Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

3月13日 バラの肥料をもらいに行く

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 午後から「おとなの小学校」にバラの肥料をもらいに行った。先日の「バラの教室」で先生がたくさん購入しているバラの肥料を分けてもらうことになった。「タキ3号(6−8−4)300円と、PK液肥(1-12-10)250円。お茶のペットポトルに入り、お茶色をしていたので、間違って飲むといけないと思った。家に帰って名前と注意書きを印刷して、ペットボトルに貼り付けた。そしてベランダに置いている道具入れの大きな箱の中に入れた。私以外は使わないので、間違いはないと思うが、私自身が忘れて何が起こるかわからないので、注意喚起のためにラベルを貼っておいたのはよかった。バラ愛好家の間では、このような液肥や土や置き肥などを使って、時期に応じて世話をしているので、バラは美しい花を咲かせるのだと思った。

 帰路ターミナルにあるスーパーで卵や牛乳や果物などを購入した。最近は持ち運びが便利なキャリーバッグを持ってお買い物にでかけるので、重たいものを購入しても大丈夫。ターミナル発のバスに乗ると、家の前に着くのでこれも便利。バラの肥料の液体は結構重たかったが、キャリーバックのおかげで、助かった。

 昨夜(3月12日午後9時〜)映画「Fukushima 50」をテレビ放映でみた。衝撃的な映画だった。2011年3月11日の東日本大震災福島第一原子力発電所が爆発した事故を扱っていた。福島原発で何が起こっていたのかが細かく描かれていた。 ノンフィクション作家門田隆将著『『死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発』を元にし、監督若松節朗が制作した。

 さまざまな場面で、あれっと思うことはいくつかあったが、世界で最大の原発事故であるので、記録しておくことは重要だと思った。当時の政府と福島原発との関わりについては、これまで私が理解していたこととはかなり違った。この映画ではまったく福島を理解しない政府、東京電力側の責任の取り方などが非常に曖昧な形で描かれていた。この10年間の間に、安倍政権が民主党政権を批判するターゲットに当時の菅(かん)首相をとりあげてきた。そしてまるで福島原発問題は終わったかのように世界に発信してきた。「復興」オリンピックと語られてきたのはその一つだ。さまざまな議論の中で、菅(かん)首相のとった行動の真実が明らかになったり、東電の責任問題が明るみにでたり、そして未解決の問題も山積している。

 だが、映画「Fukushima 50」では、過去のデマや嘘がそのまま使用されているような気がした。東京電力側の態度や責任の取り方などは、非常に曖昧になっているのも気になった。福島原発の現場で闘っていた吉田所長をはじめ多くの人たちのご苦労や苦悩はよく伝わってきた。誰も予想しなかったことが起こり、その対処法に翻弄された時間の流れはうまく描かれていたように思う。

 二度とこうした原発事故を起こしてはならないが、ここ長年にわたって、オリンピックとともに、まるで福島の事故は収束したかのように語られるのだけはやめなければならないと強く思った。

 「福島」Fukushimaの問題はまだ終わっていないことを確認することができたという意味ではいい映画だったかもしれない。多くの人びとの生活を犠牲にしていたことも忘れてはいけない。放射線汚染水を海に流そうとか、地中にうめようとか、ひどい議論をしている。人間の手におえないような怪物原子力発電所を存続させては絶対にいけないと思った。