に一般財団法人鷹山保存会を設立いたしました。そして2016 年1月に公益財団法人の認定を頂きました、鷹山は都大路を巡行する日を目指して着実に歩んでおります。」 

 コロナ感染者数が今日11万人をこえた。京都府でも2214人。京都市内が1200人強。祇園祭と三連休で人の動きが活発になっている。だが政府は何の対策も出さない。参議院議員選挙で人が動いたことは、一切口にしない。人流がその原因だろうが、一切言わない。人流を断つと経済に影響が出るので、人流を止めようとはしない。これでは感染拡大は止まらない。

 テレビを観ながら、夏のワンピースを長めの短パンに縫い直した。ベランダの花や木に水やりをするときにちょうどいい。若い時に着ていたもので、何度も断捨離しようと思ったが、なかなか決心がつかなかった。