Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

8月16日 大文字山焼

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    8月16日は、京都の5山の送り火の日。お盆に帰ってきた先祖をあの世に送り返す道を照らすために、京都の北山の5山に火が灯る。夜の8時から、東から大文字、妙・法、舟形、左大文字が夜空を照らす。

 うちの前には賀茂川が流れ、その向こう側には船形の山がある。近所の方たちは川原に出て、山焼きを見守るが、我が家ではベランダから見るのを恒例としている。今年は娘家族と一緒に見た。夕食を早めに済ませ、夜の8時大文字に火が付く。それから、5分おきに次々と五山が点火される。舟形は8時10分ごろ。

 先祖たちはこの船に乗って、西国にある極楽浄土へ向かうという。少しばかりの時間、先祖への思いをはせる。

 深夜にN H Kが映画「ひろしま」を放映した。1953年に日教組プロが制作、関川秀雄監督による。1955年にはベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞した作品。原爆によって広島の8万8000人の人たちが被害にあい、そのすざましい光景には目を覆いたくなるほどだった。原爆の惨状と恐怖、戦争の残酷さが照らし出されていた。よくこのような状況を映像化して歴史に残してくれたと思った。この出来事は決して忘れてはいけない。日本は唯一原爆の被害国で、その恐ろしさを知っている。にも関わらず、日本政府は核兵器禁止条約には批准せずに、アメリカの核の脅威の加担に回っている。2017年のノーベル平和賞核兵器廃絶国際キャンペーンICAN)に授与された時にも、日本政府はピースボートや日本の被爆者たちの努力を全く無視した。恥ずかしい行為である。

 中沢啓治の『はだしのゲン』も学校図書館から閉架措置が取られ、歴史を忘れ去らせる力が働いているように思えてならない。安倍首相が憲法改悪を狙っていることと、連動して恐ろしさを感じる。戦後74年が経つが、8月のこの時期だけでなく、戦争の記憶は語り継がれなければならないと強く思った。

 8月17日。久びさに「大人の小学校」の水彩画教室に参加した。イタリアのヴェネティアにあるブラーノ島の街並みを描いた。家々の壁がカラフルなことで有名。7月にスケッチしたものに彩色した。美しい色に仕上げるのと、小さな画紙に書き込んだ小さな窓枠や、人の動きを細かく丁寧に塗っていくのは難しい。

 水彩画教室の後、プールで泳ぐ。プールの水温もかなりにあがっているように思った。水の中は快適。

8月7日から15日まで

 あっと言う間に一週間が過ぎた。時間はどんどんすぎていく。ようやく机の前に座ったかと思うと、一週間が過ぎていた。この暑さに、何もしたくない。こんな時こそ、大掃除をすると充実感がある。あちこちに埃が溜まっていて、拭き掃除を念入りにした。これまで見ないようにしてきた所が気になり始めた。冷蔵庫の中や、食品棚など。中のものを全部取り出して、整理をした。

 最近、16年間使った食洗機が不具合になったので、取り替えた。新式の機械だけあり、すごく時短で食器が洗えるのはありがたい。7月末に設置してもらってから、大阪ガスから電話があり、再点検をしたいとのことで、以前に設置してくれた方が来られた。排水パイプがなんとなく中途半端で気になっていたという。そのために、レンジの横にある排水管を調べるために、その周辺の引き出しを全部引き出した。鍋類や大小の保存容器などがいっぱい詰まっていた。日頃使わないものは、この機会に処分することができた。出来るだけシンプルでストレスのない生活を心がけようと思った。おかげで、食洗機もスムーズに運転している。

 12日には、お墓まいりに行った。夫の両親のお墓は尼崎の町の中にあるので、京都から出かけるには、ほどほどの距離なので、助かる。京都から大阪まではJRは満員でずっと立っていた。大きな荷物を持つ人たちが、西へ東へと大移動している。今年のお盆は人によっては9連休もあるという。毎日のように報道される台風情報で、多くの人たちは翻弄されているが、それでもおじいちゃん、おばあちゃんの待つ「実家」への帰省がこの時期に集中するのは「習慣」なのか「伝統」なのかよく分からない。企業も段階式のお休みを7月から8月にかけて2ヶ月間の間に組み入れれば、こんなに集中することもないのに。相変わらず、海難事故、交通事故がこの間に集中しているのは、こうした無理な窮屈なお休みのせいではないかと思う。

