Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

北波誠さんの追悼会

 9月5日午後6時から北波誠さんの追悼会が京都であった。彼は突然6月10日に膵臓癌で亡くなった。彼は京都新聞社で長年勤務し、退職後も仕事を続けた。異業種交流会を持ち、何かことある度に三条の「伏見」に召集がかかった。いろんな方との出会いの場を作ってくれた。秋の満月の日には、西賀茂の正伝寺で月見会を開催してくれた。比叡山の上に現れる満月は素晴らしかった。ススキを生けてくれる人、料理を運んでくれる人、尺八を披露してくれる人、歌を詠む人、さまざまな才能が披露され、酒席とは違う趣と、新たな出会いもあった。

 北波さんは大学の2年先輩で私が京都で暮らしていることを伝え聞き、この異業種交流会に声をかけてくれたことがきっかけで、実に様々な方と出会いの場を与えてくださった。北波さんに最後にお会いしたのは、都市開発で「伏見」が店を閉める前の会合だった。ちょうど一年前だった。

 追悼会に集まった人たちの中に何人かが、北波さんに今年の5月18日に出会ったのが最後だったと話してくれた。その時にはとても辛そうで、数歩歩くと、立ち止まったという。その後病院を出たり、入ったりし、わずか一ヶ月足らずでこの世を去って行ったという。ご本人はまさかと思っただろう。まだまだやりたいこともあっただろう。

 ダジャレが好きで、ドドイツ協会などを作っていたそうだ。大学時代には文学雑誌を発行し、自らも小説を発表していた。卒業後も「書くこと」に挑戦して、新聞社に勤められたのだと思う。労働組合の委員長を務められたり、社内の人権委員会にも関わられていたという。おそらく、地方の小規模な大学で地道に学び、60年代を経験した世代の人たちの正義感や責任などが底流にあったのだと思う。

 妙心寺の和尚さんが北波さんに読経をされた。私にとって初めて聞くお経だった。妙心寺臨済宗妙心寺派総本山。この和尚さんには以前にもお会いしたことがあるが、とても優しい声の読経に聞き入った。

 京都新聞社の元同僚だった人たちや、木工芸人間国宝村山明さん、陶芸家の竹中浩さん、ギャラリー経営者の人見ジュン子さん、歌手の野田淳子さん、朝鮮通信使を明らかにした仲尾宏さん、男性学伊藤公雄さんら、多くの人が北波さんが残したものを静かに偲んだ。

 北波さんの元同僚だった永澄憲史さんの声かけで北波さんを偲ぶ会が実現した。永澄さん、ありがとう。