Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

5月15日 葵祭り

5月15日は、京都の三大祭りの一つ、葵祭があった。御所を10時半に出て、12時頃には下鴨神社、3時半頃には上賀茂神社まで都大路を歩くお祭り。昨夜の雨が気になっていたが、驚くほどの晴天で、お祭りには最高。
 下鴨神社の糺ノ森で見るのは初めてだった。すでに多くの人が集まっていた。いつも朝の散歩であるいている所だが、この時期はクスノキやムクの木や紅葉が若葉をつけて、眩いばかりだった。1000年も昔の時代に、引き戻されるような厳かな雰囲気だった。


お昼休みの休憩を下鴨神社でとり、再び2時20分に上賀茂神社までのパレードが再開するとのことだった。自宅に帰る。朝から作りかけていた帽子を仕上げる。
朝の散歩には帽子はかかせないが、お店で売っている帽子に何となく馴染まないので、自分で作ることにしている。作ってみると案外簡単で、楽しいものだ。

午後から、上賀茂のマンションに出かけることにした。葵祭のパレードで加茂街道を市バスが通行しないので、北大路バスターミナル、堀川通りから西賀茂車庫まで行くことにする。マンションは、上賀茂神社の裏にあるので、カメラを取り出し、葵祭の後半行事に参加しようと思った。上賀茂神社では、ちょうど下鴨神社を出発した行列が続々と入ってくるところだった。広々としあ芝生の間を一の鳥居から二の鳥居までを斎王代さんも山車を降りて歩き、そのあとは神様への儀式が催された。この部分はあまり知らないでいたが、今日初めて葵祭の意味を知った。
 欽明天皇の567年、悪天候がつづき、風雨がはげしく五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった伊吉の若日子に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであるという。若日子は勅命をおおせつかって、祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実った。世が安泰になったという。819年(弘仁10)には、朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行うという国家的行事になった。途中中断した時期はあったが、1000年近く昔の行事を引き継いでいる、文化は歴史を作るのだろう。境内に流れるアナウンスは、行事の細かな説明をしていた。知らないことがたくさんあると思った。神馬の競べ馬が大事な行事のひとつでもあったのだ。


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