Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

New Heaven に到着

 13日の早朝に京都を出発し、伊丹ー羽田ーニューヨークの直行便だった。羽田ーニューヨーク間は12時間30分とかなり便利だった。JAL便だったので、ほぼ90%は日本人の乗客。到着は10時30分。J.F.ケネディー空港からはシャトルバスでNew Heaven Hotelに直行。以前にイェール大学を訪ねた時は、ニューヨークから列車で行き、駅から歩いたように思うが、はっきりとした記憶は遠のいている。

 空港からニューヨークの中心街に出て、そこから列車に乗り、さらに歩くか、タクシーに乗らなければならないことを考えると、シャトルバスのほうが便利だと判断した。

 どこまでも平らな平原と、まばらな建物が続き、ようやくイェール大学の街に入った。2時間ばかり超スピードで高速を飛ばした。

 28度の高熱の夏の気候に変わっていた。ホテルに着き、着替えてから、徒歩で15分ほど歩いて、アフリカンアメリカ文化センターに今回の会議の準備をしてくれたスタッフが数人いた。

 通例ホテルで早朝のモーニングを行っていたが、今回はアフリカン。アメリカン文化センターでやるという。会場まで毎日15分歩かなければならない。

 大学と、一般の街とが混在しているような雰囲気だが、明日ゆっくり観察してみよう。

先日北海道大学で感動したが、このイェール大学もイギリスやヨーロッパの教育を建物とともに持ち込んだのだろう。そしてアメリカ開拓民にとって、彼らの新しい天国を作ることが第一指名だったのだろうか。

 

 ずっと以前にケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴがイエールで教えていた時、案内された。キャンパスでは白人の女子学生に「ジャップ」と罵られた。黒人の教師と日本人がエリート校を歩いていることが我慢ならなかったのかもしれない。

 あるいはアフリカ黒人やアジアの有色人種が白人エリートのキャンパスを汚すのではないというメッセージなのだろう。私が一体何をしたというのか、日本に原爆を投下できたのも、アジア人、日本人に対する差別だろう。アメリカの白人の裕福の家庭の子弟の学ぶところなのか。いい学問環境のところでは社会や政治がどうあろうとも全く関係ないのだろうか。

 今学生は夏休みに入ったので、キャンパスにいる学生はまばらだが、ここ5日ほどイェール大学にいるので観察とインタビューをしてみよう。

 明日はそうしたことも話せるだろうか。 

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この図書館はレアや貴重価値のある本を集めれいる。遮光のための外塀は大理石でできていて、中の本を守る。光が動くたびに、あたらいい文様が大理石に浮かび上がってくる。貴重な初本を維持するためにはガラス張りの中に入れ、本が何万冊と中心にまとめられて、今では湿気や遮光に気を使っている。