Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

11月1日 お墓参りに高知へ

10月30日〜31日まで娘夫婦と妹と一緒に母のお墓参りに高知へ行った。このコロナ禍の中でまる二年半の間に、ほとんど京都を離れることはなかった。高知へは4年ぶりだった。4年前の春に母が亡くなり、その年の夏に母がお墓に入る時に行って以来のことだった。その時は妹と二人で新幹線で岡山まで行き、そこから土讃線で高知まで行った。4時間弱で行けたので、日帰りで往復した。

 私の車で母を乗せて、何度か高知に行ったこともあった。京都から神戸まで約2時間、淡路島を貫通して徳島から高知までで3時間ほどで行けた。大阪ー高知間の長距離バスや伊丹空港高知空港間の飛行機で高知に行ったこともある。子供の頃は神戸港から高知港行きの大型フェリーでよく行った。いまはこの航路はなくなったそうだ。愛媛、高松、徳島への航路は今もあるが、高知行きだけはなくなった。理由はよくわからないが、子供の頃の体験からすると、船が室戸の沖を通行する時に、瀬戸内海から太平洋の荒波に出た途端に船が大揺れして、船酔いの嫌な経験を何度もしたことがあった。船で何時間もかけて高知に行くよりは、飛行機や車や特急列車の快適な旅を楽しめる利便性を多くの人が選んだのかもしれない。

 今回は、滋賀県に住む娘夫婦が運転を交代しながら、私たちを運んでくれた。京都の地下鉄十条駅で私をピックアップしてくれ、途中大阪に住む妹の家まで行った。淡路島に入った所にあるパーキングエリアでトイレ休憩。次は吉野川サービスエリアで休憩。そして高知まで一直線に。7時過ぎにピックアップしてもらって、1時半に高知市内着。幼稚園時代から中学生時代まで毎年夏休みには1ヶ月ほど過ごしていたので、高知市内はよく知っている。カツオのたたきの美味しいお店「司」で食事をして、お墓のある筆山へ。筆山高知市内の中心部にあり、その麓に祖父母の住む家があったので、よく知る場所に私たちの父母の墓がある。筆山の中腹に共同墓地がある。「民権ばあさん」として知られる楠瀬喜多さんのお墓もある。中江兆民のお墓もあり、今回兆民の墓への案内札が建てられていた。楠瀬喜多は夫との間には子供がいなかった。結婚20年後に夫と死別したために、戸主として相続し、納税していたが、女性であるために選挙権が認められなかった。そこで喜多は投票できなければ税金は納めないと主張して高知県を訴えた。こうした声が民権運動や女性解放運動につながっていった。

 筆山を降り、よく川遊びをして鏡川を超えて、川沿いを西に上がって行った先に予約していた旅館三翠園がある。高知城のすぐそばにあり、土佐藩主山内家下屋敷跡に建つ天然温泉旅館として知られる。親戚の結婚式や宴会等に何回かここにきたことがある。母ともここで宿泊したことがあった。温泉にゆっくりとつかり、カツオのたたきをメインにした豪華な夕食を食べながら、思い出話に尽きることがなかった。

 31日(日)翌日は日曜日。高知城の前の追手筋1キロにわたって日曜市がたつ。1690年に始まり、ずっと今日まで続いているとのこと。いつから始まったかは知らなかったが、子供の頃からずっと連れられて日曜市に来ていたので、懐かしさと、地元の生産品に心がひかれた。生姜や冥加、サツマイモ、短いほうれん草、破竹や山蕗やリュウキュウ、トマト、新高梨など高知特有の野菜や果物、魚介類や海産物、竹輪や天ぷらや蒲鉾などの練り物もたくさん並んでいて、どれも買って帰りたいと思った。高知は海に面し、四万十川を有して、広大な畑があり、温暖な気候にめぐまれ農作物も豊富で、山間部ではさまざまな果物が実る。こうした土地で幼い頃かな慣れ親しんできた土地の豊かな食文化の味は知らず知らずの間に染み込んでいたようだ。

 ランチを食べ、2時前に高知を後にした。帰路は高松道へ抜けて、鳴門ー淡路を通り、大阪に向かった。阪神高速道路が交通渋滞でなかなかスムーズに進まなかった。大勢の人が移動していたようだ。午後8時前に妹の家に到着。9時前に京都の地下鉄十条。9時5分国際会館行き乗車。北大路9時20分着。北3京産大行き9時25分発に乗り、9時40分自宅着。

 選挙結果が次々報道され、心は大きく乱される。自民党過半数をとり、維新がかなり勢力をのばし、野党第二政党となった。立憲民主党は前議席を減らした。

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これは何を意味するのか考えさせられた。メディアは勝手なことを報道しているようにも思えた。投票結果をどう読み解くのかは、人それぞれによって異なる。無責任な批評は聞きたくないと思った。文字で情報が入ってくる時には、静かな気持ちで受け止められるが、テレビの音声を通じて聞こえてくる乱暴な言葉は、頭に入ってくる時に、拒絶反応を起こすようだ。すごくショックを感じたり、憤りを感じたりするので、テレビは見たくないと思ってしまう。

 ノコンギクが咲いた。とてもかわいくて、毎年同じ時期に咲く。