Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

仁和寺に行く

午前中、娘と下の孫が京都に買い物にきたので、つきあう。中三になったので、6月初めに東京デズニーランドに修学旅行に行く。そのときに履く靴を買うのが目的だった。お昼を一緒に食べ、三条通りから新京極通りをブラブラする。ABCマートでナイキのシューズを買う。ついでに私もナイキのサンダルを購入。6月にイェール大学とニューヨークに行くので、そのときにホテルと居候をする友人宅で履くスリッパー代わりにする。海外に行くときにはほとんどスリッパーは持っていかないが少し不便を感じていたので、今回は持って行くことにした。

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 孫は午後から友人とテニスをすることになっているので、早々と帰って行った。私はこの後、夫と仁和寺に行く約束をしていたので、とりあえず待ち合わせの場所まで戻ることにした。

 市バスで仁和寺まで行く。これまでは車で行っていたが、いま二人とも敬老パスを持っているので、市内はどこでも市バスと地下鉄で動き回れる。今日はバスや地下鉄に9回も乗りついだ。

 仁和寺は御室桜で有名な場所なので、遅咲きの牡丹桜をよく見にいくことはあったが、こんな時期に行くのはめずらしい。広い境内にサツキがまだ咲いているかもしれないと微かな期待をもって出かけたが、桜が散ったあとにでた若葉が、濃い緑の葉にかわっていて、生い茂っていた。サツキもほぼ咲き終わっていた。観光客も少ない仁和寺をゆっくりと散歩した。となりの竜安寺金閣寺には大勢の観光客が押し寄せていたが。

 仁和寺は、吉田兼好の『徒然草』が書かれた場所。「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」

 仁和寺のホームページにこうある。「仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。」

 応仁の乱のときに、多くを焼失したが、やがて再建された。明治20年(1887年)には御殿の焼失があり、大正時代に再建。

 仁和寺は長年天皇家ゆかりの門跡だったが、現在では真言宗の御室派の総本山だそうだ。金堂や観音堂は修理中だったので中に入ることはできなかった。五重塔は江戸時代初期に再建されたそうだ。写真は、鐘楼と正面の山門を裏から。

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