Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

11月24日 立憲民主党党首選挙に思う 植物園

立憲民主党は先の選挙で共産党と共闘したことが間違っていたとまことしとやかに語るメディアが多い。本当に間違っていたのかどうかをデーターをもとにして語ってほしい。そして立憲民主党は批判ばかりで、何もしていないという。自民党政府、安倍・菅政権を批判してきたことは間違っていたのだろうか。野党として、しっかりと政府を批判し、追求してきた。間違ってはいなかった。だが、自民党が一丸となって安倍・菅政権を守り、野党の批判を無視してきた。誰もが知ることだ。それなのに、なぜ野党の「批判」を批判するのか。批判される側が自己防衛のために野党の力を削ぐことに躍起になっていることを証明する。だが、メディアも自民党の嘘とデマの先鋒を担ぎ、批判の精神をもたない。そうした「政治」に嫌気がさして、テレビを観ることも、新聞を読むこともいやになっていた。だが、それではいけないと思い直している。

 誰もが、こうした戦略に乗ってはいけない。立憲民主党党首選びの報道もそうだ。野党の批判は間違っているだろうか。何も間違っていない。正論だ。ついついツイッターで呟いてしまった。「野党が政府を批判しなければ、民主主義は成立しない。腐敗しきった政府に黙って従う野党などありえない。立憲民主党共産党社民党も政府を批判し、まともな政治をめざしたのは、間違っていない。それなのに野党を批判するのは、自らがやましいからだろう。」と。

 実際に先の選挙で立憲民主党議席を減らしたが、立憲民主党に期待した人たちの数は前回より、上回っている。その点を誰も語らない。共産党社民党、れいわ新撰組などと共闘したことで、自民党に迫った。これを恐れた勢力が立憲民主党への介入を図っている。立憲の党首選もその勢力の介入があり、立憲民主党の分裂を狙っている。政治に希望が持てないのは、こうした勢力の介入とそれに踊らされる民衆操作だ。私は枝野さんが立憲民主党の党首を降りなければならないほど、間違ったことはやっていないと思う。確かに議席は減ったが、その責任は枝野さんにあるとは思わない。

 共産主義を攻撃するとき、人間の自由思想を弾圧し、人びとを分断する手段として利用してきた。ニーメラー牧師の言葉から、この歴史教訓を学びたい。私が初めてこの言葉を知ったのは、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴさんの著作からだった。

           「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった   

             私は共産主義者ではなかったから

   社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった

   私は社会民主主義者ではなかったから

   彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった

   私は労働組合員ではなかったから

   そして、彼らが私を攻撃したとき

   私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

 

 Go To Travel キャンペーンもひどいと思うようになってきた。毎日毎日、航空会社、ホテル、旅行代理店などからメールが送られてくる。ANAは、コロナワクチンを2回摂取した人に航空券+ホテル代を最大5万円分クーポンを配布するという。飲食店や旅行代理店などは、こうしたGo To Travelキャンペーンを利用して、人々を旅行に駆り立て、政治から遠ざける戦略に思えてくる。

 朝9時半からいつもの散歩にでた。植物園の中を歩き、帰りに筋トレジム・カーブスの立ち寄り、身体を動かす。どんどん秋が深まっていく。植物園では皇帝ダリアと皇帝ひまわりが目についた。なんでも巨大な花には「皇帝」という名前がついている。

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 モミジの紅葉はすばらしい。いつ見ても心が浮き浮きする。

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