 お盆の期間は、全くニュースがないかのように、台風ばかりの報道。もちろん自然災害は人間の力ではどうにも止められないので、重要だが、テレビの場合は画面の下にテレップで情報を流してくれればいい。毎日、毎時間、鬼気迫るような声で雨が、風が、列車が、飛行機がどうだかと繰り返す。

 そんな中、映画を観た。「16歳、戦火の恋」。原題は Where hands touch. 監督はガーナ人の両親をもつアマ・アサンテ。ロンドン在住。

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 時代は1944年、場所はドイツのベルリン。ドイツのナチスユダヤ人狩りを強め、ホロコーストが実際に行われていた時代に、アフリカ人の血を引くドイツ人の混血児に対するあからさまな差別の実話に基づく作品。不妊手術を強制され、その証明書があれば、強制収用所には送られないので、母は愛する娘(レイナ)を守るために偽の証明書を準備する。明らかに純粋ドイツ人だけの国家を目指す、民族浄化運動だったのだが、その証明書は無残に憲兵によって焼き捨てられる。母は娘に代わって連行され、行方が分からなくなる。弟は親戚に預けられ、レイナは一人になるが、強制収用所の食事係の仕事につく。レイナの恋人ルッツはナチスの青年隊に所属。彼の父はナチスの将校。父は息子が自分の指揮下にいると命は助かると思い、息子の戦争への疑問を知りながらも、入隊させていた。偶然にもそこで二人は出会う。ルッツはレイナの身体が衰弱しているのを心配し、密かに食べ物を与えたりする。レイナがルッツの子供を妊娠していることを知り、なんとか強制収用所を脱出することを計画するが、それが発覚し、ルッツは父親の拳銃で撃ち殺される。父親の息子に対する歪んだ形の愛なのかもしれない。戦争が終結直前のことだった。

 悲嘆にくれたレイナは戦後、生きる気力も失い、呆然と街をさまよっているときに、母と弟に出会う。母は娘が大きなお腹を抱えているのを見て、喜ぶ。子供は愛の結晶として生まれてくるものであり、我が子を不妊手術から守ったことに安心する。母は娘にアフリカ人の血が混じっていても、それを誇りに生きてきたので、娘が人間の命を繋いだことを喜ぶ。レイナも母の子供で良かったことを確認するシーンで終わる。戦争とは人殺し、人間性を抹殺する行為であることを静かに訴えた作品だった。人種とは何なのかを考えさせられた。

 この映画は、ネット配信で購入した。私はドコモと携帯電話の契約をしているので、毎月500円支払って、dTVとdマガジンを購読している。映画は見放題だが、時々、新作ものは課金がある。今回の「16歳、戦火の恋」は商業映画館で上映していないようなので、400円でレンタルしてみた。映画館に行って入場料を払うよりは、安くて簡単だ。そして調べてみると、今アマゾンが映画を見放題というキャッチフレーズで、視聴者を獲得する商法に出ている。他にも、 Google play, Rakuten TV, iTunes, prime Videoなど様々なネット配信があるのを知って驚いた。もう映画館に行って映画を見るのではなく、携帯やコンピュータから、T Vの大きな画面に繋いで、自宅で映画を見る時代がやってきたように思う。

8月6日 習字のおけいこ

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 習字のおけいこに出かけた。「背芒面洛 浮渭據涇」の前半を書いた。

意味は背後に芒山(山の名)、前は洛水(川の名)に面している。東の洛陽の地形のことらしい。意味を理解すれば、文字が活きてくる。

 この「千字文」はなかなかの内容があり、千の異なる文字で詩文を表したというのであるから、それは一つひとつの文字に対するかなりの知識が要求される。

 

 習字の後、久しぶりに整体に行った。整体の先生はバイクで転んで、鎖骨をおり、手術でしばらくお休みになった。怪我をされたのだが、バイク転倒で命に別状がないことが何よりだ。長年ここで仕事をされている方から整体を受けた。違った角度から私の体の診断があり、納得もできた。とても上手なので、この次も整体を受けてみようと思った。

