Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

ニューヨークで

アフリカ文学会が終わり、アムトラックでニューヨークに移動した。友人のデールと同じ列車を日本から予約しておいた。昨年はアフリカ文学会の後、デールの家に居候して、ニューヨークの街をぶらぶらした。今年は私の妹と一緒にアメリカに来たので、ニューヨークではホテルに3泊した。妹はニューヨークは初めてだったので、久しぶりにニューヨークを観光した。自由の女神が見えるマンハッタン最南端に行き、自由の女神を対岸から眺めた。9・11で倒壊した世界貿易センターの跡地まで歩いて行った。昨年一人でこの地を訪れていたので、位置関係はわかっていた。さらに北上してニューヨーク大学の建物を眺めて歩いた。20年以上も前に、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴニューヨーク大学の教授をしていた頃、何度が訪れたことがあり、ベッシー・ヘッドのことをグギさんのクラスで語ったことがあった。

 キャンパスといえる場所がなく、高層の建物だけの極めて都会的な大学で、学生たちは近くのワシントン・スクウェアでたむろしたり、様々なパーフォマンスが繰り広げられる。デールもこの大学のパーフォーミング・アーツで学び、ジンバブエ・コミュニティしあたーで博士号を取った。

 私はいつもこのニューヨーク大学のことを「知的生産工場」と呼んでいる。妹もこのような大学を見て、ショックを覚えたようだった。

 ニューヨーク大学の近くにある、全米最古の古本屋Strandで娘から頼まれていたバックを購入した。ユニオン・スクウェアからバスに乗り、一旦ホテルに帰った。

 ホテルはペンステーションの前にある古いホテルで、エンパイア・スティトビルのすぐ近くなので、どこに行くにも便利な位置にある。

 簡単なランチを済ませて、ブライアント公園まで歩いていく。ここはニューヨークで働く人たちの憩いの場でもあり、のんびりと芝生の上に座って、食事をしたり、おしゃべりを楽しんだりしている。6番外に面していて、高層ビルに囲まれているがその背後には、ニューヨーク市立図書館があり、図書館は5番街側に入り口がある。今回、ニューヨークの街をバスや徒歩で見て回ったので、それぞれの建物などの位置関係が十分に把握できた。

 5番街は世界の有名な店舗が軒を並べている。何度もここは歩いたことがある。かなり北のほうの、セントラルパークよりは南に位置するところにトランプタワーがあり、いつもながら、物ものしい警備で、観光客の一つの観光スポットにもなっている。

 今回、ケニア人の友人の娘が国連で働いているので、夕食を共にした。彼女はナイロビで高校を卒業すると、ケープタウンで大学準備校に入学し、翌年ケープタウン大学法学部で勉強をした。その後、ケニアで法律事務所で働いたが、母親がオーストリアに転勤になったので、オーストリア国際法をさらに学び、現在国連に努める。

 ケープタウン時代にはしょっ中出会い、様々な催しやパーティに誘い、母親代わりのような役割をしていた。今年のお正月にケニアから電話がかかり、結婚をする報告を受けた。そしてニューヨークにいることを知った。とてもよく頑張り、自分の道を切り開いていく人なので、まるで娘のような気持ちで見守っている。

 翌日国連の近くまで観光したついでに、国連の建物を見に行った。随分前に南アフリカの作家シンディウェ・マゴナが働いいた時、何度かニューヨークを訪れる度に訪ねて行ったことがあった。1990年代の初めの頃だったと思う。当時はなぜかすぐに国連の建物の中に入れたような気がする。今回は、予め国連見学の申請をする必要があるようだったので、建物の中には入れなかった。

 タイムズ・スクウェアにも行ってみた。ブロードウェイの劇場がいっぱい集まっているところだが、いつも観光客で賑わっている。随分前に「ミス・サイゴン」を見た。デールと一緒に、オフ・ブロードウェイの小さな劇場にも行ったことを思い出す。ニューヨークは世界に先駆け新しい文化を生み出す場であると再確認する。