Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

日本のメディア

 メディアが社会の正義を作り、社会を変えていく時代は過ぎ去った。メディアが政治に利用され、政治の不合理を許している。テレビは特に視聴者の目を政治から逸らし、週刊紙的な興味を煽り立てる。

 「松居一代」報道は何だろう。松居さん自身が何を求めているのか、何を社会に訴えているのか、まったく理解できない。船越氏に対する不満不平を公的なメディアを通じてぶつけているようにしか思えない。これは「いじめの構造」と同じではないだろうか。こうした報道を一方的に見せられる視聴者側は共犯にさせられる。私はごめんだ。

 森友学圏の籠池氏に対する報道もしかり。加計問題もしかり。権力を握る政権が、好き勝手に社会のルールを無視して、やってきたことへの限りない疑惑は深まっているにもかかわらず、そこをメディアは問いただすことはない。肝心なところでは、「記憶にない」「記録がない」で済ましてしまう状況を許している。

 安倍首相とジャーナリストの田原総一郎氏が会見したという。内容については、「そのうちにわかるだろう」と明かさない。「政治生命を賭けた冒険を」提案したという。それが何かを推測するメディアも週刊紙的興味を煽る。私は、田原が筋の通ったジャーナリストのとるべき立ち位置にいるのかと疑う。田原は安倍を動かす力を持っていると言いたいのだろうか。それならば、大きな奢りではないか。

 安倍政権が何をしてきたのかをメディアもジャーナリストも裁かない。「共謀罪」法案をつくり、憲法を改悪しようとする悪巧み。世界中に最も危険な原発を売り歩き、トランプ大統領に擦り寄る。最も世界で恥を晒している日本の首相。スーダンの現実を隠蔽し、嘯く安倍政権。日本はどうなっていくのだろうか。