Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

メディアの役割

 メディアは豊洲の問題、金正男氏暗殺、森友学園のことばかりが報道される。どの問題も大事だと思うが、今国会で何が議論され、何が議論されていないかはあまり報道されない。森友学園の場合は、土地の売買の不正は大問題だが、それ以上に恐ろしい思想教育を幼稚園の段階で行っていることに驚愕する。国を挙げて、地方自治体もこういう偏向教育を行っていることを放置しておいていいのだろうか。非常に恐ろしい。

 メディアが政府の顔色を伺いながらの及び腰で報道しているような感じがしないでもない。世界がどう報道しているかを見る方がよっぽど真実が知れるような気がする。あるいはSNSから重要なニュースを知ることができるのも、変な話である。

 今日はフランス語の授業。過去形を学んだ。発音の微妙な違いが少し聞き取れるようになった。でなければ、過去形なのか、現在形なのか違いがわからない。

花粉症の症状が少し出てきた。目にかゆみがあり、鼻がくしゅくしゅする。お医者さんから頂いた花粉対策用の目薬をしょっちゅうさすが、すぐにかゆみが出てくる。京都は杉の木が多いし、花粉症の元になるものがあちこちにあるので、なかなか花粉症を根治できない。

 フランス語の授業中にフランス人の先生から花粉症にはヨーグルトが効くと聞いた。それもケフィルの入ったヨーグルトだそうだ。ネットで調べてみると、ロシアのヨーグルトのようだ。随分昔にそのケフィル菌をもらって、ヨーグルトを作っていたことがある。きのこのような可愛い菌で時々綺麗に掃除をして死滅した菌を取り除き、新しい牛乳を入れて、しばらく置くと美味しいヨーグルトができた。また挑戦してもみようかな。

 南アフリカの女性作家ミリアム・トラーディさんが2月24日に83歳で亡くなられた。最後に彼女のあったのは、2007年3月、ダーバンの作家会議の時だった。以前にヨハネスブルグで暮らしていた時は、ソウェトに住む彼女の家によく遊びに行ったし、彼女がヨハネスブルグに出てくる時には連絡を受けて会っていた。日本にも来たことがある。

 私が1994年から95年にかけてケープタウンで暮らしていた時、ちょうど南アフリカ民主化した時で、ミリアムが作家会議でケープタウンにやってきた。私に喜望峰に行きたいと言った。アフリカ人は喜望峰まで行くことができなかったという。観光地として知られる場所だが、民主化以前はアフリカ人が立ち入りできなかった場所がたくさんあった。

 私はミリアムと二人で、私が運転する車で喜望峰まで行った。壮大な自然の景色に圧倒されたが、それはまさに南アフリカの支配者であった白人たちのものだったのだ。

 私はミリアム・トラーディの第一作『二つの世界のはざまで』という小説を翻訳して、1990年に出版した。ミリアムのタイピストとしても経験に基づく自伝的小説だった。彼女の作品を通して南アフリカ社会について多くを学んだ。

 この写真は、私がケープタウンで暮らしていた時に、ウェスタン・ケープ大学にサバティカルボツワナ大学からきていた、レロバ・モレマさんと、ウェスタン・ケープ大学で教えていたルル、そして反アパルトヘイト運動の活動家で、長年亡命していた、弁護士のクリスティン・クンタの女性4人で歴史的なアフリカ人作家会議を主催した。ここに写っている南アフリカの作家4人(マジシ・クネーネ、エスキア・ムパシェーレ、ブレロ・ムウザマネ、ミリアム・トラーディ)とガーナの作家アマ・アタ・アイドゥの5人のうち、南アフリカの作家4人が亡くなっている。

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