Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

5月5日 久しぶりに散歩

  5月5日は「こどもの日」で国民の祝日だが、コロナ感染症のために自粛期間中なので、特別な「休日」という感覚はない。午後に台所用洗剤が必要で近所の生協にでかけた。久しぶりの外出なので、河原をのんびり歩いた。かなりの人がいて、それぞれに散歩をしたり、ランニングを楽しんだり、寝そべって日光浴の人、家族連れの人たち、さまざまだが、家の中に閉じこもってばかりはおれない。外出自粛も5月末まで延期になった。こんな状態が2ヶ月以上もつづき、まだこれからひと月も外出自粛となる。少しうんざり気味になってきた。

  Facebook ではブックカバー・チャレンジという「遊び」が、私のところにもまわってきた。一人が7日間、7冊の本のカバーを紹介するというものだ。どんな本がその人の人生にどんな影響をあたえたかを、メモする人もいたり、ただ興味深い本のカバーだけの紹介があったりして、いろんなことを考えるきっかけとなる。こんな時期だから、読書をしようとする人もたくさんいる。私はこれまで3冊を紹介してきた。アフリカン・アメリカンのアリス・ウォーカー、ラングストン・ヒューズ、そして南アフリカの歌手ミリアム・マケバ。それぞれから大きなインパクトを得た。マケバの歌を久しぶりに聞いた。とてもパワフルで勇気をもらった。彼女は自伝のなかで、生まれたときから持ち続けているものは、「希望と、決意と、そして歌です」と言った。「わたしたちはみんな同じように、人間らしい生活や平和や愛を望んでいます。これは政治ではなく、常識ではないでしょうか」とも。

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ラングストン・ヒューズの「ぼくは多くの河を知っている」という詩で私は、アフリカン・アメリカンの歴史的存在を認識するきっかけとなった。

    ぼくは多くの河を知っている。

 ぼくは多くの河を知っている。世界のはじまりのときからの、人間の血液がひとびとの血管に脈うちながれはじめた以前からの。
 ぼくの魂は、それらの多くの河のように、そこのふかい泉からわきでてきたのだ。
 曙がまだわかかったとき、ぼくはユーフラテス河でゆあみした。
 ぼくはコンゴー河のちかくに小屋をたて、夜ごと眠りにさそわれた。
 ぼくはナイル河をながめやり、その上流にピラミッドをうちたてた。
 ぼくはエイブ・リンカーンがニュー・オリーンズへくだったときに、ミシシッピー河がうたうのを聞き、
 その泥だらけの河のおもてが夕陽をうけてすっかり金色にかわるのに眼をうばわれた。 
 ぼくは多くの河を知っている
 太古からの、うすほのぐらい多くの河を。
 ぼくの魂は、それらの多くの河のように、そこのふかい泉からわきでてきたのだ。  (木島始訳)

 

  テレビ局もドラマが制作できないのか、毎日番組は過去のものを合体させたり、いろいろ仕掛けをしたりして、放映している。ちっとも面白くないので、自然とアマゾンが提供する映画か、BSの映画をみている。

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2015年作、「愛を積む人」はひさしぶりに観たいい映画だった。朝原雄三監督、佐藤浩市樋口可南子が演じる夫婦のもの語り。北海道で第二の人生をはじめるが、妻の良子は持病の心臓発作で急死する。手持ちぶたさで、生きがいを失った夫篤史は、妻の願いでもあった石塀を完成させる。さまざまな形の石が積み上げられ、支え合って一つの役割をはたす。石積みの作業をしていく中で、篤史の周りの人間関係も徐々に変わっていく。父と娘(北川景子)の関係も修復される。とても感動的な作品だった。