Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

Zeo WicombのOctoberを読む

 南アフリカの女性作家ゾイ・ウィカムの小説『10月』を読む。ナマクワランドのクリップランドで生まれて、育つ。教育を受けるためにケープタウンの大都会に出てくるが、政治的状況のなかで、グラスゴーに亡命し、そこで大学の教師になる。南アフリカが強硬にアパルトヘイトを実施していた時代だった。
 52歳になる主人公メルシアは、パートナーに去られ、クリップランドの「故郷」にいる弟から手紙がくる。「会いに来て欲しい、息子を引き取って欲しい」というものだ。メルシアは当面の仕事をかたづけ、久しぶりに帰郷する。そこにいた弟は、アル中でベッドから起き上がれない、妻のシルビーが作る食事も手につけない。久しぶりに再会した姉とも話をしたがらない。どうしていいかわからない姉メルシアは、変わらない故郷の風景のなかで、子供の頃のこと、両親のことなどを思い出す。また、グラスゴーでの生活、パートナーとの生活などが対象的に語られる。なんとか、アル中の弟を病院に入れ、治療させる。だが、治療の途中でアルコールが命取りになる。甥のニッキーをグラスゴーに連れて帰ろうとするメルシアに、ニッキーの母シルビーは「ノー」を突きつける。
 メルシアにとって、「故郷」とは、Homeとはなにか。人種的にはカラードと規定されるメルシアにとって、人種とはなにか。ヨーロッパとアフリカとの出会いは何を意味するのか、家族とはなにか、いろんな問題がある。南アフリカの複雑な人種社会を理解するにはまだまだ難しい。
 この作品を十分に読みこなせていないので、どのように分析するかを決めてはいないが、あと10日でドイツでの学会で報告しないといけない。しばらく自宅にとどまってこの作品に集中しよう。同じパネルで、同じ作品をとりあげているので、ゾイ・ウィカムと同じカラードのテルマはどういうのだろうか。パキスタン人で、アメリカで教育を受け、アフリカ文学を研究するフマはどう分析するのだろうか。