Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

井上ひさし『父と暮せば』(Quatre Jours avec Mon Pere)

 今日は京都マラソンで、家の前の道に多くの人が出て、整備にあたっていた。9時15分から12時まで加茂街道は車や人の動きが止められる。母の入院先の病院に行くので、今日はバスに乗れない。8時30分頃、家をでて、賀茂川の土手を歩いて、北大路まで行くことにした。昨日の雨で地面は少し、ゆるんでいるが、とてもいいお天気になった。もうすぐ春がやってくる気配を少し感じる。カモたちも水浴びを楽しんでいるかのよう。昨年は家の前の道を走る京都市民ランナーに声援を送った。山中伸弥先生もみんなの中にいた。今年も走るそうだが、今日は応援ができない。

 喫茶店でコーヒを飲み、地下鉄で京都駅まで行く。京都から明石までJRの新快速で1時間10分。そこから神姫バスで10駅ほど先。遠い道のりだが、須磨の海から明石まで、瀬戸内の海を見ていると心が和む。

 電車の中で井上ひさしの戯曲『父と暮せば』のフランス語訳( Quatre Jours avec Mon Pere  「父との4日間」日本語との対訳)を読む。広島の原爆体験を父と娘の会話で語る。娘の美津江は友人や知人を原爆で失ったので、自分が幸せになってはいけないと思い込んでいる。父竹蔵は原爆にやられ死んでいるが、父が現れ、娘と対話する。父が娘が結婚して幸せに暮らしてくれることを願っている。父と娘の心温まる物語だ。日本語のほうは広島弁の方言で書かれていて、すごく人間的な雰囲気がでている。

 井上ひさしは、この『父と暮せば』と、長崎の原爆体験をもとにした『母と暮せば』を書き上げている。息子を原爆で失った母と、幻の息子との対話の物語。『母と暮せば』は吉永小百合と嵐の二宮和也主演映画で観た。井上ひさしは、「世界66億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである」という。そして「おそらく私の一生は、ヒロシマナガサキを書きおえたときに終わるだろう」と書いている。

 こうした本がフランス語に訳されてフランス語圏の人たちに読まれているのはいいと思った。私のフランス語の知識は少しだけども、広島・長崎のことは多少知っているので、フランス語での表現を想像しながら読みすすめる。

 12時前に到着する。母は眠っていたが、12時半に昼食がくる。70分ほどかけて、ゆっくりゆっくりと食べる。親子煮(卵と鶏肉)、青梗菜、サラダ、白米。お汁。すべてミキサーにかけて、とろみをつけているので、形はまったくない。しっかり味だけはついている。看護婦さんたちが、何度も母の様子を見に来てくれる。母は看護婦さんに食事を食べさせてもらっているのだが、なかなか口を開かないので、看護婦さんたちは苦労されているようだ。

 明日には退院でき、ケアーハウスに帰れることになった。病院よりはずっとずっとケアーハウスのほうが気分が晴れるのではないかと思う。