 その後、知人の家でパソコンで画像の処理の方法、パワーポイントの使い方を教える。彼女いわく、パワーポイントを使った授業には抵抗があったという。私は学生に画像を見せたり、音声を聞かせたりして、臨場感を持ってもらうには最適だと思っていたので、パワーポイントで授業の準備をするのは好きなほうだった。

 1945年8月6日。広島に人類初の原子爆弾が投下された。日本は世界で唯一の被爆国でありながら、なぜ日本政府は核兵器廃絶に向けた条約に署名・批准しないのか。世界の先頭を切って行うのが当然なのに、アメリカの顔色を伺わなければならないのは、なぜか。参議院選挙前にトランプ大統領と密約したことが徐々に明らかにされる。なぜ、戦闘機を大量に購入し、沖縄や日本に駐留するアメリカ兵のために多額の費用を支払うという。台風や地震災害で被災した人たち、広島や長崎で今もなお苦しんでおられる人たちの心に寄り添わない政策を進めるのか、普通の心を持っている人なら、おかしいと思うだろう。今日のニュースは、「核なき世界」を求める広島の被爆者と安倍首相の会見は、全くの平行線。安倍首相、あなたの行動は恥ずかしくないのか。世界中の笑い者であっても、トランプ大統領についていくのか。

 

8月5日 函館山に百合を見にいく

 友人の誘いで、滋賀県函館山スキー場に百合の花を見にいく。夏場のスキー場は何もしないのはあまりにももったいないので、ずいぶん前に百合の花を植えた。朝9時30分出発で、途中近江今津にある「西友」でランチにウナギの「ひつまぶし」を食べた。

西友」は、古くからある川魚やウナギの料理で有名なお店だそうだ。秘伝のタレをつけて、炭火焼きにしたウナギとはとても美味しかった。夏には欠かせない料理の一つで、元気の元となるのは納得。

 箱館山の夏は、標高650メートルのところに約50種類、250万輪の百合の花が咲く。お天気が良かったので、琵琶湖が一望でき、竹生島も湖東にある伊吹山もよく見えた。高島ちぢみで作った「虹のカーテン」も素敵だった。何よりも山に吹く風が爽やかで、しばらく暑さを忘れさせてくれた。リフトで上がった先に、コキアの花畑があった。今は緑々しているが、秋には赤く染まるのだろう。コキアの手前にはクロコスミアという。帰って調べてみると、やはり和名ヒメオウギスイセンで、原産地は南アフリカだった。南アフリカでよく見かけたことも思い出した。

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 今回のドライブは、いつもの3人のメンバーなので、いつものコースに入っている朽木温泉でのんびり汗を流して、地元の野菜と高島縮の布を購入した。

 

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕3日目で中止された。明らかに政治的介入と暴力・脅迫によるものだ。津田大介芸術監督は、この芸術祭のコンセプトを「情の時代」として問題提起した。彼によると、

「現在、世界は共通の悩みを抱えている。テロの頻発、国内労働者の雇用削減、治安や生活苦への不安。欧米では難民や移民への忌避感がかつてないほどに高まり、2016年にはイギリスがEUからの離脱を決定。アメリカでは自国第一政策を前面に掲げるトランプ大統領が選出され、ここ日本でも近年は排外主義を隠さない言説の勢いが増している。源泉にあるのは不安だ。先行きがわからないという不安。安全が脅かされ、危険に晒(さら)されるのではないのかという不安。」(津田大介『情の時代』コンセプト)

 

 この芸術祭を企画した津田さんたちは、企画展が中止されたことに対して抗議した。

「私たちが求めるのは暴力とは真逆の、時間のかかる読解と地道な理解への道筋です。個々の意見や立場の違いを尊重し、すべての人びとに開かれた議論と、その実現のための芸術祭です。私たちは、ここに、政治的圧力や脅迫から自由である芸術祭の回復と継続、安全が担保された上での自由闊達(かったつ)な議論の場が開かれることを求めます。私たちは連帯し、共に考え、新たな答えを導き出すことを諦めません。」

 

 最近では、「表現の自由」が恐ろしく政治的権力で弾圧され、暴力的言論により萎縮させられる状況を恐ろしく思うのは、芸術家だけではなく、ごく日常を、ごく当たり前に生きている人たちの言葉への検閲がこうして始まっていることだ。

