Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

月命日のお参り

 年末に下鴨の自宅から、上賀茂のマンションに仏壇を移した。夫の父親が亡くなっておよそ30年近くになる。それ以来京都のお寺さんにお世話になっている。月命日、祥月命日を欠かせず、お参りしていただいてきた。義母が10年ほど前に亡くなってからも、それは変わらなかった。浄土真宗では、人が亡くなると阿弥陀如来によりその人はすぐに仏様になり、極楽浄土で過ごしているといるという考え方。仏飯だけのお供えで、お水もお茶も必要としないそうだ。今日のお坊さんのお話はとてもホッとした。お水やお茶は、俗世にいる私たちに必要であって、仏さんには、いらないと言う。私の親の方は、真言宗なので、お茶もお水も物販もお供えする。そしてお盆には、仏さんが家の仏壇に帰ってくるので、毎日、私たちが食べているような食事を用意してお供えする。宗派によっては大きな違いがあるが、それぞれのしきたりや伝統を守って行くのだろうが、要は形ではなく、気持ちの問題なのかもしれない。

おせち料理を小さく切り刻んで、ちらし寿司にした。錦糸卵を作っただけで、しいたけと三度豆は細く刻み、ちらし寿司の上にのせた。人参、レンコン、筍、ゴボウ、かまぼこ等をお寿司の具にした。

 

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 大根と高野豆腐とを炊いた。高野豆腐もお節に入れてあったもの。高野豆腐の中には鳥のミンチ肉と玉ねぎのみじん切りを混ぜ合わせたものを詰めて、炊いてある。大根にいいお味が染み込んで美味しかった。

 

 Facebookは便利な情報ツールだと思う。日本だけでなく、南アフリカやイギリス、アメリカ、オランダなどにいる友人たちの日々の生活や情報が得られる。昨年の1月3日に79歳で無くなったウィリー・コティティーレのことを同じく南アフリカの作家ゼイクス・ムダが思い出させてくれた。彼が亡くなった時にはとてもショックを受けた。彼とは1991年に南アフリカヨハネスブルグで初めて出会った。南アフリカから亡命して、アメリカの大学で教鞭をとりながら、アパルトヘイト反対する意志を詩やエッセイに表現してきた。そして1992年に私たちが主催した「アジア・アフリカ人作家会議」にアメリカから参加してくれた。1994年の南アフリカ民主化の時代には、亡命に終止符を打ち、政府の教育・文化部で仕事をしていたので、私が南アフリカ滞在時には様々な催しで出会っていた。彼が亡くなる前年にもヨハネスブルグで再会し、たわいのない話をした。

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 写真は左がゼイクス、右がウィリー     ウィリーと私


 ゼイクスも同じく、長年南アフリカから亡命して、外国で小説や戯曲を発表してきた。一時期南アフリカに帰国し、ウィットウォータズランド大学で教鞭をとっていたが、今はアメリカのオハイオ大学で教えている。

 ゼイクスにとってウィリーは、信頼しあえる同胞であり、同業者であり、仲間であり、「兄弟」であった。自由に活動ができるようになってあまり時間が経たないのに、ウィリーが早死にしたことは、とてもショックだったし、いつまでも彼の心の中で生きているのだろう。

 私の周りでも知人や友人や親族が亡くなっていく。そのたびに、立ち止まって私自身の行き方を考えさせられる。