Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

3月24日から26日まで韓国旅行

 24日から26日まで、娘と2人の孫と私の3世代4人で韓国のソウルに出かけていた。それぞれの目的が異なるので、それぞれの意思で行動。私は夫から頼まれて、夫の著書を韓国外語大学の梁先生に届けた。夫は梁先生とケニアで30年以上も前に出会って以来の親交がある。二人はスワヒリ語で会話をするという。夫のスワヒリ語に関する著作2冊と、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴの評伝を持っていった。

 私が滞在するホテルに来てくれて、夕食に招待された。私は娘や孫と食事をする予定だったので、強くお断りをしたが、韓国的もてなしでそれは許されなかった。フランスで母親と暮らしている長女が韓国に留学しているとのことで、梁先生は娘もレストランに招待されていた。フランス語で挨拶ができたのも、これまで4年間フランス語を勉強していた甲斐があったかなあ。3人での会話は主に英語だった。時々梁先生が日本語で話されると、娘さんが英語でと催促された。英語、フランス語、韓国語、日本語が入り混じった。梁先生のお爺さんが日本語の漢字の教師だったそうだ。日本の植民地時代に朝鮮語教育ではなく、日本語教育朝鮮半島に強要した結果だったのだと思った。

 韓国料理のバイキングだった。何種類もが並べられていたが、それほど食べられるものではない。かなり辛い香辛料を効かした料理が多いのも韓国料理の特徴か。食事を終えて、ホテルに帰ったのが、9時半ごろだった。朝5時半起きで、京都駅7時16分発の「はるか」で関空に向かったので、少し疲れを感じた。