Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

ブチ・エメチェタを偲ぶ

アフリカ文学会の第二日目。午後からナイジェリアの女性作家ブチ・エメチェタを偲ぶ会が3時間半にわたってあった。ブチを知る人たちが、思い出を語った。

アフリカ人女性作家として第一世代を担う。私と同じ年齢なので、早くに亡くなったことが惜しまれる。心臓発作とのこと。長男のSlvester Onwordiがさんかこの日のために招待されていた。.Buchi Emechetaは生涯自分の名前で作家活動をしていたので、息子は父親の姓を名乗っている。

 Ernest Emenyonu, Helen Chulwuma, Anthonia Kalu, Akachi Ezeigho, Ad Azodo, Wangui Wa Goro, Debra Boyd, Abena Busia, Kajija Sesay, Otymeyin Agbajoh-Laoye, Thelma Pinto, Marie Umeh らが追悼の辞を述べた。

 私自身は1985年に初めて、ブチ・エメチェタにロンドンの自宅で出会った。それから、ロンドンに訪れる度に出会う機会があった。ある時、ロンドンでアフリカ人作家会議のようなものがあり、ブチの発言の番が来た時に、いきなり怒り出したことを今でも覚えている。つまり女性作家と男性作家の扱いかたが違うと言って、会議の中でも性差別があることを気づかせたのだった。

 もう30年前のことだが、いろいろ思い出した。どのように最初出会ったのかは忘れたが、自宅に招かれた。多分電話をかけて、指示通りにロンドンの北の郊外の家を訪ねて行ったのが始まりだったように思う。当時私がアリス・ウォーカの短編集を翻訳していたのと、ナイロビで開催された「国連女性の年」の会議の後にロンドンに立ち寄ったので、ついWomanism、Feminismの違いを話したと思う。ブチは「私はWomanismの立場」と即刻答えた。アフリカ人女性作家で、自らの体験を語り始めた最初の世代だった。彼女の体験はある意味でアフリカ女性、さらには世界中の女性の苦しみや怒りを表現するものだった。日本人がアフリカ人女性作家に注目していることに偉く感心してくれた。日々の忙しい生活、ナイジェリアとロンドンを往復する生活の中で、唯一飛行機の中の時間が睡眠できると語っていたことが印象的だった。さらにロンドンでの生活を書き始めた時、子どもたちを育てながら、仕事をし、孤独だった時に、誰かに自分の話を聞いてもらいたくて、書き始めたという。それが小説として出版されたのだった。誰もまだ起きてこない早朝の静かな時間に書き続けていると言った。

 今では、チママンダ・ンゴジ・アディティエのように書けば、語れば、どんどん収入にもなるし、作家として崇められる時代ではなかった。

 ブチ・エメチェタやアリス・ウォーカーのような女性作家たちの作品に励まされて、懸命に読書をした日々のことが思い出された。

 

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