Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

映画「母と暮せば」を観に行く

1月6日。吉永さゆり、二宮和也演じる『母と暮せば』(山田洋次監督)を京都Movixに観に行った。舞台は長崎。1945年8月9日の原爆投下により、吉永さゆり演じる福原伸子は産婆をして生計をたてている。次男の浩二(二宮和也)が一瞬にして消えてなくなったところから話が始まる。長崎医科大学に通う浩二は、授業を受けていた。一瞬何が起こったのか、誰にもわからない。多くの人たちが犠牲になった。母は息子を探し回るが、遺骨も遺品も何もない。南方の島で戦死した長男は母の夢枕にたち、母にお別れに来たというのに。母にしては浩二の死を受け入らられない。原爆は一瞬にして何もかも溶かしてしてしまった脅威の爆弾だったが、それが生んだ悲惨さを直接的には語らないが、十分に伝わって来る。

 3年後の8月9日に、死んだはずの浩二が家に帰ってくる。母にだけはその姿が見える。映画は母と息子の会話で展開していく。浩二の恋人だった町子(黒木華)に新しい人生を歩んでほしいと願う。母は息子の思いを町子に伝える。小学校の教員となった町子は、浩二の母に寄り添い生きていることに幸せを感じている。やがて、町子は同じ小学校で働く人と新しい人生を歩みだす決心をする。その人は戦争で負傷し、片足を失っていた。二人で伸子に挨拶にきたあと、疲れを癒すかのように布団に入った伸子は目を覚ますことはなかった。息子浩二が迎えにきたのだった。伸子の葬儀が教会で行われているなか、伸子と浩二が天国に向かうところで、映画は終わる。

 

 この映画は作家井上ひさしに捧げられていた。井上ひさしが広島を舞台にした「父と暮せば」の連作として、山田洋次監督が長崎を舞台にした「母と暮せば」を作ったという。こうしたことがきっかけで、戦後70年の節目の年に、戦争を題材にしたファンタジーを制作したという。

 吉永さゆり演じる母伸子の毅然とした言葉に、「戦争は人間の手によってもたらされた“悲劇”」がある。戦争で突然命を奪われた人と、突然愛する人を失った母と恋人の、この悲痛な叫び声を私たちは聞き取りたい。この声が聞こえないものたちに戦争を再び起こさせてはならない。山田洋次監督のヒューマンドラマであるが、戦争だけはダメだというメッセージが、音楽監督としての坂本龍一のやさしい音楽演出も心に響いた。浩二の好きだったメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の演奏を手がけたという。