うだるような暑さ

 この暑さは何とかならないのか。来年のオリンピック、本当にやれるのだろうか。毎日、熱中症でたくさんの方が命を落としている。朝から冷房の効いた部屋にいるが、何度も何度もお茶を飲んでいる。私は水はあまり好きではないので、麦茶をやかんで沸かして、冷まして飲んでいる。一日2リットルは飲むようにしている。小さなペットボトルは500mlだから、4本分くらい。夜だけでも500mlは飲む。

 ベランダの植木がねをあげている。朝早く高知へ出かけた日は、朝の水やりをしていなかったので、翌日よく見ると、紫陽花の葉っぱがしなっていた。他のものはどうもなかったが、植物もこの暑さに相当こたえている。

 作りおきパンの生地で、クルミや落花生などの豆類を生地に練りこんで焼いてみた。アンデルセンなどで購入するパンと変わらないほどの出来栄えに大満足。お昼は島原のそうめん。いつもは頂きものの三輪のそうめんだったが、今年はお取り寄せの島原のそうめんをせっせと食べている。喉ごしがいいので、ほぼお昼はおそうめん。

 国際芸術祭「愛知トリエンナーレ2019」で「表現の不自由展・その後」で展示されていた慰安婦の少女像が撤去されるという。韓国の日本大使館前に据えられていたこの少女像。ますます表現の不自由さが出てくる。「従軍慰安婦」の問題にせよ、植民地主義の問題にせよ、日本は対朝鮮半島の問題とまともに向き合ってこなかった歴史のツケが露呈している。現実に歴史の中で起こった問題も、まるでなかったかのようにしようとする歴史修正主義日本会議の考え方が、政治を支配しているから、ますますややっこしくなっている。

 Facebookは時には役立つと思った。メールよりは簡単に連絡が取れる。昨夜もアメリカにいる友人から長いメッセージがきた。しばらくやり取りをした。家族の問題で精神的に混乱していたが、お互いの意見を言い合う中で、問題解決の道筋が見えてきたという。別に他人の意見を必要とするまでもないのだが、確信したかっただけだろうが、長年の友人、言葉も環境も、国籍も違う地球の果てにいる友人からのメッセージを読んで、何か納得するもの、確信するものが見つかったとすれば、嬉しい。ネット上でいつでも、どこでも、人と人がつながっているネットの世界を30年前に誰が想像しただろうか。

 ますますネット社会が進んでいくのだから、人種差別や性差別などがない、人に優しい社会ができるといいのにと思う。ネット上で、顔が見えないから、身元がわからないから、何でも人を貶めることを書き込んでいいはずはない。あまりにも無責任な自分勝手な意見を書き込んでいいはずはない。

 もう少し、人に対して優しい社会ができないだろうかと日々思う。写真は鴨川の土手のサルスベリの木。下はワルナスビの花たち。

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8月2日 母のお墓まいり

 


 今年はお盆前に母のお墓まいりをしたいと、妹と話していた。なかなか予定が合わなかったが、突然8月2日に日帰りで高知まで行くことになった。朝7時20分のヒカリに京都から乗り、岡山まで。途中新大阪から妹が乗り込んでくる。新神戸、姫路、岡山と止まり、わずか45分ほど。岡山からは特急南風で高知まで。かつては宇野まで行き、そこから宇野ー高松まで船に乗り、そこから高知までいくつものトンネルを通り抜けた。今ではわずか2時間半、途中吉野川の渓流大歩危を超えると高知に入る。綺麗な水の流れに癒されるが、改めて四国は山が多いことを知る。子供の頃は、神戸港から船で行き来したり、延々と列車を乗り継いて行ったものだが、今は便利になった。飛行機もあるが、空港が町から離れているので、町に出るまで時間がかかる。高速バスは5時間もかかる。何度か私が運転する車で母と高知に帰ったことがあったが、もう私は高齢者なので車の運転はしない。

 冷房の効いた車中でのんびりと景色を見ながら高知まで行き、タクシーでお墓のある筆山にいく。市内にある古くからある墓地で、うちの墓の近くには「民権ばあさん」として知られる楠瀬喜多さんの墓もある。今回気づいたのに、中江兆民の墓もあった。楠瀬喜多は子供がいなくて、夫亡き後家督を継ぎ、税金も納めてしっかり生計を立てた。それなのに、女性には選挙権がないことに気づき、民権を要求して戦った人。高知には楠瀬という家名が多い。

