Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

4月8日 桜鑑賞

 うちの下鴨の家の裏の方が相続で土地測定をしたいので、隣接の家との境界線を確認したいというので、下鴨まで出かけた。途中整形外科により腰を伸ばす機械とウォーターベッドによる背骨の周辺をマッサージしてもらった。相も変わらず痛みが残る右腕の付け根に、スーパーライザーの治療をした。

 今まで見たことがなかったが、どの家にも、他家との境界線を明らかにするために、コンクリートのブロックが土に埋められている。1センチであれ、2ミリであれ、土地は財産なので、どちらのものかによって計算値が変わってくるので、測量は厳格に行われる。久しぶりに両隣の人と出会った。お隣のお婆さんが昨年の12月に亡くなられたそうだ。今は息子さんだけが一人暮らし。お隣は3回人の出入りがあった。静かに暮らしておられるので、ちっともわからなかったが、自宅で療養されていたようだ。家の前に植木鉢でいろんなお花が植えられていて、直々には楽しい空間だが、時々枯れた葉っぱがそのままだったりするので、雑草を引き抜いていたら、息子さんがほっといてくださいというので、いらんお世話は迷惑という態度だった。お婆さんとは毎日手入れをしていて、枯れた葉っぱなどなかったので、よくお花の水やりの時にお話をしていたのだが。。。。

 京都では家の前の道の水撒きでも、他所さんのお家の前は水を撒かないのが礼儀のようだ。若い頃に以前に住んでいた家のお隣の前を水撒きしてしまったことがあった。お隣の人が飛んできて、「私が遅く起きたので、お宅さんに水撒きをさせて、ごめんやす」と言われたことがあった。私は何にも考えていなかったので、びっくりした。「こんなことを言わせないでください。人の家の領域に入ってこないでください」ということだった。以後は京都流のやり方を教わった。親子3代、京都に住まなければ、京都人ではないのだそうだ。私のように京都に初めて来て、住むようになった人は京都人ではない。よそ者なのだ。100年ぐらいはよそ者。京都人のプライドでしょうか。

 今マンション暮らしをしているが、全く隣人との繋がりはない。気楽といえば、気楽だが、これからどんどん歳をとっていくと、どうなるのだろうか。人との繋がりが薄れていく社会に哀しさを感じる。

 ランチを食べてから、散歩に出た。お天気がいいので、家の中にじっとしていられなくて、上賀茂神社の桜と加茂川沿いの桜を見に行った。毎日のように同じコースを歩いているが、毎日少しづつ自然の変化を感じる。上賀茂神社の斎王桜は4部咲き。奥のは御所桜で満開。どちらもシダレ桜。

f:id:mwenge:20190408134805j:plain

加茂川沿いの桜も見事。母友と子供のグループがのんびりとお昼を過ごしている。宇野千代の言葉を思い出した。宇野千代は子供の頃貧しい家で育ったが、桜の頃にはいつもお母さんがお弁当(おにぎり?)を持って桜を見に行ったという。「貧乏人にも金持ちにも桜は平等に咲く」と母が言ったそうだ。だから宇野千代がデザインした着物やハンカチーフやバックなどのモチーフは桜なのだ。そんなことを随分昔に読んた。この時期に思い出されるいい言葉だ。

 筋トレジム・カーブスで少し汗を流す。ジムは植物園の前にあるので、植物園の桜をみて、帰った。今日は13,023歩あるいた。昨日は13,046歩。