Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

5月6日 ミシェレ・ムゴの講演会に参加して

 とてもいいお天気。外に飛び出したいが、抑える。上の孫は大学3年。下の孫は大学1年。「緊急事態宣言」が延長されそうだということで、大学はオンライン授業を続けるらしい。下の孫は、大学生になったばかりで、早く大学で学びたい気持ちから、オンライン授業はあまり嬉しくないらしい。上の孫は一年間、ずっとオンライン授業になれきってしまっている。このコロナ禍は若者たちに様々な影響を与えている。数年先にどんな影響がでてくるのだろうか。

 今朝5時すぎに目がさめた。6時からオンラインの講演会があったので、それを見ることにした。アメリカのコーネル大学アフリカーナ研究所主催の講演会でケニアの女性作家でシラキュース大学の名誉教授ミシェレ・ギザエ・ムゴが話した。コロナ禍の中一年延期になっていた講演会がようやく実現した。アメリカとは14時間の時差があり、参加できるかどうかはわからなかったが、一応参加の意思を示してズームに登録しておいた。パスワードが送られてきて、うまく参加できた。

 ミシェレとは40年来の知り合い。彼女の人生は紆余曲折があり、様々な場面を知り合う仲だったので、コンピュータの画面の向こうに写っていたミシェレが元気そうだったので、とりあえずは嬉しかった。こんなふうにして、移動しなくても世界中の人たちと繋がることもできるのだと思ったが、直接会えない寂しさはある。

 ミシェレは、アフリカ文学やアフリカ研究が世界情勢が目まぐるしく変化するなかで、なおも重要であるということを話した。「アフリカ」をとりまく社会を、「ウブントゥ(スワヒリ語人間性)」を中心に据えて分析する方法の有効性を語った。「アフリカン・アメリカン、アフリカン・カリビアン、アフリカン・アフリカン」などというカテゴリーについても話した。私には「アフリカン・アフリカン」という考えが非常に新鮮だったが、なぜアフリカ人を細分化しなければならないのか、よくわからないが、アメリカ社会はそれほどにまでマイノリティの「Black」が分断された社会であり、それを繋ぐのが「ubuntu」なのかと理解したが。。。そしてトータルにそれらが「ディアスポーラ」という捉え方をする。

 いまアメリカ社会で「アジア」人がターゲットになり、差別と抑圧の攻撃の的になっている。毎日のようにアメリカ社会で、いわれもなく「アジア」人が暴力の標的にされている画面が映し出される。アジア人と同じく、少数民族集団の「アフリカン・アメリカン」が暴力の主体者になっている。弱者が弱者をいじめる構造が繰り返されている。明らかな「人種差別」の構造が再生産され増幅していく。差別の根を断ち切るのが難しい。こうした社会情勢を、「ubuntu」の視点で解決の道を模索してきた「アフリカ」から学ぶのは重要かもしれない。

     午後からはフランス語の勉強をした。日仏会館でフランス語を習っていた時のテキストを読み直している。当時はあまりわかっていなかったことばかりだったが、今は少し理解できるようになった。

 京都は「緊急事態宣言」は5月11日で解除されず、5月末まで延長されそうだ。菅首相は今日の会見で、この連休期間中は「人流がかなり減少した」ときっぱりと言った。だが、出勤する人の数は減ったかもしれないが、現実的には多くの人たちが外出やピクニックやショッピングなどに出かけた。人の流れは止まっていない。連休中は検査数が少なかったので、いまは表面的には陽性者の数は少なめであるので、それほど喜べない。

  昨年に購入したフロリバンダ系のディスタント・ドラムスというバラが咲き始めた。とても不思議な色をしていて、毎日花弁の色が変わっていく。同じバラだとは思えない。

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