 温度は35度近くに上がっていた。タクシーの運転手さんはとても親切に、山から歩いて降りるにはとても大変なので、墓まいりを済ませるまで待っていてくれることになった。母が亡くなった3年前の納骨の時には、高知駅前でレンターカーをしたが、今回は他に行くところもないので、タクシーにした。

 街中までタクシーで戻り、懐かしい商店街をぶらぶらして、土佐料理のお店で鰹のタタキを食べた。3時13分発の特急南風に乗り、岡山で新幹線に乗り換えて京都まで帰った。家に着いたのは、夜の8時前だった。長い一日だったが、何だか気持ちは軽かった。

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高知駅に止まっていてアンパンマン列車。夏休みに入っているので、子供たちは大喜びだろう。

アンパンマンミュージアムもあるそうだが、私は訪ねたことはない。 

 

7月30日、国会議員の科研費介入とフェミニズムバッシングを許さない裁判

 第二回、国会議員の科研費介入とフェミニズムバッシングを許さない裁判が京都地裁であった。今回の傍聴は抽選式を採用したので、10時過ぎに裁判所に行き、番号をもらった。裁判自体は11時30分からなので、1時間ばかりお習字のお稽古に行った。

 

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   裁判所からは地下鉄で一駅なので、大急ぎで習字の教室に向かった。

 今回書いた文字は、「都邑華夏」に続く文字で「東西二京」。意味は、東西にある二つの京という意味。つまり、洛陽と長安のことらしい。心が裁判の方に向いていたので、落ち着いて文字を書くことができなかった。

 中国の文字は、現在の日本の漢字の元になるのだが、少しづつ変化しているのが興味深い。

 

 裁判所に戻り、私は抽選に当たっていたので、法廷の傍聴席につくことができた。顔見知りが多くいた。80人ほどしか傍聴ができない。今回は杉田水脈側の弁護士が来ていたが、本人は欠席。11時30分きっかりに裁判官3人が入廷して、冒頭今回杉田水脈側が提出した書面の確認に終わった。その間1分。思わず「え〜」という驚きの声があちこちから湧き上がった。裁判官は退室して終わり。次回は12月13日とのこと。裁判には時間とエネルギーがいることを実感。

 裁判所の隣にある弁護士会館の部屋に移り、支援集会があった。支援の会の、京大教員岡真理さんからの感想が述べられた。上智大学教員中野晃一さんからの講演があった。安倍政権になって歴史修正主義が公式な政策となり、明文改憲を視野に入れつつ、学校や大学への介入が強化され、教育・マスコミへの介入を進めてきた。アメリカのトランプ大統領支配下において、安倍首相はとりわけ親密な関係を誇示して、言論や報道の自由の抑圧、歴史修正主義的な傾向を一層加速化していると報告された。どれも納得いく。

 とりわけ1990年代の後半から、巧みに徐々に今の状況を作り上げてきており、とりわけ2012年に安倍政権が復帰した頃から、急激に右傾化が進んだ。そして森友、加計問題が浮上しても、文書の改ざんがあって、自殺する人が出ても、平気で嘘をつき続ける政府を、メディアは黙認し、何も報道しない。そうした中、杉田水脈国会議員は、2018年2月、科研費バッシングを行った。またネット上で名指しで科研費バッシングを続けた。7月には杉田水脈議員は「LGBTは生産性がない」発言をして、差別記事を新潮45に掲載した。こうした杉田水脈のいわれなき攻撃を受けた大阪大学の牟田和恵さん、同志社大学の岡野八代さん、大阪市立大学の古久保さくらさん、元大阪府立大学伊田久美子さんが杉田水脈議員を名誉毀損で訴えた。杉田氏のフェミニズム・バッシングと、科研費がどういうものかの無理解と無知からの発言が、研究者の生命を抹殺するものであるので、彼女たちは立ち上がった。この4人の女性研究者の勇気ある行動を多くの研究者や友人たちが支援している。

 この暑さの中、関西だけでなく、遠く岡山や名古屋や東京から駆けつけた人たちが裁判の様子を見守る。裁判官たちはそのエネルギーに圧倒されたに違いない。 

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