Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

冨山妙子さんを思う 参議院議員選挙始まる

 時間がどんどん過ぎていく。梅干しの重石が効いてきたのか、鉢の底からジッワーと梅酢が上がってきた。部屋の明るいところに置いていたが、室温が上がってくるので移動させることに。一番涼しい場所は、玄関。風通しもいいし、日がささないので、ラッキョウと梅干しを移動させた。梅酢が上がってくると、赤紫蘇を揉み入れる。そして土用の丑の頃までにしっかりと梅が浸かるといいが。

 午後に昨日に「おとなの小学校」で出会った元同僚のレベッカさんが訪ねてきた。ベンケースを作って欲しいとのことで、素材を持ってこられた。画家の冨山妙子さんの遺品で、それで何か形にして、ゆかりの人に配りたいと考えている。冨山妙子さんは、私の母と同年齢で、昨年夏に99歳で亡くなられた。

 私が冨山妙子さんに初めて出会ったのは、1977年だったと思う。ちょうどその頃、冨山妙子さんは、高橋悠治さんとコラボして、金芝河の詩を絵と音楽で構成したスライドを作成していた。京都のイタリア会館で上映会があり、そこに岡部伊都子さんもいた。冨山さんはアジア・アフリカ作家会議にも加わっておられた。私が1977年にケニアで作家のグギ・ワ・ジオンゴと出会い、グギから金芝河に関する資料を読みたいと依頼されていたので、冨山妙子さんに相談したことがきっかけだった。その後は京都精華大学で何度か冨山さんの美術展を開催されたことも、すごく冨山妙子さんを身近に感じる機会となった。冨山さんと京都精華大学を繋いだのは、教員だったレベッカ・ジェニソンさんで、冨山妙子さんの画集などの英訳を精力的にやられ、冨山妙子さんのアメリカでの展覧会に大きく関わっておられた。冨山妙子さんの作品を通して、日本の軍国主義朝鮮戦争との関わり、女性の身体、民衆の声などの視点を学んだ。冨山妙子さんは、表現することで、様ざまなことに挑戦してきた。

 冨山妙子さんが残した和柄のテープのような布を使って、ペンケースを作ることにした。私の趣味の袋作りが役に立つのならば、このうえない喜びだ。何人かと一緒にワークショップ的に作るのも楽しいかも。

 カスピ海ヨーグルトの種で、ヨーグルトを作ろうとしているのだが、この時期はうまく行かない。いつもなら、一晩おくだけで簡単にヨーグルトに固まるのだが、昨日から作っているヨーグルトが固まらない。もう一袋継ぎ足して、一晩試して見ることに。家森幸雄先生が紹介されたカスピ海ヨーグルトは身体にいいことを何十年も前から信じている。この間、ずっと継ぎ足してヨーグルトを作っていたが、新しいのに変えようと思った。

 今日、参議院議員選挙の公示があった。選挙区74議席比例区50議席を合わせて、124議席を545人が立候補し、争う。女性候補者は候補者は33.2%で、目標の35%に満たないが、戦後最高数。保守派は今回の選挙後、直ちに憲法改悪の手続きに入る構えだそうだ。許してはならないが、野党への分断工作、野党潰しに躍起になってきた。その策略に乗せられるのだろうか。安倍元首相への批判を許さない風潮もどうにかならないのか。批判する野党を批判するやり方が酷すぎる。