Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

母は三度めの手術を受けた

神戸の医療センターでは、手術をしないことを勧められ、何となく納得した。高齢の母に三度目の手術は厳しいものも予測されたし、認知症があることが最大の原因だったかもしれない。転倒して緊急入院をして1週間めに退院をし、ケアハウスに帰ったが、ケアハウス側として、どのように扱えばいいのか、病院側から何の説明も受けていないこと、母が骨折した箇所を痛がるということもあり、ケアハウスと提携している病院で再検査を受けることになった。折悪く、三連休が始まる土曜日に病院に運ばれた。

 医療センターからの申し送り事項もなく、何のデータもないままだったのと、医療センター側は三連休明けでないと資料は揃わないと言われた。このあたりも、高齢者が救急搬送され、色々と検査をしたにもかかわらず、「役所仕事」のごとく、データが出せないという。

 仕方なく、新しい病院でレントゲン検査や様々な検査をした。転倒し大腿骨が骨折して1週間が経つ。最初にレントゲンを撮った時は、時間がかかるかもしれないが、そのうちにひっつくだろうと言われ、自然治癒に期待した。

だが、実際にはこの1週間の間に大腿骨は完全に折れてしまっていた。素人目にも明らかであった。この状態では立ち上がることも、車椅子に座ることもできなくなる状態だった。

 早速手術をしなければならないとのことで、即入院となった。新しい病院で母は何となく落ち着かないだろうと思ったが、私たちの付き添いを求められることはなかった。何とか母はこの状況を乗り越えて欲しいと願った。ここでは看護師さんたちは、真摯に病人と向き合ってくれている。それだけでも私たちはホッとした。

 25日にベテランの先生によって短時間で手術が無事に終わった。手術前に先生から説明を受けた。高齢である事、手術が長引くと輸血も必要かもしれない事など、手術の後の感染症の注意など詳しく説明を受けた。私たちはかなりの覚悟をした。だが、実際には出血もほとんどなく、輸血など必要がなかった事、一回目よりは極端に短時間で手術が終わった事、を喜んだ。実際には骨折をしてから2週間もそのままに放置された形になった。こんな事であれば、もっと早く手術をして貰えば良かったと思った。 

 これまでかかってきた、医療センターでもリハビリ病院でも、看護師の希望から、私たちの付き添いが求められた。今から思うとこのセンターでもリハビリ病院の医師も看護師も病人の立場に立ってはいないことがわかった。認知症のある患者は「厄介な存在」なのだ。とりわけ、リハビリ病院では、「認知症を治療する病院でないので、その部分のケアは家族でやってほしい」と言われ、夕方の5時から翌朝の9時まで毎日7週間家族が付き添った。他の人にも迷惑がかかるからと、初めから個室に入り、医療センターから処方されていた認知症の投薬や睡眠薬づけにされ、挙句の果ては、リハビリが進まない事の責任転化をされた。

 私自身母の様子を見ていて、昼夜逆転や精神的混乱、意欲喪失などをおかしいと思い始め、医師との面談を申し入れたが、断られた。この時点でも医師の無責任態度に気づいていたが、患者と言う弱い立場で強く言えなかった。無駄な7週間をリハビリ病院で多額のお金を使った。筋力の衰えがもう一方の足の骨折にも繋がったのだった。

 入院中には時には母と大ゲンカをすることもあり、精神的にもかなりきついものがあったが、要するに病院側は「認知症」を理由にリハビリが進まなかったことを言い訳にした。

 二度目の大腿骨骨折の手術に関しても、若い研修医と看護師の意向により母は見捨てられたのだった。

 

 これからは、ますます高齢化社会に向かっていく。医療と人との関わりを否が応でも無視できない社会がやってくる。患者は病院や医師をどのようにして選べばいいのかわからない。