Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

大竹しのぶのピアフ・コンサートに

 兵庫県立芸術センターで開催された大竹しのぶのピアフ・コンサートを聴きに行った。フランス語を習い始めて、最近ではYou Tubeでよくシャンソンを聞くことがある。私が学生の頃はシャンソンが大流行りだった。それでフランス語を勉強しようと思って、第二外国語にフランス語を選んで勉強をした。シャンソンの歌詞をフランス語で理解するまでには至らなかったが、むしろ当時によく歌われた日本語でのシャンソンは耳に残っている。多くのシャンソンエディット・ピアフが歌っていたものだと、ずいぶん時間が経ってから知ることになった。

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 昨年の暮れに、何げなく見ていたテレビ番組の合間に「大竹しのぶのピアフ・コンサート」を知り、ネットでチケットを購入した。セブン・イレブンでチケットを印刷してもらった。

 

 「パリの空の下」から始まって、「バラ色の人生」「私の神様」「群衆」「バダン・バダン」「老兵」「ミロール」「水に流して」「「愛の讃歌」まで数多くのシャンソンは、まるでピアフの愛のメッセージ、人生の物語のような気がした。大竹が語るピアフの歌の物語は、まるでドラマを見ているような気持ちにさせてくれた。「愛の讃歌」は、ピアフが、恋人のマルセン・センダルを想って作ったと言われる。センダンには妻も子供もいたが、ボクサーで試合に出かけた先から、船で帰国すると時間がかかるので、飛行機で帰ってきてほしいというピアフの要望に応えて、飛行機で帰ってくる途中に事故にあい亡くなってしまった。そんな彼のことを思ってできたことを、大竹は舞台で解説した。

 私の世代では、越路吹雪岸洋子の「愛の讃歌」は馴染深いが、大竹しのぶの「愛の讃歌」も新鮮に聞こえた。恋人への愛の強い気持ちが伝わってきた。

 第二部は、ピアフの歌ではなく大竹が好きな歌を歌った。今日は、阪神神戸大震災の24年目の記念日であるので、東北、熊本を襲った地震で被災した人たちのことも思って歌った。「ピアフの歌は祈り、叫び」であると舞台で語った通りに、今日の記念日にふさわしく、大竹の歌は亡くなった人たちにも、生きている人たちにも「歌が祈りであり、叫び」である。久しぶりに心にしみる歌をたくさん聞いた。出かけてきてよかった。

 アンコールに応えて、フランス語で Non, je ne regrette rien「私は何も後悔していない」を歌った。日本語訳のこの曲は「水に流して」とあるが、過去のことは水に流すという意味だろうが、私はフランス語通りに解釈すれば、あるいはピアフの行き方からすれば、過去のことを水に流して今日を生きるということではなく、過去のことなど何も後悔していない。その時、その時を自らの意思と愛で生きてきたことへの自負があるような気がする。拍手喝采