Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

10月6日 お習字と、映画「MINAMATAーミナマタ」

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5日(火)お昼からバラのお手入れに参加した。7人の参加。秋咲のバラのために、病気になった葉っぱや枯れ葉を手でむしり取った。結構あったが、綺麗に花を咲かせるためには必要な作業。他の人たちは種々の薬を混ぜ合わせた肥料をやっていた。ほぼ終わりかけに抜けて、お習字に向かった。地下鉄で烏丸御池まで行き、そこから徒歩6〜8分ほどのところにある京都女性センター「ウィングス」の教室をお借りしている書道教室にでかけた。磻渓伊尹 佐时阿衡(ばんけいいいん さじあこう)の前半部を書いた。意味は、磻渓は太公望が釣りをした場所だが、ここでは太公望を意味するそうだ。伊尹は中国上代殷の賢人。どちらもお偉い人のこと。うまく形をつくるのが難しいが、ゆっくり一字づつ書くのは楽しい。

6日(水)お昼から一人で映画「MINAMATA-ミナマタ」を観に行った。MOVIX京都で3時10分からの上映だった。地下鉄四条烏丸から歩いて、三条寺町まで行った。ひさしぶりに錦市場を抜けて寺町通りを歩いた。旅行客もちらほらと見え、商店街に少し活気がもどってきたような感じだった。私自身も映画館には2年ぶり。

 「MINAMATA」はジョニー・デップが、写真家のユージン・スミスを演じていた。1975年に出版された写真集「MINAMATA」の映画化だった。ユージンがアイリーンと水俣で過ごした時期が描かれていた。なかなか水俣には受け入れられなかったユージンの苦悩。窒素会社側から買収されそうになったり、暴行を受けたり、写真現像室が放火されたりといった現実に直面して、徐々に水俣の人たちの心の中に入って行ったユージンの人間性が描かれていた。生まれたときから障害をもつ智子だけは写真にとって欲しくなかった家族は、徐々にユージンに心を開く。ユージンも子供の世話をしたことがなかったが、ある時智子の面倒をみることになる。そうした状況の中から生まれた一枚の写真「入浴する智子と母」が1971年12月28日発行の「ライフ」誌に掲載され、水俣で起こっていることが、世界中に発信された。ユージンやアイリーンが水俣と向き合った真摯な姿が描かれていた。久しぶりに観た感動作だった。すてきなピアノ音楽を聴きながら、最後のエンディングロールを何げなくみていたら、途中にRyuichi Sakamotoとあった。たくさんの人の名前が流れるなかで、Sakamotoに気がついた。音楽は坂本龍一さんが担当していたのを知って、嬉しくなった。アイリーン役は美波が素敵に演じていた。