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Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

大阪に出かける

 孫を京都駅まで送っていくつもりが、京都駅で娘が合流し、大阪まで行くことになった。用があって妹と大阪で会う約束をしていたので、京都駅で軽くランチを済まして、新快速で大阪に行く。いつもよりは人の出が多く、大きな旅行カバンをゴロゴロ動かしている人たちが目立つ。京都に来ていた観光客やこれからどこかに出かけていく人たちがいた。例年なら娘家族と海外旅行に出かけているのだが、今年は母(12月に95歳になった)の入院もあり、出かける気にはならなかった。数年前にシンガポールに出かけた時、突発性難聴になり、シンガポールで救急車で病院に運ばれ、何時間も点滴を受け、そのあとはホテルでじっと寝ていた。帰国後は2週間入院した。右耳は全く聞こえなくなったが、迅速な措置のお陰で、その後音が聞こえるようになった。超忙しい毎日のストレスで身体が悲鳴をあげていたのだった。

 大阪のデパートで大売り出しの品物を見たり、生活用品や健康グッズを触ったりして楽しんだ。妹と姪とが合流し、賑やかなショッピングとなった。これといって目的もないショッピングだったが、洋服の流行や靴やバッグのデザインが参考になった。これから作るセータやバッグにアイディアを取り入れようと思った。

 外で働く仕事を辞めてからは、あまり洋服や小物を買わなくなった。今持っている服をどう着るか、どう処分するかを考えることもよくある。少なくとも衝動買いはしなくなった。

 断捨離のすすめやリサイクルの記事を読んだり、人の話を聞くことが多いが、私自身はなかなか実行できないで、物をため込んでいる。海外で生活していた時には、最小限のものと、四季折々の衣服だけで過ごしてきた。スーツケースに入るものと、若干の買い足しで済む。結構身軽で快適だと実感したことが何度もあるのに、今家中を見回しても物が溢れている。

 大阪駅で新快速に乗るためにホームで待っていると、駅のアナウンスがあった。予定時間を3分遅れの到着だという。理由は放送されなかったが、これだけ多くの人たちの乗り降りに時間が予定以上にかかるのは当然のことだと思うが、JR側は、時刻通りに運行できない「責任」を感じているのだろうか。最近ではこのようなアナウンスが目立つ。人身事故だったり、濃霧などの天候の乱れなどで列車の運行が狂うこともある。こうした時には説明も必要かと思うが、無意識のうちに、「時刻通りに」、「予定通りに」時間に拘束された行動を余儀なくされる生活に精神的疲れを感じるようになったのは、定年退職後ののんびりと何ものにも拘束されない生活を過ごしているせいだろうかと思った。