Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

従兄弟との死別

10月12日の夜、従兄弟が肺ガンで亡くなった。肺ガンだと診察されて約1年だった。この従兄弟は、私の母の姉の子なので、幼い頃からきょうだいのようにして育った。20年ほど前に妻と離婚し、成人した男の子と女の子は従兄弟の元に残った。大学教育を終えるためにも、母について家を出ることはなかった。子どもたちは東京で暮らしているので、従兄弟の住む高知には時々にしか帰らない。

 転勤族で各地を転々とし、最後は東京で定年を迎え、その後は一時期大阪で仕事をし、故郷の高知に帰っていた。友人やきょうだいがいるので、安心して老後を過ごす予定だったのだろう。結構、日々を楽しく過ごしていたところに、肺ガンの宣告を受けた。私の母が高齢にもかかわらず、肺ガンをレーザー光線のようなもので退治してもらったことを知り、従兄弟は神戸の先端医療センターで肺から転移したガンを退治してもらった。だが、大元の肺ガンはかなり進行していて、どうにもならなかったようだ。

 高知の病院で抗がん剤の治療を受けたが、結果として効果はなかったようだ。

 今年の夏は異常に暑く、どんな元気なものでも食欲が落ちていた。そんな状況の中、従兄弟は食事が全く取れない状況になり、ホスピスでの緩和ケアー治療を受けることになった。それからちょうど2ヶ月で亡くなってしまった。

 兄と妹と一緒に高知に帰り、従兄弟のお通夜やお葬式に出た。従兄弟の長男は23歳まで父親と口もきいたことがなかったという。それほど私の従兄弟は会社のため、自分のために労働戦士だったのだろう。妻はそんな夫に愛想をつかしたのかもしれない。従兄弟が最後まで私に言っていた言葉は、「家族のために一生懸命働いたのに・・・」だった。

 最後は友人や近親者に見送られたが、幸せな人生だったのだろうかと思う。

 近しい人が亡くなっていく年齢になり、私自身もどう生きるのかを考える機会になった。