Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

9月9日 アクマド・ダンゴー亡くなる

 9月6日、南アフリカの作家アクマド・ダンゴーが71歳で亡くなった。友人のバジャー・オマールがFacebookで知らせてきた。「まだまだ若いのにどうして?」という思いが強かった。彼に初めて会ったのは、1991年12月南アフリカヨハネスブルグのウィットウーターズランド大学で開催された「New Nation Writers Conference」だった。彼はこの会議のオーガナイザーの一人だった。妻のオードレー、妹のジェシー・ドアルテらが事務局でヘトヘトになる程働いていた。会議最後の晩にオードレーとジェシーとは日本料理店でお寿司を一緒にたべたことを思い出す。ジェシーマンデラ政権下でハウテン州議会議員として国家安全大臣をつとめたり、モザンビーク大使など、ANCの重鎮として活動をしている。

 この会議は、南アフリカから世界中に亡命した作家たちが、南アフリカに帰国して一堂に会したことで知られる。このような膨大な計画を知ったのは、同年1991年8月に初めて南アフリカを訪れたときだった。Congress of South African Writers(COSAW)の事務所で、ジュネイド・アーメド、アンドリュー・オリファントらと出会い、12月の作家会議のことを知った。とても興味があったので、参加をしたい旨を伝えた。旅費は自分もちで正式な招待者として、この歴史的な会議に出席することができた。私にとっては、名前しかしらない南アフリカの作家たちに出会うことができ、とても光栄だった。この年のノーベル文学賞受賞者はナディン・ゴーディマであったので、彼女はこの会議に姿を見せ、翌日にはスウェーデンの授賞式に出席した。マンデラたちが釈放され、確実に新しい南アフリカが生まれるという歴史の一ページに参加したという感覚だった。労働組合の委員長としてシリル・ラマポーサもこの会議に参加していた。彼はいまは南アフリカの大統領だ。

 この会議に集まった人たちは、全人種に開放された総選挙でアフリカ人の政権が誕生し、それまでの人種差別を克服する努力がなされた。完全にいまそれが実現しているかといえば、まだまだ問題を抱えたままだが、いずれにしろ、南アフリカの作家たちは社会の矛盾と人間性を取り戻す闘いに取り組み、作品を世にだしてきた。ダンゴーもその一人だった。同時代を生きた作家たちが次々にこの世を去っていく。

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 1998年11月20日、ナディン・ゴーディマの75歳誕生パーティに招かれた200人以上の人たちの中にダンゴーもいた。私は94年から1年間南アフリカケープタウン9ヶ月、ヨハネスブルグ3ヶ月)で過ごしたことから、98年の記念すべき誕生パーティに招待された。再会したときの写真。

 

 

 今年の春にきたドイツのバラ、フロージン’82が2度目の花をつけた。名もなき赤いバラは次々と咲いている。とても癒しになる。

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