Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

8月10日 山の日に

 8月9日(日)運動不足で身体のあちこちが痛む。筋力が衰えてきたように思う。朝ごはんを食べ、洗濯物を干し、植木に水やりをして、部屋の掃除をすると、汗だくになる。朝から32度にもなっている。比較的風があるので、なんとかしのげる。

 一段落してから植物園まで散歩に出かける。広びろしていて木陰に入ると涼しいので、さわやかな気分になる。夏の草ばなが咲いている所を歩いてみた。小さな夏草がかわいい。丁寧に一つづつ花の名前をつけてくれているのがありがたい。ヒオウギとハグロソウ。

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ひまわりは暑さのために、コウベをうなだれていた。となりあわせにあるバラ園はいつものように豪華で、元気をもらう。

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午後からは、部屋にこもってフランス語の復習をする。暑くて、何もしたくない時には、頭の体操にとてもいい。

 9日は長崎に原爆が投下された日で、長崎の平和式典に安倍首相が出席し、広島で読んだ文章とほぼ同じ文面で挨拶したという。地名だけは違えども、最後の文章はまったく同じ。「永遠の平和が祈られ続けている」「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くす」と。本心からそう考えるならば、核兵器禁止条約に署名しなければならないはずだし、広島と長崎では、それぞれ誠意のある言葉で語るべきではないか。誰かが書いた文章をただ読むだけでは、もはや首相の役割を果たしていない。現地に行く必要もない。長崎での記者会見では、限られた質問だけで、数分しか対応しなかった。首相としての姿勢を誰もが期待しているのに、もはや首相としての責任を放棄しているとしか思えない。

 10日(日)午前中、地下鉄の国際会議場の駅の隣りにある六基園グリーンに出かけた。沈丁花を植えている鉢の高さが短いいので、深鉢を買いにでかけた。一番小さな袋の砂も購入。

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 南アフリカでよく見かけたプロテア系のピンクッションが売っていたので、購入。先週生けていたゆりは大きく開いたので、そのままにして、ピンクッションを足してみた。豪華。

 テレビ番組では、お盆休みの過ごし方を議論している。お盆=墓参り。おじいちゃん、おばあちゃんの住む家に、大きくなった子供たちが都会から小さな子供を連れて地方に帰るというパターン化したイメージを繰り返し語る。家制度、家父長制そのものの構造のなかでの帰省を印象付ける。この時期には、勤労者に短い夏休みが与えられ、それを利用して帰省が促されてきた。正月と盆に家族親戚が集う習慣そのものが負担になる人たちが大勢いる。海外脱出組が話題になるが、今年は海外には出られない。

 お墓参りについてもバーチャルで行う代行会社があるという。京都のあるお寺の住職さんが、秋川雅史さんの「千の風になって」の歌が流行ってから、お墓参りをする人が減ったと嘆いたおられたことがあった。私たちは、年4回お墓参りをすることに決めている。年末、春と秋のお彼岸、夏の盆。春にはコロナ禍の影響で自粛した。だが、明日に娘に頼んで車で、お墓参りに行こうと思っている。

 今日は「山の日」の国民の休日だったことを忘れていた。というよりあまり認識はなかった。今年はオリンピック・パラリンピックの閉会式と関連して休日が移動したという。8月11日が正式に「山の日」だそうだ。