Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

12月12日 ショッピングと150円の大根を3種類の料理、「日本沈没」か。

11日(土)午前中はマンションの理事会。2ヶ月に一度の理事会で、議題は管理会社が整理して作ってくれていたので、それに基づいて議論。新案件として、マンションのインターフォーンの取り替えについて議論。わずか33戸の家に500万円以上もかかる。玄関口をすり抜けて入った人をドアのところでチェックするカメラをつければ、さらにお金がかかるが、管理会社はそれをすすめる。どの家のドアには誰がきたかをチェックするミラーが付いている。それでいいのではないか。また玄関のドアーをすり抜けて、押し売りや、不審者をチェックするためのカメラが必要だろうか。彼らは不法侵入者となるし、容易にそうした人には対応する必要がない。普通の一軒家に住んでいたときでさえ、ドアーホンだけで対応できたし、わざわざ玄関を開けることはしなかった。マンションのような共同住宅では何かと物入りだ。毎月の管理費をはらい、およそ10年後のマンション修理のための積立金を毎月支払う。まるで家賃を払っているようなもので、何かと物入りだ。それに、ドアホンのように一斉に取り替えなければならない。経年劣化といわれれば、なかなか拒否できない。

12日(日)友人の誘いがあり、大原の朝市にでかけた。とても美味しそうな大根を一本150円で購入。他にも金時人参やおおきなさつま芋、ゆりの花を購入。さっそくに大根は3種類の料理を作った。大根はと人参葉を小さく刻んで、熱湯でアク抜きをしてから、フライパンで大根葉とちりめんじゃこを麺つゆ醤油で煮詰めて、箸休めに。大根は小さく切って薄揚げと炊く。大根と金時人参のなますを作る準備。古来からある庶民の食生活はバラエティに富んでいたと再確認。

f:id:mwenge:20211213114932j:plain f:id:mwenge:20211213114953j:plain f:id:mwenge:20211213115204j:plain

午前中は娘と下の孫と一緒に竜王にあるアウトレットにお買い物にでかけた。工場直売の大型店舗なので、同じ品物でも少しは安い。日曜日なので家族連れで大勢の人たちがショッピングを楽しむために来ていた。私は化粧品を購入した。長年クリニークの化粧品を愛用している。化粧品独特の匂いもなく、オイルフリーなのが大好きで、外国に出る機会があるときには、必ず空港の免税店で購入していた。最近では海外にでることがないので、化粧品を購入する機会がなくなった。コロナ禍のなか、ほとんど化粧もしなくなった。外に出る時でも、マスクをしているので、化粧はしない。自然体でシンプルに生活するようになったが、お化粧をして気分転換できる日がくるといいなあと期待を込めて購入した。孫は洋服に興味があり、あちこちのお店を見て回る。私には同じように見えるが、若い人たちにはどこかこだわりがあるのだろう。私にとっては、スタイルや色の流行を知る機会になり、楽しい。

 1973年に話題となった小松左京著『日本沈没』のテレビドラマが日曜日の夜に放映されていた。12日は最終回で2時間強のドラマになっていた。北海道と九州を残して日本本土が海底に沈んでいくサイエンス・フィクションだが、迫力があった。1970年代には衝撃的な物語だったが、今は「日本沈没」も現実性を帯びてきている。阪神大震災東日本大震災、あちこちで起こる地震や火山噴火、小笠原諸島での海底火山の爆発。などなど。「日本沈没」の可能性も示唆する出来事が実際に起こっている。恐ろしさを感じた。ドラマでは、政府機関で働く若い人たちの判断や計画を政府が支持して、住民たちは混乱せずに、すんなりと移住計画が遂行されていく。現実にはどうだろうかと思ったが。いつでも、どこでも起こりうる自然災害にどう対応できるか、政府の対応にどう向き合うかを考えさせられた。

 アメリカではいくつかの州で大きな竜巻が起こったことがニュースで流れた。ケンタッキー州イリノイ州テネシー州アーカンソー州、ミズリー州などでも被害が及んでいる。自然災害があまりにも大きな規模で世界中で起こっている。

 全世界が一致して、地球温暖化対策や温室効果ガスの問題、核兵器禁止条約に向けての行動などが不可欠となるだろう。コロナ対策も全世界が歩調を合わせなければ、絶対に終結しない。日本はどこへ向かおうとしているのか、よくわからない。「日本沈没」が起ころうとしているのではないかと思った。

 アメリカから帰国した友人から電話があった。コロナ感染症を気にしていないようだった。アメリカでもそれほど意識することはなかったという。私とは誕生日が1日しか違わないので、運転免許証の更新をどうしようかと悩んでいるという。私はとっくに車の運転をやめ、運転免許更新時に返納したと伝えた。バスを利用できる環境にいるので、自分の車を持つ必要がないのは、恵まれているのかもしれないが。彼女だって、夫が車の運転をしてくれるので、自ら運転する必要もないし、日本では交通機関が発展しているので不要だと思うが、彼女の躊躇はなんだろうかと考えた。「運転できない自分を認めたくない」のだろうか。「年老いていく自分」を認めたくないのだろうか。彼女は「私は大丈夫」と何度もいう。これは自分で判断すべき問題なので、どうしてもあげられない。