Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

コーナンに行く、橋下徹は「ヒットラーのよう」

 25日(火)午前中に日曜雑貨店コーナンに夫と出かけた。バスと地下鉄を乗り継いで国際会館前まで。駅の隣にある園芸店「六基グリーン」はお休みだった。このコロナ感染拡大で、火曜日も当分の間おやすみになった。残念だったが、別の日に出直そう。

 目的は、コーナンで日用品を買うことだった。多くの人たちが自宅時間を楽しむようになっているので、コーナンは人気ショップの一つ。ベランダにある水道とjホースのコネクターがひび割れしていて、水が盛れるので、コネクターを購入。手の消毒液、ガムテープ、チッシュペーパー、荷造り用の紐など。さっさと買い物を済ませて帰った。

 政府はコロナ禍の中、テレワークを推進しているが、現実には自治体の業務もテレワーク使用になっていないし、教育機関もオンライン授業もスムーズにいっていない。PCR検査や抗原検査も、医療体勢もデジタル化していない。みずほ銀行の度重なる ATMの不具合などは、デジタル化のインフラがまったくできていないことにある。政府がテレワークやデジタル庁を言うならば、基本の基本の体勢を政府が作れないからだ。科学や学問を軽視しる体制が生み出したもので、多額の資金を投入すsるマイナンバーカード化が進まないし、何の役にもたたないでいる。現実にマイナンバーカードのシステム運営を担う「地方公共団体情報システム機構」に不具合が起こり、コンビニなどで証明書を公布できない状況が起こっているが、大きなニュースにはなっていない。結局は端末費や回線使用料を個人の支出に頼っているような状況下ではうまくいかないのはあたりまえだ。

 26日(水)一日中家にいた。洗濯物を干す時にベランダに出たくらいだった。今日は全国で、コロナ感染者数が7万人をこえた。京都では2216人で、過去最多。どうなっていくのだろうか。検査キットが足らないとか、若い人は保健所にも、病院にも行かずに、自宅でじっとしているようにと政府がいいだした。これでは、パンデミックへの対応を日本は完全に放棄することになる。すでに感染拡大が起こることは予想できた。なんの手立てもしなければ、医療崩壊が確実に起こることも議論されていた。それにもかかわらず、何の手立てもしないできた。どうみても政府の責任ではないか。

 立憲民主党菅直人さんが橋下徹氏の発言を「ヒットラーみたい」とツイッターで書いたことが話題になっている。政治家として言うべき言葉ではないといい、維新の会が立憲民主党に対して抗議文をだしたという。「ヒットラー」のもつイメージがあり、戦後の歴史教訓として、ヒットラー第二次世界大戦で果たした役割や、ホロコーストの責任などがある。それらは歴史教訓だ。日本の場合は、「昭和天皇」が戦時中の果たした役割と重なる。だが、日本では「天皇」と第二次世界大戦との関係についてはご法度だ。私は橋下徹氏のでたらめな発言には警戒心をもって聞いているが、あるいは聞かないようにしているが、確かに彼の発言には危険な挑発を感じている。まさにヒットラーのような「強い発言」で、ある種の方向に導くような危険性をいつも感じている。今回の問題は、維新の会は「謝罪」を求めている。橋下氏もツイッターでひどい発言を何度もしてきた。テレビを通じても、強烈な発言をしっぱなしで、若者たちの心を掴んでいる。そうした彼の言葉のロジックに巻き込まれないように、冷静に分析しながら聞いていたときもあるが、いまはもう聞きたくないので、テレビに出演しているときには、必ずテレビ番組を変えるか、テレビを切ることにしている。菅氏に謝罪を求めるのではなく、言葉の意味を十分に理解して、反省すべきは維新の会、橋下徹氏ではないかと思う。ドイツではナチやヒットラーの歴史的過ちを正しく教育の現場で学び、二度と同じ過ちをしないことを学習している。日本ではまったくそうではない。政治の場では「嘘も真」にしている。おそらく菅氏が橋下徹氏の発言に「ヒットラーのようなもの」を感じたとしたら、橋下氏が反省すべきではないか。

 衆議院議員選挙で大阪はすべて選挙区で、維新の会が議席を確保したことで、大きな勘違いとおごりが見られる。先日も松井大阪市長は、保育園に通園させている保護者にできるだけ家庭で面倒をみるように要請した。親が働いているから、子供を保育園に通園させているのに、現状を無視した言い方をして、混乱を招いている。保育園の職員がコロナ感染をして、出勤できない状態ならば、そちらの手当てをするのが市長の役割ではないのか。まったく無責任な発言をする松井市長。大阪の都構想計画は、ニ度の住民投票で否決されたにも、かかわらず、あの手この手で都構想をなし崩し的に実行しようとしている。これこそが欺瞞ではないか。政治家の言葉は重いが、それだけ責任を持ったものでなければならない。