Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

タペストリーを見る

高校時代の友人たちと京都を散策したあと、友人の一人の娘さんが京都のギャラリーギャラリーで開催しているタペストリー展を見に行った。タペストリーを織ったのは、伊藤藍さん。作品は、作家伊藤藍さんがバルト三国を訪れたときに体験した、街の暮らしを、タペストリーに織った。そこでみた人々の日常は、平和な穏やかな暮らしがある。ときには戦火をくぐり、人々の悲劇や苦悩を乗り越えて、平和な日常を取り戻したかのように、誰もが明るく前を向いて闊歩する。タペストリーに織り込んだのは、多くの人々のストーリが折り重なる。とても感動的な作品だった。
 

友人たちとは、JR京都駅で10時に出会い、パスで清水寺の近くまで行く。裏道を通って清水寺の入り口の山門の石段にでる。中国人の観光客が大勢いた。京都はいま世界一、人気があるのは知っているが、これほどまで中国人が団体で押し寄せてきているとは、知らなかった。中にはレンタル着物を着て、楽しそうに歩いてる。京都と着物のイメージがあまりにも強すぎるのだろうか。外見だけでは、日本人なのか中国人なのか見分けがつかないが、話言葉から違いがはっきりする。
 清水寺は、紅葉の青葉で囲まれ、輝いて見える。ときおりひんやりした山風が汗ばんだ顔に嬉しい。タイムスリップしてような京の風情をたっぷりと味わいながら、三年坂を通り、高台寺まで歩く。

さすがこの通りには中国人観光客はいないので、しずかに高台寺のお庭を楽しむ。豊臣秀吉が権力を極めていくにつれ、ねねの存在に一目おき、ねね亡き後、このように御霊屋にねねと並んで秀吉が祀られていることを皮肉にも思う。高台寺には秀吉が愛した茶室がある。二つの変わった茶室が桃山城から移されているのも、よく知られる。のちに大阪城の金の茶室や、千利休を自害させた秀吉の傲慢さは、権力者に備わる特有のものなのだろうか。秀吉は、大阪の都構想で橋下徹大阪市長の傲慢な態度や、安部首相のおごりたかぶりにも通じるものあると思った。

 円山公園を抜け、八坂神社から四条通りを西に向かって歩く。5人のうち3人までが万歩計を確かめる。私は朝のうちにすでに5000歩近く歩いていたが、合計15000歩にもなっていた。今日1日に歩いた合計は、19361歩だった。心地よい疲労感。